アポロキャップとサングラスがトレードマークだった山本晋也(やまもと しんや)監督。
本業は映画監督ですが、深夜番組の体を張ったレポートで人気者になりました。
「カントク」の現在、病気の噂、元貴乃花親方との関わりなどをまとめます。
山本晋也のプロフィール
本名:伊藤 直
生年月日:1939年6月16日
出身地:東京市神田区
職業:映画監督
山本晋也の現在 病気説は?
深夜番組『トゥナイト2』が終了してから、バラエティ番組で姿を見ることが少なくなった山本晋也監督。
1939年生まれで、2023年は84歳を迎える高齢です。
これまで病気説や死亡説が浮上しましたが、山本監督は身体の不調を抱えている様子はなく、元気にしているようです。
今は主に映画関係のテレビ、雑誌コラム、講演会を中心に活動しているとのこと。
講演の内容は、社会学、自己実現、芸能論、医療、幼少期の体験談など多岐にわたります。
講演テーマをいくつか紹介しましょう。
社会世相のレポート体験談を盛り込んだ「カントクの大人の真面目な社会学」、取材で見聞きした医療問題を考える「カントクの健康法——病院学と病気学」、スターとの交友録を紹介する「我が人生に乾杯! カントクの映画論・芸能論」。
山本監督はまた、30年にわたってエイズ問題に関心を持っており、当時の厚生省のエイズ撲滅広報委員(エイズ予防財団)に就任してボランティア活動を行ってきました。
全国の中学校、高等学校、都道府県の保健所での講演活動は現在も続けています。
「私は、ハンセン病というとやはり『ベン・ハー』。
2000年前から人類というのはハンセン病に対して、ある種の保護とか情熱とか、そういうので手を差し伸べる人たちがいらしたという事の証明になるような作品だと思いますね。
2000年の歴史があるわけですから、やはりこの偏見と差別というものを無くすために努力するのは今の人間の務めなんではなかろうか、とこう思うわけであります。」
エイズ限定ではなく、医療支援活動に力を注いでいるのですね。
『トゥナイト』の名物レポーター・山本晋也
山本晋也監督が制作した映画は250本に及びます。
成人映画の実績から、深夜番組『トゥナイト』で性風俗や社会現象のレポーターを担当。
人間の欲望にフォーカスした切り口や、放送コードギリギリの発言が人気を呼びました。
ユニークなキャラクターがタレントとして発揮されたのですね。
変化の激しい風俗業界を体当たりで取材する姿は、ライバル番組『11PM』の視聴率を抜く要因となったほど。
山本監督が当時の苦労話を語ります。
「番組当初は、のぞき部屋の風俗レポートをしようとカメラを回しながら歌舞伎町を歩いていると、チンピラがわざとカメラに映り込んでくる。
放送後にクレームをつけてきて、毎回言い争いになって大変だった。
それで、いざというときに撮影したテープを懐に隠せるようにいつもサイズが大きめのジャンパーを着ていたんだよね」
粘り強い取材によって、『トゥナイト』だけが歌舞伎町のレポートを許されたそうです。
それ以降、風俗店は協力的になり、番組で取り上げた店は人気店になったのだとか。
コマーシャル効果が大きかったのでしょう。
「ほとんどビョーキ」という流行語もこの番組から生まれました。
すごすぎてついていけない、よくやるといったニュアンスです。
この流行語は海外のメディアでも取り上げられたほど。
山本監督は、性風俗業の現場にいる人々を「異常」「変態」という言葉で表現したくなかったのでしょう。
彼らは常識はずれでおもしろく、愛すべき人たち——そんな思いから生まれたフレーズだったのかもしれません。
余談ですが、薬師丸ひろ子さん主演の80年代の映画『セーラー服と機関銃』に「ビョーキね、ほとんど」という台詞が登場します。
当時、この流行語がいかに社会に浸透していたかがうかがえます。
また、映画監督が風俗レポーターの仕事をすることを嘲笑する向きもあったようです。
山本監督は著書の中で、風俗嬢から聞く話はどんな映画よりもドラマチックで、レポートの一つひとつが自分の作品だと語っています。
山本晋也と相撲 貴乃花親方にインタビュー
高視聴率を記録した『独占緊急放送! 貴乃花親方すべてを語る』。
インタビューは山本監督が質問する形で行われました。
冒頭で「負けましたね」と理事候補選挙落選について山本氏に斬りこまれた貴乃花親方は「見事に」と笑顔で即答し、「引退会見の時に言った“すがすがしい気持ち”を思い出しています」と語った。
巧みなインタビュアーでもある山本監督。
政治家や経営者、スポーツ選手など、ジャンルを問わず相手の懐に入り込み、本音を引き出すテクニックの持ち主です。
元貴乃花親方とは以前から交流があり、これまでも何度かインタビューをした経緯から実現したとのこと。
山本監督だからこそ、あまり多くを語らない貴乃花親方にインタビューできたと好評だったそうです。
1964年の東京オリンピックでは、市川崑監督による公式記録映画制作にカメラアシスタントとして携わった山本晋也監督。
目標は東京オリンピックで取材をすることだそうです。
山本監督ならではの切り口でオリンピックをレポートしてほしいですね。
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