CMソングやアニメソングの作曲家として、また『寺内貫太郎一家』『象印クイズ ヒントでピント』の俳優・タレントとして、昭和世代にはおなじみの小林亜星(こばやし あせい)さん。
2021年5月30日、心不全のため逝去されました。
近年はメディアへの露出がなくなり、病気を心配する声もありました。
また、大学時代は医学部だったという噂や天才と呼ばれる作曲家人生についてまとめます。
小林亜星のプロフィール
本名:小林 亜星
生年月日:1932年8月11日
死亡日: 2021年5月30日
身長:169センチ
血液型:O型
出身地:東京都 杉並区
最終学歴:慶應義塾大学経済学部
所属事務所:アストロミュージック
小林亜星が死去、心臓疾患も最後まで元気
5月30日早朝、体調が急変し体調不良のため救急搬送されましたが、逝去されました。
88歳と高齢だった小林さんですが、死の直前まで元気に過ごされていたようです。
小林亜星さんが5月30日、心不全のため死去した。88歳。東京都出身。所属事務所が14日に発表した。葬儀は近親者で済ませた。
近年は表舞台に出ることがほとんどなくなり、2015年には心臓疾患を診断されていた小林亜星さん。
それでも、2018年8月にはバラエティ番組出演やインタビューで健在ぶりを披露していました。
糖尿病の病院は毎月1回は通っている。
糖尿病は35、6の時からずっと。
今のところ何の影響もない。
薬を飲むぐらい。
なんでも食う。
2018年9月には、『寺内貫太郎一家』で共演した樹木希林さんの逝去を受けて追悼コメントを発表。
同年5月に他界した寺内家の長男役・西城秀樹さんについても悲痛な思いを告白しました。
長い間、体調を悪くされておられたそうで、心配しておりましたが、このような結果となり、大変残念な思いです。
『寺内貫太郎一家』のメンバーもほとんど亡くなられてさみしい限りです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
体型と貫禄は『寺内貫太郎一家』時代のままで、糖尿病を抱えてはいるものの元気だったとのこと。
これまで仕事をセーブし、塩分控えめな食事をとるなど健康管理をしてきたようです。
晩年は夫婦で旅行を楽しむなど悠々自適な毎日。
小林亜星さんは1932年8月11日生まれで、88歳を迎えていました。
母親は102歳の長寿だったそうで、長生きの家系なのかもしれませんね。
「亜星」という名前は個性的ですが、本名です。
新築地劇団の女優だった母が尊敬していた演出家・村山知義さんの息子の名前である亜土さんを真似て命名したそうです。
けれども、小林亜星さんはこの名前が嫌いだったそう。
アメリカの「亜」に星条旗の「星」だったことから、戦時中はアメリカのスパイと言われたこともあるようです。
小林亜星は慶應義塾大学医学部
小林亜星さんは慶應義塾大学医学部に進学し、経済学部に転部して卒業しています。
祖父は医者でした。
医学部に入学したものの、医者になるのは気がすすまなかったようです。
僕はおっちょこちょいだから医者には向いてないの。
実習のときにいっつも「あっいけね、あっいけね」って(笑)。
ソケットでも全然違うところに入れちゃうし、カエルの解剖も焼いて食っちゃった(笑)。
みんな呆れてましたね。
それで3年になるときに経済学部に移ったんです。
まあ、親も諦めてましたね、この不良息子には。
音楽活動に熱中したことも転部の理由のひとつだったのでしょう。
朝鮮戦争が始まり、横浜に進駐軍御用達ののクラブがたくさんできた時代でした。
バンドの数が足りず、小林亜星さんの学生バンドにも声がかかるようになり、Women’s Army Clubの専属バンドに。
小林亜星さんはビブラフォン奏者だったそうです。
小林亜星は天才メロディーメーカー!
小林亜星さんの作曲家人生は、昭和のアニメソングやCMソングとともにあったといえるでしょう。
日本のテレビアニメ誕生時から現場に立ち会ってきた、アニメ音楽のパイオニアです。
『狼少年ケン』『魔法使いサリー』『科学忍者隊ガッチャマン』『ひみつのアッコちゃん』など、昭和育ちの世代ならおなじみの曲ばかり。
CMソングでは、『日立の樹』(この木なんの木)、ブリヂストンの『どこまでも行こう』、『ブルーダイヤ・金銀パールプレゼント』、『酒は大関こころいき』、『ファミリーマートのテーマ』(あなたとコンビに)、『パッとさいでりあ』など、手がけた曲は5000曲以上。
小林亜星さんが天賦の才を発揮したのはメロディーだけではありません。
リズム、アレンジ、歌い方など、斬新でオリジナリティーあふれるアイデアの数々は、後のアニメソングの雛形を築くことになりました。
『小林亜星CMソング・アンソロジー』や『小林亜星アニメ・トラック・アンソロジー』もリリースされ、大好評を得ています。
今私は、音楽で飯を食うということの楽しさも地獄も経験し、それを静かに振り返って見られる年齢になりましたが、どんな高度な音楽をやろうと、又大衆の為の音楽に身をまかせようと、音楽に対する素朴な感動だけは失いたくないものだと思っております。
『寺内貫太郎一家』は、怒ってちゃぶ台をひっくり返す父親が話題になった番組。
茶の間で繰り広げられる家族げんかも人気を呼びました。
昭和も平成も過去になった今、こうした父親像や家族像がほとんど見られなくなったのは少しさびしい気もします。
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