19歳でデビューして以来、自身の曲をヒットチャートに送り込むだけでなく、人気アーティストへの楽曲提供も数多く手がけてきた尾崎亜美(おざきあみ)さん。
結婚した夫の小原礼さんとは2023年現在もパートナーシップを組んで音楽活動を続けていますが、なぜか「離婚」の関連ワードで検索されているようです。
尾崎さんには離婚歴があるのでしょうか。
また家族構成や実家の家族、生まれ育った京都、天才シンガーソングライターと呼ばれる理由についてもみていきます。
尾崎亜美が結婚した夫は凄腕ベーシストの小原礼
尾崎亜美さんと小原礼さんが結婚したのは1997年1月でした。
サディスティック・ミカ・バンドの初代ベーシストだった小原礼さんは、名盤『黒船』を最後に脱退。
1977年の渡米後は、海外の大物アーティストたちと仕事をしていました。
そのため、結婚後は1年の3分の1は妻がアメリカへ、3分の1は夫が日本へ、そして残りの3分の1は別々というサイクル。
この別居生活は2002年に小原さんが帰国するまで続きます。
出会いは1982年、サディスティック・ミカ・バンドの大ファンだった尾崎亜美さんが、自身のアルバムのレコーディングに参加してほしいと小原さんにオファ―したことにはじまります。
当時の日本の音楽シーンには興味がもてなかったという小原さん。
ところが尾崎亜美さんの音楽性と、レコーディングの合宿でみんなに手料理をふるまう彼女に惚れ込んでしまいます。
小原礼スタッフです。
FM COCOLO『Amusic Diner』
DJ:SKYE(鈴木茂・小原礼・林立夫・松任谷正隆)
10/10(日)は、小原礼!https://t.co/iKM217qZc1— 小原礼Official (@ray11ohara) October 9, 2021
ロサンゼルスの小原さんの兄の自宅で行われた結婚式は、ハプニング続出のにぎやかな式になりました。
めずらしくロサンゼルスで雨が降り、運搬中のウェディングケーキがカーブで崩壊。
なんと、「キャンセルってことでいいですかね?」という連絡がきたそうです。
おまけに牧師がいつまでたっても現れないため、電話をすると、牧師はすっかり忘れていて「オーマイガー!」と絶叫。
困り果てた尾崎さんの視界に飛び込んできたのが、列席者のなかのデーモン小暮閣下でした。
「お願い、牧師やって!」と懇願する尾崎さん。
— 尾崎亜美Official (@amii_ozaki) October 13, 2021
悪魔が司式をする結婚式は、アメリカ人の列席者に大ウケだったそうです。
デーモン閣下は後片付けの食器洗いまでしてくれたそうですから、こんなにいい悪魔はいませんね。
元夫が布袋寅泰で離婚したというのは間違い
尾崎亜美さんは「離婚」という関連ワードで検索されているようですが、小原さんとは離婚しておらず、過去の離婚歴の情報もありません。
「元夫」「元旦那」というワードでも検索されていることから、小原さんは再婚相手と一部で思われているようですね。
では元夫とみられているのは誰かというと、どうやら布袋寅泰さんのよう。
つまり、布袋さんの前妻の山下久美子さんと尾崎亜美さんが混同されているということでしょう。
一方、夫の小原礼さんには離婚歴がありました。
尾崎さんのアルバム制作に参加していた頃、小原さんは米国人で女優の妻と離婚手続きの真っ最中。
プレイボーイの評判もあったために、周囲は尾崎さんに結婚を猛反対したそうです。
ところが結婚が決まったとたん、今度は多くの人から感謝されることに。
高橋幸宏さんからは、「あいつ、おかげでよくなったよ、本当にありがとう」とお礼を言われたことを明かしています。
家族構成と実家の家族
尾崎亜美&小原礼夫妻に子供がいるという情報はありません。
以下はあくまで推測ですが、尾崎さんは39歳で結婚していることから、子供をもたない選択をしたのかもしれません。
家族構成は夫と二人という可能性はありますね。
実家の家族については、父親は京都府の地方公務員で、母親の尾崎暁美さんは西陣織の袋物作家、また姉と弟がいることがインタビューの発言から明らかです。
「両親が離婚したため、中学生の時に必要に迫られて料理をはじめた」と語っているので、多感な時期に両親の離婚を経験したことがわかります。
尾崎亜美&小原礼夫妻の家には大晦日の恒例行事があり、毎年20人ほどのゲストが集まって、尾崎さんの手料理を楽しみながら新年を祝うのだそう。
もちろん家族も京都から参加するそうです。
尾崎亜美はデビュー後も京都在住だった
京都生まれ、京都育ちの尾崎亜美さん。
近所には西陣織の織り屋がたくさんあり、多くの織り子さんがいたそうです。
シンガーソングライターとしての公式の処女作はNHKの子供番組『いないいないばあっ!』に使用された『ひとりっこカバっこ』なのですが、ご本人によると、本当の作品第一号は母校の衣笠中学校の『衣中音頭』なのだそう。
地元のKBS京都(当時は近畿放送)のオーディション番組にエンプティ・ストリートというバンドで出場して、審査員に絶賛されたのは山城高校在学中でした。
山城高校の先輩に山城新伍さんがいます。
またまた京都から野菜が届きました!今回のは神社産。⛩以前私のマネージャーだった人が神主をしている平岡八幡宮の畑で神主自らが育てている野菜たち。💗ご利益あるかもー。🥰
— 尾崎亜美Official (@amii_ozaki) August 22, 2020
意外なことに、尾崎さんはデビュー後もしばらくは京都に住んでいたそうです。
デビュー2年目、『マイ・ピュア・レディ』が資生堂のCMソングに起用されて大ヒットし、脚光を浴びていた時も京都在住でした。
仕事のたびに東京へ通うのが大変になって上京するのはそのあとのことです。
尾崎亜美が天才といわれる理由
1976年、「10代の天才シンガーソングライター」として『冥想』でデビューした尾崎亜美さん。
松任谷正隆さんのプロデュースでデビューした経緯もあり、「第二のユーミン」と目されますが、サードアルバム『ストップモーション』からは自らプロデュースを手がけるようになりました。
作詞・作曲・編曲・歌唱・プロデュースをこなすマルチぶりから浮かび上がるのは、とにかく器用で多才な人物像。
コーラスまでをすべて1人でやってしまう山下達郎さんに通じるところがありますね。
もちろん、さまざまな女性の表情をみせる変幻自在のヴォーカルも、とてもチャーミング。
とりわけ突出した才能として挙げたいのは、他のアーティストへの楽曲提供でも大成功をおさめている点でしょう。
尾崎亜美さんの場合、大御所シンガーソングライターになってから楽曲提供の依頼を受けはじめたのではなく、キャリアの浅い段階から作家として評価されていたところに注目したいですね。
こうした守備範囲の広さや、常に安定したレベルの作品をつくる職人芸をみると、やはり天才といってよさそうです。
「ヒット曲を出すぞ!」とぎらついた人たちと仕事をするのはしんどい、と語る尾崎亜美さん。
自身がヒットメーカーであるだけに、こういう言葉もかっこよく響きます。
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