石原慎太郎の家系図。父はどんな人?家族、 弟・裕次郎との関係について

89歳で亡くなりましたが、晩年も意欲的に執筆活動を続けた石原慎太郎(いしはら しんたろう)さん。

昭和から平成にかけて、最もわが道を行き、歯に衣着せぬ主張をした政治家の一人です。

今回は石原慎太郎さんの家系図、父、弟・裕次郎さんについてお送りします。

石原慎太郎のプロフィール

生年月日:1932年9月30日

死亡日: 2022年2月1日

出身地:兵庫県神戸市須磨区

身長:181cm

血液型:AB型 

最終学歴:一橋大学

石原慎太郎の家系図と父

石原慎太郎さんの家系図を見ると、意外な人物と縁戚関係にあることがわかります。

元総理大臣の小泉純一郎さんです。

石原家と小泉家は元首相の実弟・正也さんを通じてつながりがあるのですね。


正也さんの妻・美枝子さんの祖父と、慎太郎さんの妻・典子さんの父は兄弟。

政財界の著名人同士が実は親戚だったという話は時々聞きますが、これもその一例でしょう。

石原家の先祖について、慎太郎さんはこんな話をしています。

「うちは士族の出でね。

カッコいいんだ。

武田の武士でね、弓矢の名人でね、家紋が七つ矢の矢車なんですよ。

武田軍団って、戦強かったでしょ。

うちの家訓はね、『明日の戦、わが身無念と心得べし』ってんですよ。

つまり死ぬだろうと…。

だから俺の親父もわりと覚悟して、毎晩接待で酒飲み続けて、仕事で死んでいった。

『今宵の宴、わが身無念と心得べし』じゃないけどね」

慎太郎さんの父・潔さんはわずか14歳で海運会社・山下汽船に入社しました。

警察官だった父は50代で他界し、一家はとても苦労したようです。

大学進学を望んだものの、経済的な事情で断念した潔さん。

やがて家庭を持ち、北海道の小樽に赴任します。


慎太郎さんは幼少期を小樽で過ごしました。

当時の小樽は貿易港として重要な商業都市でした。

その後、潔さんは東京に転勤し、関連会社の重役に就任。

山下汽船の社員の間では、潔さんの人間関係の評判は上々だったようです。

身長175㎝、体重80㎏の堂々たる体格から、ついたあだ名は「クマさん」。

人間的な魅力のある人物だったのでしょう。

ふだんから、仕事で死ぬなら本望だと言っていた潔さんは、脳溢血のため51歳で他界。

慎太郎さんが当時を振り返ります。

「朝など時折、前夜の接待が遅くまでになって、好きではあったが医者に禁じられている酒を毒と知りつつ自らに強いて接待に努め疲れて戻った父が、眠りも足りなかったのだろう、高血圧のせいもあって、舌がもつれてお経を読む声がいつもと違って少しろれつが回らず、自分でもそれがわかるのかいらいらしながら同じ部分を何度も唱えなおしているのを床の中で聞きながら、子供なりに心を痛めたのを覚えています。

そして結局父は五十一歳で、当時としても若死にしました」

石原慎太郎の家族

石原慎太郎さんの母は石原光子さん。

ドキュメンタリー番組『グレートマザー物語』でも取り上げられました。

妻の典子さんとは幼なじみから交際に発展し、1955年に結婚。

典子さんは息子を4人出産した後、慶応義塾大学の通信教育課程に入学します。

夫妻の子供たちは、長男が政治家の伸晃(のぶてる)さん、次男が気象予報士、タレント、俳優の良純さん、三男が政治家の宏高さん、四男が芸術家の延啓(のぶひろ)さん。

石原慎太郎さんといえば、隠し子が発覚した愛人問題も忘れられませんね。

議員辞職の翌年、写真週刊誌『フライデー』で婚外子の存在が報じられました。


不倫のお相手は銀座の高級クラブで接客業をしていた20代の女性。

その同僚の話によると、子供は背が高く、裕次郎さん似のイケメンなのだそう。

認知をして、毎月20万円の養育費を支払うことで収拾したそうです。

慎太郎さんのステイタスを考えると養育費が少ないように思えますが、いかがでしょうか。

慎太郎さんは、「若気の至りというか、私の不徳であった。

子供に関しては十分な責任をとっている」と釈明しました。

ですが、婚外子は2012年の時点で30歳のはず。

慎太郎さんが50歳を過ぎてから誕生したことになるので、「若気の至り」は厳しいところです。

石原慎太郎の弟・裕次郎

石原慎太郎さんを語るうえで、稀代の大スター、石原裕次郎さんを無視することはできません。

元東京都知事の石原慎太郎氏の「思わぬホンネ」が明らかになった。

13日に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」に、俳優の石原良純が出演。

良純は、昨年没後30年を迎えた叔父である石原裕次郎氏の特番を昨年末に家族で観ていたときのエピソードを披露。

慎太郎氏が「裕次郎がうらやましい。

みんなに愛されている。

俺はみんなに愛されていない」と漏らしたことを明かした。

慎太郎さんの芥川賞小説『太陽の季節』はすぐさま映画化され、当時慶應の学生だった裕次郎さんは端役で出演。

兄による原作の第二作『狂った果実』では主演を務め、そのスター性で裕次郎ブームを巻き起こします。

裕次郎さんは、太陽族という戦後の新しい若者像を多くの作品で体現し、昭和の大スターとなりました。

しかし、石原プロモーションを立ち上げ、テレビ進出に成功した矢先に舌がんが発覚。

以降、解離性大動脈瘤、肝細胞がんと病魔が襲います。

1987年7月17日、まき子夫人の「がんばるんですよ」という言葉に二度うなずいたあと、52歳の生涯を終えました。


昭和30年代に太陽族という若者を出現させ、慎太郎刈りを流行らせた石原慎太郎さん。

もはや戦後ではない、新しい時代を切り開いた時代の寵児でもありました。

これを機会に、石原慎太郎さんの小説の世界に触れてみてはいかがですか。

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