多くの作品で味のある演技を見せた鈴木ヒロミツ(すずき ひろみつ)さん。
ホリプロの古参としてあの和田アキ子さんの相談にも乗っていたそうです。
死因と子供や家族の情報、昔のエピソードについて迫ってみました。
鈴木ヒロミツは歌手だった?モップスとは
名バイプレーヤーとして多くのドラマや映画に出演していた鈴木ヒロミツさん。
明るいキャラクターでバラエティ番組でも人気でした。
俳優、タレントとしての印象が強い鈴木ヒロミツさんですが、デビュー当初は歌手でした。
1966年に結成されたインストゥルメンタルバンドの「チェックメイツ」。
ここに鈴木ヒロミツさんがボーカルとして参加し、結成されたのが「ザ・モップス」でした。
日本におけるサイケデリック・ロックの草分けとして知られるザ・モップス。
(メンバーの)頭髪がモップみたいだった
人々の心を音楽でモップのように綺麗にしてあげたい
というのがザ・モップスというグループ名の由来だそうです。
ゴーゴー喫茶などで活動していた時にスカウトされ1967年からホリプロ所属に。
同年11月に「朝まで待てない/ブラインド・バード」でデビューしました。
グループサウンズ全盛期だった当時、スパイダースやタイガースなどアイドル的な人気を誇るグループは少なくありませんでした。
そんな中、ザ・モップスはジャズ喫茶や米軍キャンプで活躍するなど独自の音楽路線を貫いていました。
国内外にコアなファンが多いザ・モップスですが1974年に解散。
以後、鈴木ヒロミツさんは俳優やタレントとして活動。
また、美食家としても知られた鈴木ヒロミツさん。
グルメレポーターや絶品料理を紹介する「食わずに死ねるか!」という著書まで出版しています。
俳優、タレントとして成功を収めた鈴木ヒロミツさんですがザ・モップスを解散後は歌を歌う機会が激減。
歌手としての評価も高かったため、
鈴木ヒロミツが歌わなくなったのは犯罪
と嘆く音楽評論家もいたようです。
鈴木ヒロミツさんが音楽活動を続けていたら日本の音楽シーンは今と違っていたかもしれませんね。
鈴木ヒロミツの死因は?
味のある演技と親しみやすいキャラクターで人気だった鈴木ヒロミツさん。
2007年3月14日に肝細胞癌のため60歳という若さで亡くなっています。
肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれるため異常を感じた時には手遅れという事が少なくありません。。
鈴木ヒロミツさんも病院で診察を受けた時には症状が進行しており余命3か月を告知されたそうです。
鈴木ヒロミツさんはお酒が大好きだったそうなので肝臓に負担がかかっていたのかもしれません。
余命宣告をされた鈴木ヒロミツさんは入院しての治療はせずに家族と過ごす選択をしました。
回復の見込みがないため辛い延命治療を行うよりも残された時間を少しでも有意義に使おうと思ったのでしょう。
鈴木ヒロミツの弟はミュージシャン?
鈴木ヒロミツさんが芸能界に入るきっかけとなったザ・モップス。
実弟、鈴木幹治さんはザ・モップスとその前身のバンドである「チェックメイツ」でドラムを担当していました。
鈴木幹治さんがいたから鈴木ヒロミツさんがチェックメイツに加入したことは間違いないでしょう。
鈴木ヒロミツさんからすればつまり幹治さんは弟ではありますが恩人と言っても過言ではないかもしれません。
ザ・モップス解散後、鈴木幹治さんは所属事務所ホリプロのマネージャーに。
浜田省吾さんのマネージャーを務める一方でプロデューサーとして浜田省吾さんの楽曲のプロデュースも行いました。
その後も音楽プロデューサーとして活躍されているようです。
鈴木ヒロミツに息子がいる?
鈴木ヒロミツさんは既婚者で妻の名前は美恵子さん。
一般人のようで詳しい情報はありませんが鈴木ヒロミツさんは美恵子さんにベタ惚れだったようです。
また、鈴木ヒロミツさんには「雄大」という息子が一人います。
鈴木ヒロミツさんが所属したホリプロの社長である堀義貴さんが
息子を頼む。音楽に興味を持っているから
と鈴木ヒロミツさんが亡くなる前に雄大さんの事を頼まれていたことを明かしています。
雄大さんが音楽に興味を持ったのは鈴木ヒロミツさんの影響なのでしょう。
音楽関係の仕事をしている可能性が高い雄大さん。
「鈴木雄大」で検索するとシンガーソングライターの方がヒットしますが年齢的に別人。
音楽事務所など自分が表に出ない形で音楽に携わっているのかもしれません。
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