岸惠子、娘・麻衣子の活動と失踪事件。孫は2人&岡本健一と共演した番組

空前の大ヒット映画『君の名は』の真知子役で、一躍国民的ヒロインになった岸惠子(きし けいこ)さん。

ボタンの掛け違いですれ違いを重ねる若い男女を描いた王道のメロドラマで、劇中の岸さんのストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んで真似る女性が続出するなど社会現象を巻き起こしました。

逢いたくても逢えない運命に翻弄されるヒロインを演じた岸さんの哀しげな美しさはもちろんのこと、相手役の佐田啓二(中井貴一さんの父)さんの二枚目ぶりも印象的で、令和の時代に観ても心に残る名作です。

岸さんは、人気絶頂期にフランス人映画監督と結婚し、日仏をまたにかけた活躍から「空飛ぶマダム」とも呼ばれています。

夫との間にもうけた一人娘のデルフィーヌ・麻衣子さんは幼い頃に失踪したことがありますが、その理由は岸さんにとって衝撃的なものでした。

あわせて孫の情報や岡本健一さんとの関係についてまとめます。

岸惠子のプロフィール

本名:岸惠子

生年月日:1932年8月11日

身長:161cm

出身地:神奈川県横浜市

最終学歴:神奈川県立横浜平沼高等学校

所属事務所:舞プロモーション

岸惠子の娘はデルフィーヌ・麻衣子

1957年に『雪国』で駒子役を演じた岸さん。

同作の撮影中、前年に出演した日仏合作映画『忘れえぬ慕情』のメガホンをとったイヴ・シャンピ監督と密かに婚約していました。

古風な駒子役を演じる女優が外国人と結婚してはイメージダウンになることから、婚約発表は禁じられていたそうです。


国際結婚がめずらしくなくなった現代とは違いますね。

フランス人映画監督で医師でもあった11歳年上のイヴ・シャンピさんと結婚したのは24歳の時で、パリで挙げた結婚式の立会人は川端康成。

以降、岸惠子さんはフランスと日本を往復しながら女優として、文筆家として活躍することになります。

1963年に誕生した女児が一人娘のデルフィーヌ・麻衣子さんです。

彼女は名門ソルボンヌ大学を卒業後、バンド活動に熱中し、その後は作曲家として映画音楽を手がけているとのこと。

パリの東洋語学校で日本語を学んだものの、日本語の読み書きはできないそうです。

岸惠子さんの著作にはデルフィーヌ・麻衣子さんが挿絵を担当したものもあるそうですが、自分のエッセイや小説を娘が読むことができないのは、母としては少しさびしいかもしれませんね。

デルフィーヌさんは富士通のCMに出演したこともありました。

バンド活動に驚きの声

前述したデルフィーヌさんのバンドというのは、「Pilar Stupa(ピラー ストゥーパ)」。

デルフィーヌさんはボーカルを担当していました。

1990年代に活躍していたバンドで、すでに解散しています。

「Pilar Stupa」結成以前は、岡野ハジメさんもメンバーだったバンド「FLESH」でギターを弾いていたデルフィーニさん。

また、他アーティストのバックバンドに参加するなど、昔はさまざまな音楽活動を行っていたようです。


デルフィーニさんが岸さんの娘である事実をあとで知り、びっくりする人もいるようですね。

岸さんは女優業や文筆業が有名なので、娘さんが音楽の道へ進んだというのは、意外に感じる人も多いのかもしれません。

とはいえ、二世タレントが親と同じ分野で活躍するとは限りません。

例えば、俳優である古谷一行さんの場合、息子の降谷建志さんがロックバンド「Dragon Ash」でボーカルとギターを担当しています。

お笑いタレントである浜田雅功さんの息子も、ロックバンド「OKAMOTO’S」でベースを担当するハマ・オカモトさん。

親の影響で同じ道を歩む人もいますが、自分の好きな別の仕事を見つける人もいるわけです。

ちなみに、デルフィーニさんは結婚して息子もいます。

岸さんの孫が芸能の仕事をしている情報はないので、デルフィーニさんの子供は、一般の仕事をしているのかもしれません。

娘が語る子供の頃の思い出

デルフィーニさんは、2023年の第17回「KINOTAYO現代日本映画祭」でも話題になりました。

同映画祭では、ドキュメンタリー映画『岸惠子、自由な女性』も上映されています。

デルフィーニさんは、監督を務めたパスカル=アレックス・ヴァンサンさんと一緒にステージへ上がり、さまざまな質問に答えていました。

その中で、子供の頃の思い出も語っています。

岸さんは仕事が忙しかったため、デルフィーニさんが母親と過ごす時間が少なかったのだとか。

しかし、岸さんと交流のある文化人が頻繁に訪れていたため、家の中にはいつも賑やかな空気が流れていたそうです。

子供時代のデルフィーニさんは、意外な著名人に遊んでもらったこともあるのかもしれませんね。

娘の謎の失踪事件

夫にまとわりつく狡猾な女性の存在に気づいたのは、最愛の一人娘の失踪事件がきっかけでした。

ある日、10歳の娘が田舎で突然行方不明になり、村中が大騒ぎに。

ようやく見つかった彼女に傷心の理由を訊ねたところ、父親に女性の影を感じとっていたことがわかったのです。

パリから飛んできた夫の懇願に聞く耳をもたず、岸惠子さんは離婚を決意。

その日は41歳の誕生日でした。


そして、結婚のためにパリへ着いた日からちょうど18年たった1975年5月1日、岸さんは娘と愛犬と嫁入り道具の三面鏡とともに夫の家をあとにします。

後年、著作の中で「相手の女性」のことをつづっていますが、それによると、自分とイヴを離婚させるために彼女が画策したあの手この手は美しいとはいえないけれど、それは妻側の理屈とのこと。

妻子ある男性に近づいて思いを実らせた行為こそ、むしろ美しいといえるのではないかと語っています。

娘の親権は岸さんが持つことになり、以降もパリで暮らしながら娘を育てることになりました。

岸惠子の孫たち

1998年、デルフィーヌ・麻衣子さんはオーストラリア出身のミュージシャンで映画や舞台作品の音楽も手がけるウォーレン・エリスさんと結婚。

夫妻にはロスコーくんとジャクソンくんという2男が授かります。

岸惠子さんの孫にあたりますね。

孫たちは生まれも育ちももちろんパリ。

岸さんは母の死や娘の結婚を通して考えるところがあったようで、長年暮らしたパリを離れ、両親が遺した横浜の家で一人暮らしをするようになりました。


とはいえ、パリの家は事務所として残し、その後も行き来していたようです。

コロナ騒動以降は孫たちに会えない状況が続いているのではないでしょうか。

岸惠子と岡本健一に熱愛疑惑?

岸惠子さんが「岡本健一」でよく検索される原因は、2006年に放送された旅番組『岸惠子のとっておきフランス旅』でしょう。

ゲスト出演した岡本健一さんとの雰囲気がまるで恋人同士のようだったことから、気になったファンが多かったようですね。

番組では岸惠子さんがパリやブルターニュ地方を案内。

また2017年に出演した『徹子の部屋』でもパリの自宅を公開するVTRに岡本さんが登場しました。

岸惠子さんは1932年生まれで、岡本健一さんは1969年生まれなので親子ほどの年の差があります。

仮に本当に熱愛関係にあったとしたら、テレビ番組で堂々と親密ぶりを披露するのは考えにくいでしょう。

当時、岡本健一さんは妻帯者でもありました。

二人は1990年のドラマ『水の女 その愛はエーゲ海に殺意を招く!』で共演していますから、これがきっかけで仲良くなったのかもしれません。

もともとは小説家志望で川端康成を愛読していた岸惠子さん。


2013年には小説『わりなき恋』がベストセラーになりました。

近年の文筆家としての活躍ぶりをみるかぎり、小説家の夢もかなえたといえるでしょう。

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