『金田一少年の事件簿』『トリック』『20世紀少年』をはじめ、多くのヒット作を送り出してきた堤幸彦(つつみ ゆきひこ)監督。
1月末に公開された新作映画『十二人の死にたい子どもたち』は3日間で観客動員数26万人を突破しました。
今や最も多忙なヒットメーカーの一人ですね。
堤幸彦監督の足跡、妻の病気、子供のこと、さらに堂本剛さんとの絆について紹介します。
堤幸彦、病気の妻との別れ
ロック少年だった堤幸彦監督は、もともと映画監督志望ではありませんでした。
法政大学中退後、ひょんなことから東放学園専門学校に通い始め、テレビ業界に入ります。
AD時代は仕事ができず、立っているだけのお荷物スタッフで、「電信柱」と罵倒される日々。
おまけに当時の月収はわずか3万円でした。
生活するためには結婚するしかなかったと自嘲をこめて当時を振り返ります。
24歳で中学校の同級生と結婚し、妻の収入で生計をたてていたそうです。
転機が訪れたのは25歳のとき。
視聴者参加型のカラオケ番組で初めてディレクターを任されました。
ところが、かっこいいミュージックビデオを作りたかった堤監督は、全く仕事をする気になれなかったそうです。
堤監督は、現場の観客の楽しそうな笑顔を見て、この仕事のすばらしさに気づいたといいます。
現在の堤監督の軸になっている、人を楽しませるものを作るという信念はこの体験から生まれました。
しかし、そんな決意をした矢先に妻に癌が発覚。
高額な治療費が必要になり、それを捻出するために死にもの狂いで働くことになります。
時には会社の仕事とは別に、フリーランスの形でディレクターや放送作家を務めることもあったとか。
精神的にも肉体的にもきつい毎日だったのでしょう。
がんばった甲斐もなく、妻は2年半の闘病生活の末に他界します。
堤監督はまだ20代でした。
堤幸彦の再婚 子供は?
堤監督作品『人魚の眠る家』は、事故によって脳死判定された愛娘をめぐる両親の物語でした。
人間と生命の尊厳を問いかける重いテーマに、堤監督はこのようなコメントを寄せています。
「私にもまだ小学生の娘がいるので、『もし自分が同じ立場だったら』という思いが常にありました。
主演の篠原涼子さんや夫役の西島秀俊さんたちも、次第に『役者』と『親』の境界線があいまいになっていくような存在感があり、そうした要素がプラスに働いたと思います」
また、現在の妻は映画の内容について、監督と異なるとらえ方をしたのだとか。
堤監督は、これは自分たちの足もとにおいても大問題になるようなテーマであり、だからこそやりたいと思ったと明かしています。
監督は先妻との死別後に再婚をしたのですね。
映画の公開時、娘は8歳だったようです。
堤幸彦と堂本剛の信頼関係
おもにテレビドラマや映画で知られる堤監督ですが、これまでに手がけたアーティストのビデオクリップや舞台などは数えきれません。
最初の妻が病気で倒れたあと、現場のハシゴをしながらがむしゃらに働いた経験が40歳にして花開きます。
1995年に総合演出を担当した連続ドラマ『金田一少年の事件簿』は、堤監督が「自分の撮影手法でよければやらせてください」と引き受けたドラマでした。
それまで培ってきたバラエティ番組やミュージックビデオの手法を注ぎ込み、ドラマは見事に大ヒット。
視聴者を飽きさせない画面転換や絶妙な音楽挿入など、堤監督ならではの演出が散りばめられて一躍注目を浴びました。
このドラマ以降、主演の堂本剛さんとは親子のような固い絆で結ばれているようです。
堤監督は、スーパースターでありながら、何かを伝えなければという信念を強力に持っていると堂本さんをベタ褒めしています。
コミカルな作品からシリアスな作品まで、次々とヒット作を生み出し続ける堤幸彦監督。
独特な演出や世界観は好みが分かれるかもしれませんが、個性的な映画監督であることは間違いありません。
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