引退から10年以上が経った今でも歴代最高捕手の呼び声高い古田敦也(ふるた あつや)さん。
捕手としての成績は勿論、その人柄もファンからは高く評価されています。
古田敦也の出身高校はどこ?
強肩・好打の名捕手としてスワローズ黄金時代を築いた古田敦也さん。
日本プロ野球選手会会長として史上初のストライキを決行するなどリーダーシップも高く評価されました。
古田敦也さんほど球団の垣根を超えてプロ野球ファンに愛された選手は数えるほど。
記憶にも記録にも残る名選手と言っても過言ではありません。
多くのプロ野球選手は幼少期から野球を始め私立の強豪校に進むのが一般的。
古田敦也さんも小学3年生から少年野球チームで野球を始めています。
早くから頭角を現した古田敦也さんは中学生の頃には既に注目される選手となっており多くの私立高校からスカウトもあったそうです。
ところが古田敦也さんが進んだのは公立の川西明峰高等学校。
もし中学生の頃からプロ野球選手を夢見ていれば私立の強豪校に進んでいるはず。
この時の古田敦也さんにはまだプロ野球は夢のまた夢だったのかもしれません。
古田敦也は立命館大学に一般入試で入った?
古田敦也さんの出身大学は関西の名門大学の1つである立命館大学。
立命館大学は多くのプロ野球選手を輩出する野球の名門であることでも知られています。
野球の強豪と言われる大学はスポーツ推薦などで優秀な学生を確保することは有名な話ですよね。
ですが古田敦也さんは一般入試で立命館大学経営学部に合格しているんです。
当初は同じく一般入試で合格し、立命館大学よりも強豪だった関西大学に進学を決めていたそうです。
そのため以前から勧誘されていた立命館大学野球部に断りの挨拶に行ったところ半ば強引に押し切られてしまったんだとか。
その日の夜に先輩が京都の高級料亭に誘ってくれたことが決定打となったようです。
古田敦也さんが眼鏡をかけるようになったのは大学入学後。
高校までは0.5だった視力が受験勉強で0.1まで下がってしまったことで眼鏡をかけるようになりました。
大学4年生の時にはキャプテンとなり関西学生リーグのベストナインには4度選出。
大学野球の日本代表メンバーにも選ばれるなどプロ野球の各球団が注目する選手に成長した古田敦也さん。
この頃になってようやくプロ野球選手を目指すようになったそうです。
古田敦也はめがねのおかげで名選手になれた?
かつて日本のプロ野球界では「眼鏡を掛けた捕手は大成しない」と考えられていました。
そのため大学4年生の時にドラフトの指名が当確と言われた古田敦也さんもドラフトの指名漏れという屈辱を経験しています。
ですがこの時の屈辱が反骨芯となり名選手となれたと後に古田敦也さんは語っています。
大学卒業後、古田敦也さんは一般の学生と同じく新卒採用でトヨタ自動車に入社。
同社の硬式野球部でも1年目から正捕手として活躍し、同年のオリンピック日本代表に選出されると野茂英雄さんや塩崎哲也さん等とバッテリーを組み銀メダル獲得に大いに貢献しました。
この活躍が高く評価され古田敦也さんは1989年にドラフト2位でヤクルトに入団。
ヤクルト入団後は1年目から正捕手の座を獲得。
盗塁阻止率はリーグ1位を記録しゴールデングラブ賞を受賞するなど「眼鏡を掛けた捕手は大成しない」という固定観念を壊す活躍を見せました。
その後もMVPやベストナイン、ゴールデングラブ賞など多くの賞を受賞し球界を代表する名捕手となった古田敦也さん。
2015年に野球殿堂入りした際に一番誇れる記録について聞かれると
うーん、記録ではないんですが、やっぱり眼鏡をかけてやってこられたということかな。当時は眼鏡をした選手はダメといわれていましたから
と語っています。
ドラフトの指名漏れの原因となった眼鏡を誇りにかえた古田敦也さん。
僕もメガネをかけて野球を続けています
と野球少年に言われ嬉しかったというエピソードも明かしています。
古田敦也さんがいなければ今も眼鏡をかけた選手はダメ、と言われ続けていたかもしれません。
そう考えると古田敦也さんが野球界に与えた影響は相当大きいものがあると言えるでしょう。
古田敦也の解説が話題に?
プロ野球選手を引退後は解説者として活動する古田敦也さん。
野球の国際大会「WBCプレミア12」での解説が大きな話題となりました。
話題となったのは6回裏に当時、西武ライオンズに所属していた炭谷銀仁朗さんがダブルプレーになってしまったシーン。
古田敦也さんは大きな溜息をつきながら
最悪ですね
と低いトーンで発言。
また、選手がミスをすると舌打ちをすることもあったそうです。
この古田敦也さんの解説はネットでも賛否両論。
解説は冷静じゃなきゃダメ
古田の本音解説好き
冷静でいるより、一緒に熱くなってくれたほうが代表戦は楽しい
解説は公平かつ客観的に試合を見なければなりません。
その一方でファンと同じ目線で選手を叱咤激励してくれると見ている側も感情移入しやすいのも事実。
今後は選手のプレーだけでなく古田敦也さんの解説が集まること間違いなしですね。
古田敦也が監督にならない理由は?
2005年に29年ぶりとなる選手兼任監督となった古田敦也さん。
指揮を執るのは初めてであり選手も兼任という事で残念ながら思うような成績を残すことは出来ませんでした。
古田敦也さんはチームが不振の責任を取る形で2007年にヤクルトスワローズを退団しています。
プロ野球の各球団は生え抜きの名選手を監督やコーチに起用するのが殆ど。
ですが古田敦也さんは退団後、監督やコーチに就任していません。
現役時代はヤクルトスワローズ一筋で今でも「ミスタースワローズ」と言われる古田敦也さん。
2度目の監督就任を期待するファンは多いはず。
それにも関わらず監督やコーチの話が来ない原因はフロント陣との軋轢にあると言われています。
古田敦也さんが監督になると自分たちの思い通りに動かないと危惧しているのでしょう。
また、前述の通り感情の起伏が激しく辛辣な発言をする事から性格に難があるとも噂されています。
この事も監督になれない原因のようです。
スワローズファンのみならず多くのプロ野球ファンが古田敦也さんが現場に戻ってくることを期待しているはず。
いつか古田敦也さんがユニフォームにそでを通す日が来ることを願わずにはいられません。
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