若い頃は歌うスターとして、往年はバラエティ番組や司会者として活躍していた高島忠夫(たかしま ただお)さん。
いつも明るいその姿からは想像できないような凄惨な事件を経験しているんです。
高島忠夫の息子は二人ではない?
「イエーイ!」というフレーズで知られた高島忠夫さん。
以前は多くのドラマや映画、バラエティ番組に出演していましたが病に侵されてからはその姿を見かける機会が殆ど無くなってしまいました。
祖父が大地主という裕福な家庭で生まれ育った高島さん。
父は琵琶の師匠だったそうですが弟子はおらず。
不動産収入で生計を立てており生涯定職につかない家庭だったそうです。
高島忠夫さんは関西学院大学の学生だった1951年に「新東宝スターレット」の1期生に選ばれたことで芸能界入り。
芸能界入りしたことで大学は中退して上京しています。
翌年の映画「恋の応援団長」でデビューすると同年の「チョイト姐さん思い出柳」で初主演。
それ以降は新東宝の歌うスターとして大活躍。
1950年代から1960年代の間に100本以上の映画に出演しました。
その後、「季節のミュージカル」で共演した女優の寿美花代さんと1963年に結婚。
1980年代の後半になると息子の高嶋政宏さん、高嶋政伸さんが揃って俳優として活動を開始。
家族そろってファミリーコンサートと行うなど芸能界を代表する芸能一家としてお茶の間で大人気となりました。
高嶋ファミリーとして知られる息子は政宏さんと政伸さんの二人。
そのため高島忠夫さんの息子は二人と思っている人は少なくないでしょう。
ですが高島忠夫さんには子供がもう一人いたんです。
子供の名前は「道夫」。
道夫さんが長兄で政宏さんが次男、政伸さんが三男となります。
ですが道夫さんは姿を全く見せることがありません。
それもそのはず道夫さんは生後5か月で殺害され亡くなっているんです。
高島忠夫の長男殺害の犯人は家政婦?
高島忠夫さんの長男である道夫さんが亡くなったのは1964年8月24日。
住み込みで働いている家政婦から高島忠夫さん、寿美花代さんに
「長男の姿が見当たらない」
との連絡を受け家中を探すと蓋が閉められた風呂桶の中に沈んでいる道夫さんを発見。
自宅が荒らされていたことから警察と消防に通報。
道夫さんは自宅近くの病院に搬送され人工呼吸などが行われるも亡くなってしまいました。
この事件は殺人事件として警察による捜査が開始。
最初に事件に気が付いた家政婦が
「当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」
「長男が激しく泣いてるのを聞いた」
と証言。
ところが、「この家政婦の他に不審者の目撃情報がいない」、「長男の泣き声を聞いた人がいない」、「長男を風呂桶にいれて蓋を閉めるのも不自然」など不自然と思われる点が発覚。
不自然な点について家政婦に聴取すると、家政婦は犯行を自供したそうです。
高島忠夫さんの長男を殺害した家政婦は高島夫婦のファンでした。
家政婦は新潟県出身で中学卒業と同時に上京し都内の会社に勤務していましたが、勤務先に偶然にも高島夫婦の知人がいたことで住み込みの家政婦として働くことに。
家政婦は良く働き、夫婦は家政婦のことを大変可愛がっていたそうです。
ですが道夫さんが産まれたことで家政婦は、
「長男への気持ちが写って、自分がぞんざいに扱われるようになった。」
と感じたんだとか。
「この赤ん坊さえいなければ。。」
と考えた家政婦は道夫さんを風呂に沈めて殺害。
その後、物取りの犯行を偽装するために室内を荒らした、というのが事件の全容です。
高島忠夫の長男殺害事件のその後
高島忠夫さんの長男、道夫さんが亡くなった翌日。
自宅で通夜が営まれ多くの映画関係者や芸能関係者が弔問に訪れたそうです。
祭壇に掲げられた道夫さんの笑顔の写真とお気に入りのぬいぐるみを見て多くの弔問者が涙を流しました。
気丈にも高島さんは通夜の後に記者会見を行っていますが、心労により寿美花代さんは欠席。
愛する我が子が亡くなったのだから無理もありません。
心に大きな傷を負った寿美花代さんは未だに湯船に浸かることが出来ないそうです。
湯船につかると否が応でも道夫さんを思い出してしまうのでしょう。
道夫さんを殺害した家政婦は未成年でしたが成人と同様に殺人罪で起訴。
1965年6月に懲役3年〜5年という不定期刑が確定しました。
人の命を奪っておいでこの刑期は短すぎると言わざるを得ません。
高島忠夫と妻(寿美花代)との結婚馴れ初め。病気と死因。兄弟にも有名人
寿美花代は宝塚の人気スター、実家の先祖は松平家・家柄がすごい!
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