映画監督、俳優、イラストレーター、CM作家など、さまざまな分野で才人ぶりを発揮した伊丹十三(いたみじゅうぞう)さん。
初監督作品『お葬式』以降、社会問題を題材としながらもエンターテイメント性にあふれた作風で、伊丹映画というブランドを築きました。
今回は、伊丹十三さんの家族についてお送りします。
息子たちや妻・宮本信子さん、また伊丹十三さんの名言についてまとめました。
伊丹十三の息子たち
伊丹十三さんの本名は池内義弘(いけうちよしひろ)さんといいます。
結婚歴は二度あり、最初の妻は、国際的映画人として知られた川喜多長政(かわきたながまさ)さんの娘・川喜多和子さんでした。
1966年に協議離婚をしたあと、大島渚監督作品『日本春歌考』で共演者の宮本信子さんと出会い、 1969年に再婚。
二人の息子をもうけました。
長男が俳優の池内万作さん、次男が池内万平さんです。
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家事や子育てにも関心の深い父親だった伊丹十三さん。
長男の池内万作さんは1989年、和光学園高校在学中にアメリカの高校へ編入し、卒業後はロンドンへ渡り、3年間演技と脚本を学びました。
帰国後の1995年に映画『フラート』でデビュー。
以降、映画『亡国のイージス』『犬神家の一族』(2006年版)、TBSドラマ『こちら本池上署』シリーズなどに出演している芸歴の長い俳優です。
私生活では1995年、44歳で音楽家の本田みちよさんと結婚。
本田みちよさんはCM、テレビ、映画など映像音楽のヴォーカルや作詞作曲、WEB音楽番組のプロデュースなど、多彩な活動を展開しているアーティストです。
2012年に本田さんがWEB音楽番組『MUSIC SHARE』を立ち上げた際、池内万作さんもメンバーとして参加しており、活動をともにするうちに恋愛に発展したのかもしれません。
つらかった時も変わらずにそばにいて支えてくれたと本田さんは振り返っています。
次男の池内万平さんは父・伊丹十三監督の二作品に子役で出演しています。
1984年の『お葬式』では、山崎努さんと宮本信子さんが演じる主人公夫婦の次男・次郎役。
1985年の『タンポポ』でも、やはり宮本信子さん演じるタンポポの息子役。
二世芸能人として俳優の道に進むかと思われましたが、現在は芸能活動をしていないそうです。
その理由については母である宮本信子さんがトーク番組で明かしています。
助監督に厳しくされて芸能界が嫌になり、今は記念館の手伝いをしています
2007年、愛媛県松山市に開館した伊丹十三記念館。
館長は宮本信子さん、運営母体は公益財団法人ITM伊丹記念財団です。
財団の公式HPをみると、評議員として池内万平さんの名前がありました。
現在、伊丹プロダクションの取締役とのことです。
伊丹十三の妻・宮本信子
結婚、出産後は子育てに専念していた宮本信子さん。
育児が一段落した頃、伊丹十三さんは自身の監督デビュー作の主演女優に妻を起用しました。
妻はいい女優なのに、なかなか主役の話が来ない。ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえばいい
宮本信子さんは映画『お葬式』を皮切りに伊丹監督全作品に出演し、『マルサの女』では日本アカデミー最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞ほか多数の賞を受賞。
また、二人は芸能界きってのおしどり夫婦でもありました。
生まれ変わってもまた結婚したい。最高の女優で、最高の奥さん
一方の宮本信子さんは、夫・伊丹十三さんとの結婚生活についてこう語っています。
旦那の伊丹は、生き方に対する美意識が高い人間なので、ついていくのが大変でした
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1997年の暮、麻布署で変わり果てた夫の姿と無言の対面をした宮本信子さん。
その際に受けたであろう衝撃ははかり知れません。
その後、仕事のスケジュールをキャンセルしてひっそりと身を隠していただけに体調が気遣われていましたが、年が明けてからは復帰に向けて気丈に準備を進めていたようです。
1月中旬まではやはりボーッとしていたようですが、誰かの詩を読んだら非常に勇気付けられた、とか言ってました。
『ふっきらなきゃあしょうがない』と割り切ったようで、それから日舞やジャズダンス、水泳などのお稽古事を再開したようです。
この1カ月はジムにも通って体を鍛え直すなど、仕事に備えていました
2021年は76歳になる年ですが、2018年もテレビドラマ『この世界の片隅に』に森田イト役で出演するなど元気な姿を見せています。
伊丹十三の名言
『女たちよ!』など軽妙なエッセイを次々と発表し、文筆家としても知られる伊丹十三さん。
新しい視点に気づかせてくれる言葉や、短い表現で物ごとの本質をとらえた含蓄のある言葉を残しています。
その中のひとつを紹介しましょう。
自分に出会えない人生は、他者とも出会えない
人間は生きるうえでさまざまな人と出会います。
その人がどんな人間かは周りの人を見ればわかるとよく言いますね。
似た者同士は共鳴しやすいのでしょう。
だとすれば、私たちが出会う相手は、自分の成長や変化によって違ってくることになります。
自分の成長や変化によって別れも当然起こるでしょう。
自分を取り巻く環境は出会う人々によっておおかた決定づけられますから、環境が変わっていないとすれば、自分が変化していないと考えたほうがよさそうです。
自分が何者であるかは、一人ひとりが一生を通じて発見していくものなのかもしれません。
その発見の深さに応じて出会いや環境が決まってくるといえるでしょう。
自分自身を深く知れば知るほど、出会いも進化していくと伊丹監督は言っているのだと思います。
伊丹十三さんの死は、日本映画界にとって大きな損失でした。
もし健在であれば、宮本信子さん以外の主役を立てる時があったかもしれません。
そうした作品も映画ファンは観てみたかったことでしょう。
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