萩本欽一、ビートたけしとの仲。ダウンタウン&香取慎吾との関係。さんまとゴルフ拒否の理由

萩本 欽一(はぎもと きんいち)さんは昭和のお笑い界で天下を取った芸人でした。

その背中を追った多くの芸人たちとの関係はどのようなものだったのでしょうか。

今回は萩本欽一さんとビートたけしさんやさんまさん達との関係を見て行きます。

萩本欽一はビートたけしの乗り越える壁だった

まずは萩本欽一さんとビートたけしさんの関係を見て行くことにします。

ふたりの年齢差は5歳ですが萩本欽一さんは高校を卒業後に、ビートたけしさんは大学を除籍になってから芸能界に入ったので芸歴に関しては約12年近い差があるそうです。


萩本欽一さんはコント55号で1970年代に、ビートたけしさんはツービートで80年代にブレイク。

両者は同じコンビ芸でありながら芸風は大きく違い、王道のコントをしていたコント55号に対してツービートは新しいスタイルの軽快なトークで注目を集めたのです。

奇しくもふたりは漫才ブームが終わってから同じ集団バラエティに移行し、萩本欽一さんは”欽ちゃんファミリー”を作り上げて「大将」の愛称で親しまれました。

一方のビートたけしさんは”たけし軍団”という自前の芸人集団を立ち上げ、そこで使われたのは萩本欽一さんの”大将”を強く意識した”殿”という愛称だったのです。

ビートたけしさんは当時の心境について”萩本欽一さんとドリフターズ(いかりや長介さん)を引きずり下ろすことしか考えてなかった”と驚きの告白をしていました。

もちろん両者に対して尊敬の念はあったものの、自分自身や出演していた「ひょうきん族」を成功させるためには邪魔であり厄介な存在だったのは間違いないでしょう。

他にも、コント55号やドリフターズが良い人キャラでファミリー層に人気があったことも気に喰わなかったそうで、対極のキャラとして下品さや乱暴さを際立たせたのかも知れません。

そんなことの積み重ねで両者は不仲との噂が流れていましたが、萩本欽一さんはビートたけしさんを”同じ浅草フランス座出身で身近な後輩”と発言して驚かせています。

芸風や芸人としての在り方で交わることは無かったものの、同じ時代を生きた浅草フランス座出身の芸人仲間として相通じるものがあったのは間違いなさそうでした。

萩本欽一がダウンタウンの東京進出を決めた?

次はダウンタウンが東京進出したキッカケが萩本欽一さんだった件を見て行きましょう。

今でこそ東京を中心に活動をしているダウンタウンのおふたりですが、最初は他の吉本所属芸人と同じく”うめだ花月”などを中心に大阪で活動をしていました。

そんな時、萩本欽一さんが出演していた番組のディレクターがダウンタウンの漫才を大阪で見て衝撃を受け、東京に帰って「これからはこの男たちだ」と熱く語ったそうです。

それを聞いた萩本欽一さんは”呼んできてよ”と自身の番組に招待したらしく、しばらくして「欽ドン!ハッケヨーイ笑った!」で初めての共演を果たしました。

この番組や「夢で逢えたら」で若者に人気が広がり、吉本興業も東京行きを決めたそうです。

視聴者からの人気もさることながら、当時のお笑い界で頂点に立っていた萩本欽一さんがダウンウンの才能を認めたのも進出のキッカケになったのは言うまでもありません。

以上のことからも、あのダウンタウンが今でも緊張して小さくなるのは当然かも知れませんね。

萩本欽一が香取慎吾を後継者に指名?

ここでは萩本欽一さんと香取慎吾さんの関係を見て行きます。

ふたりの関係は思っているよりも古く、香取慎吾さんがデビューして7年後の1994年10月から放送された「よ!大将みっけ」で早くも共演をして相談ができる間柄だったそうです。

この頃から香取慎吾さんは自分を「欽ちゃんファミリー」と公言するようになり、萩本欽一さんも受け入れたことから関係が深まって別の番組で共演をするようになりました。

共演で有名なのは「欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト」で、香取慎吾さんが加入した2002年以降は番組名も「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」など併記に変わっています。

同番組では約20年にもなる長いコンビを組んでいますが、萩本欽一さんは自身の年齢による体力的な問題から香取慎吾さんを番組の後継者にするとたびたび発言していました。

これは単純に付き合いが長いからという感情的な理由からではなく、シロウトを相手にした時でも香取慎吾さんの対応力が素晴らしいと司会者としての能力を高く評価しています。

また、人情家である萩本欽一さんは「慎吾のこと好きなんだよぉ」と可愛がり、ジャニーズ事務所を退所後にスタッフたちが香取慎吾さんを降板させようとすると猛烈に反発。

萩本欽一さんは人を傷つけることもないアットホームな同番組を大切にしており、番組の雰囲気にマッチする香取慎吾さんを後継者にしたがるのも無理はないでしょう。

もっとも、香取慎吾さんに萩本欽一さんの勇退を認める意志はまったくなく、順調に行けば2023年に放送されるであろう同番組の放送100回記念もふたりで務める気でいます。

本当の祖父と孫のような関係は素晴らしく、見ているこちらまで温かな気分になりますね。

萩本欽一がさんまとのゴルフを拒否した理由

最後に萩本欽一さんが明石家さんまさんからのゴルフの誘いを断った件を見て行きましょう。

ふたりは1987年2月16日に放送された「欽ドン!スペシャル」で初共演をした古い仲で、当時は関東のドンと関西期待のホープの共演に視聴者だけでなく関係者も注目したそうです。

楽屋では緊張していた明石家さんまさんは本番になるとマシンガントークを炸裂させ、アウェーでありながらホームの空気感を作り上げたことを萩本欽一さんは評価していました。

そんな良い関係のふたりでしたが、ゴルフを一緒に回った萩本欽一さんは明石家さんまさんからの「また行きましょう!」との誘いを「二度と行かない!」と断ったそうです。

その理由として萩本欽一さんは”18ホール中、ずっとしゃべってる”と相変わらずのマシンガントークを挙げましたが、これは騒々しいなどネガティブな意味ではありませんでした。

明石家さんまさんが自分を楽しませようと気を使っているのを察して、せっかくのプライベートまでマシンガントークをさせることを気の毒に思って誘いを断ったそうです。

今でも芸人仲間から「さんまさんはずっとしゃべってる」と驚かれていますが、当の明石家さんまさんは”自分が面白いから勝手にしゃべっている”と気にしない様子でした。

普段の様子から見ると確かにそうかと思わせる言い訳でしたが、もしかすると萩本欽一さんが思った通りで同席する人を楽しませようとするサービス精神なのかも知れません。


仮にそうだとしたら、まさに”英雄は英雄を知る”と言えるエピソードでしょうが、意外とシャイな明石家さんまさんが本当の理由を言うことは無いでしょうね。

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