かつて坂上二郎さんとのコンビ「コント55号」で人気を攫ったコメディアン、萩本欽一(はぎもと きんいち)さん。
2021年で80歳となりますが、現在はどのように過ごしているのでしょうか。
また自宅が世田谷という情報、野球チームについて、気になる年収情報も見ていきましょう。
萩本欽一のプロフィール
本名:萩本欽一
生年月日: 1941年5月7日
身長:164 cm
出身地:東京都台東区
最終学歴:駒澤大学仏教学部中退
所属事務所:株式会社萩本企画
萩本欽一の現在
まずは萩本さんの現在について見ていきます。
2015年、認知症予防に始めた受験勉強の結果、駒澤大学仏教学部に合格した萩本さん。
大学生活が楽しくてたまらなかったそうで、成績もほとんどS評価という優等生でした。
しかし2019年には突然の自主退学をしています。
様々な憶測を呼びましたが、決して勉学に挫折したわけではないようです。
むしろ大学が楽しくて、在学期間を延ばすため、あえて単位を取らなかったといいます。
大学院進学の噂も飛び交う中、なぜ退学をしたのでしょうか。
仏教の授業と、コメディアンとしてネタを考える時間の切り替えがうまくいかず、お笑いの勘が鈍り始めていた萩本さん。
78歳という年齢的にも、お笑いをいつまで続けられるかわからない状況下、80歳まではお笑いへ戻ろうと決意しました。
しかし大学事務から「休学か退学か、今決めてください」と言われ、退学せざるを得なかったというのが真相のようです。
「あと2年なんだよ」
2019年4月、萩本欽一は4年間通った駒澤大学 仏教学部を自主卒業致しました。
80歳の自分が目の前に見えた時、最後に天職であるコメディアンとして笑いを追求する道を再び選び、欽ちゃんの笑い、浅草の軽演劇文化を後世に残したいと考えています。
— 欽ちゃんSTAFF (@kinchan_staff) October 8, 2019
ただ勉学の楽しさは変わらず、いずれ他の大学に進学し直すことも考えているとのことでした。
勉強を通して、第二の人生を謳歌しているといえますね。
コロナ流行時は、仕事もせず家にこもりながら、自分にできることを考えていたそうです。
国民に一律給付された10万円は、お金に余裕のある人がお店への「応援金」として積極的に使うべきと主張。
萩本さん自身も、近所の商店でジャムパンを買い、お釣りは「コロナ対策応援金」として受け取らなかったそうです。
現代では珍しい、昭和気質の人情味あふれる人柄がうかがえますね。
萩本欽一の自宅は世田谷?
次に萩本さんの自宅が世田谷という情報を見ていきます。
2021年現在、萩本さんの自宅は神奈川県中郡二宮町にあることが明らかになっています。
自然豊かな二宮町で3人の子供を育てたそうですので、海や山などの自然に子供たちを触れさせたかったのでしょう。
世田谷に自宅があるという情報は、子育て前の話である可能性が高いです。
個人事務所「萩本企画」の所在地が世田谷区太子堂にありますが、元々はここが自宅で、事務所に変えたのでしょう。
世田谷の元自宅は事務所、二宮町の自宅はプライベートの生活用と分けることで、うまくメリハリをつけているのかもしれません。
萩本欽一、野球チームとの決別
次に萩本さんの野球チームについて見ていきます。
萩本さんが2005年に設立した、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」は、通称「欽ちゃん球団」として知られています。
茨城県稲敷市を本拠地として、選手は住み込みで、野球と農業に取り組んでいました。
萩本さんが部長を務め、糸井重里さんが命名した茨城ゴールデンゴールズ。
しかし2006年には所属していた山本圭一さんが、少女にみだらな行為をする不祥事を起こします。
時期は未定とはいえ解散が発表されますが、山本さんを除名してチーム自体は存続。
しかし今度は、2011年に片岡安祐美さんが監督に就任すると、萩本さんと運営方針について対立が生じます。
興行路線の萩本さんと、地域密着を重視する片岡さんの対立の結果、後者のやり方で運営が行われることになりました。
以降は萩本さんが運営に関与することはなくなったそうです。
チーム自体は続いているものの、運営は決して順調だったとはいえないようですね。
萩本欽一の年収、マラソンのギャラは?
最後に萩本さんの年収を見ていきます。
萩本さんの全盛期、給料袋を本人から見せられた小堺一機さんによると、「テーブルに給料袋が立っていた」そうです。
中身は小切手とのことで、推定で数億円ということでした。
かつては億単位の年収を稼いでいたことは確かでしょう。
2007年の「24時間テレビ」のチャリティーマラソンでランナーを務めた際は、本人が指を2本立てて「ギャラが良い」と発言。
そこからランナーのギャラだけで2,000万円受け取ったとされています。
さらに実業家としても活動しているので、今では億単位に及ばずとも、数千万単位の年収なのでしょう。
リッチで悠々自適な暮らしを楽しんでいるようですね。
お金を貯め込まず、好きなことや人のために有効活用する、豪快な人なのでしょう。
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