堀江美都子、若い頃から現在(2023)までの活動!フィリピン国賓級の扱い&歌唱力がすごい

堀江美都子(ほりえみつこ)さんは1969年、まだ小学生の時にアニメ「紅三四郎」の主題歌で歌手デビューしました。

それ以降様々なアニメソングを歌唱し、「アニメソングの女王」「アニソン界のプリンセス」と呼ばれ、ささきいさおさん、水木一郎さん、大杉久美子さんらとともに「アニソン四天王」とも呼ばれています。

アニソン歌手としての活動と並行して声優としても活躍し、「ひみつのアッコちゃん」のアッコちゃんなどを演じられています。

そんな堀江美都子さんの若い頃から2023年現在までの長いキャリアについてや、フィリピンでは国賓級の扱いを受けている件について、その歌唱力についてなど、お伝えします。

堀江美都子のプロフィール

愛称:ミッチ

本名:堀江美都子

生年月日:1957年(昭和32年)3月8日

身長:153cm

出身地:神奈川県大和市

最終学歴:鶴見大学附属高等学校卒業

所属事務所:オフィスミッチ、青二プロダクション

堀江美都子、若い頃から現在(2023)までの活動

堀江美都子さんは、2020年8月10日に歌手デビュー50周年を迎えられました。

堀江さんが歌手になったきっかけは、1966年に当時大人気だったテレビ番組「日清ちびっこのどじまん」に出場し、準優勝を受賞したことでした。


当時堀江さんは9歳で、歌った曲は童謡「ドナドナ」でした。

それから3年後の12才の時、アニメ「紅三四郎」の主題歌「紅三四郎」で歌手デビューを果たしました。

「日清ちびっこのどじまん」に出演した子どもたちの中からオーディションが行われ、堀江さんが見事に歌手デビューの切符を勝ち取ったそうです。

それまでのアニメ主題歌は、歌謡界の歌手が名前を変えてアルバイト的に歌っていたりなど、「アニソン歌手」というものが確立されていませんでした。

堀江さんはその「アニソン歌手」のパイオニアとして、数々のアニメ主題歌を歌い、多い時では1週間に10作品も主題歌を担当したアニメが放映されていたそうです。

当時はまだ小学生でしたので、平日は普通に学校に通い、週末にレコーディングを行っていたそうです。

アニメ「ハクション大魔王」のエンディング曲「アクビ娘の歌」や、「サザエさん」の主題歌「サザエさんのうた」など、当時の大人も子どもも耳馴染みのある楽曲を歌っていましたが、特に堀江さんの名前が世の中に知れ渡るきっかけになったのは、「キャンディ♡キャンディ」の主題歌「キャンディ キャンディ」です。

1976年10月から放送の始まった「キャンディ♡キャンディ」の主題歌は大ヒットして、最終的には120万枚の売上枚数を記録し、堀江さんの名前が一気に一般的に広まりました。

その頃から堀江さんはアニソン歌手だけではなく、声優としての活動もスタートしています。

声優活動に関しては、「主題歌を歌っている歌手が主役をやれば、その番組のアイドルになり、商業的な成功が見込めるのではないか」というアニメ業界の思惑が発端だったそうで、堀江さんは演技の基礎も全くない状態で業界に放り込まれたそうです。

声優としてのデビュー作になった「宇宙魔神ダイケンゴー」の収録時に、音響監督から「指導できるレベルにすら達していない」という評価を受けてしまいましたが、「このままではいけない」と声優業にも力を入れ、次第に主題歌を担当しないアニメからも声優として声がかかり始め「認めてもらえた」と感じたそうです。


その集大成とも言えるのが、1988年から放送の始まった「ひみつのアッコちゃん」です。

「ひみつのアッコちゃん」では主題歌とエンディングを歌唱し、主役のアッコちゃんの声優も務めました。

堀江さんはスーパー戦隊シリーズとの縁も深く、1975年から放送されたスーパー戦隊第1作目「秘密戦隊ゴレンジャー」の主題歌「進め!ゴレンジャー」をささきいさおさんとデュエットしています。

戦隊ものの主題歌とあって、アニメ主題歌よりも勇ましい歌声が印象的です。

それから46年後の2021年から放送が始まった「スーパー戦隊シリーズ45作記念作品」である「機界戦隊ゼンカイジャー」では、再びささきいさおさんとロボ曲「全界合体!ジュラガオーン」をデュエットしています。

46年前以上に迫力のある歌唱で、レジェンドアニソン歌手のデュエットが作品を盛り上げました。

2023年には歌手生活53年目を迎える堀江美都子さんですが、変わらず精力的に活動を続けておられます。

フィリピン国賓級の扱いを受けている

堀江美都子さんは1977年に日本で放送された「超電磁マシーン ボルテスV」の主題歌「ボルテスVの歌」を歌っています。

「超電磁マシーン ボルテスV」は1978年からフィリピンでも放送されていて、最高視聴率が58%を記録するほどの人気で、主題歌は日本語でありながらフィリピンの子どもたちは日本語で歌っていたそうです。


当時堀江さんはフィリピンで行われる音楽祭に国賓として招待されていましたが、政治的な事情があり参加することは叶いませんでした。

ですが、1999年にフィリピンでボルテスVが再放送されるとリバイバルヒットし、視聴率30%を記録しました。

再び堀江さんは音楽祭に招かれ、今度は政治的な事情もなく、無事にステージを行えたそうです。

その際、堀江さんは国賓として扱われ、移動車には警察の先導が付き、信号がすべて青信号になるという待遇を受けました。

子供の頃から鍛えた高い歌唱力

堀江美都子さんは2歳ごろからオペラのコンサートに連れて行かれたり、子守唄がクラシック音楽だったり、英才教育を受けていました。

ヴァイオリンなども早くから習い、幼少の頃から音感を鍛えていました。

それに伴って歌も上手になっていきました。

確かなピッチコントロールと発声は、子供の頃から数々の歌を歌い、レコーディングなどで鍛えられた成果でしょう。

また、声優としての活動は歌の表現力にも影響を与えたのではないかと思われます。

2023年には66歳を迎えられた堀江さんですが、これからも素晴らしい歌声を聴かせてほしいですね。

関連記事
堀江美都子の息子・諒介はミュージシャン!夫との結婚&堀江由衣は家族ではない

影山ヒロノブ、若い頃にバンド!現在(2023)年収6千万?海外人気高くスペインでも好評

浅香唯の中学時代は無敵?出身高校は?学歴まとめ!本名は?

浅香唯、子供の現在(2023)。娘は西川陽舞莉&息子は浅香航大の噂なぜ

小林亜星が死去。死因は心不全。医学部の秀才&天才エピソード

中川翔子の奈良保健所猫騒動とは!?彼女は脳障害!?嘘の「まとめ」と共に!