高木守道が自宅で指揮?監督成績まとめ。今は心不全で死去。井端や権藤に激怒&普通が賞賛

たびたび日本プロ野球の歴史の中で最高の二塁手と称される高木守道(たかぎ もりみち)さん。

中日ドラゴンズに守備の名手が多いのは高木守道さんの影響が大きいのかも。

高木守道のプロフィール

本名:高木守道

生年月日:1941年7月17日

身長:174cm

血液型:不明

出身地:岐阜県岐阜市

最終学歴:岐阜県立岐阜商業高校

所属球団:中日ドラゴンズ(最終所属)

高木守道が自宅から指揮?

通常、プロ野球の監督はベンチから指揮をしますよね。

ですが高木守道さんはベンチではなく自宅から指揮をした事があるんです。

それは2012年6月7日に行われた2軍戦でのこと。


関東遠征から名古屋に戻った高木守道さん。

同日は1軍の野手陣は休暇日でしたが数名の選手が2軍戦に出場していました。

高木守道さんは2軍戦に出場している1軍選手の様子が気になり自宅のCS放送で見ていたそうです。

そしてベンチ外にいるチーム関係者の携帯電話に電話をして二塁と遊撃手を入れ替えるよう指示。

その連絡を受けた2軍監督は次の回から二遊間の守備を入れ替えています。

休日も選手の状態をチェックするなんてなかなか出来る事ではありません。

ただ、2軍の監督やコーチを信頼していれば逐一チェックをする必要はなかったのではないでしょうか。

もしかすると当時の中日ドラゴンズは1軍と2軍で意思の疎通が出来ていなかったのかも。

いくら良い選手が集まったとしてもチームとして上手く機能していなければ優勝なんて出来ません。

高木守道さんが監督時代に優勝できなかったのは意思の疎通に問題があったのかもしれません。

異例の事態には性格も影響?

自宅から指揮というまさかの事態は、ファンにも衝撃を与えました。

多くの関係者が耳を疑ったことでしょう。

鈴木2軍監督は「意図?

 糸もロープもないよ!

 監督から電話がかかってきたんだから」と驚きの表情だった。

なぜこんなことが起こったのかは、明らかになっていません。

高木守道さん本人からの詳しい説明などはなかったようです。

報道のとおり、「テレビを見ていたら気になった」というのが、すべてなのかもしれません。

他に考えられるとすれば、頭に血が上りやすい性格です。

2012年は、サインがうまく伝わらないことに激怒し、サインプレーを放棄したことがあります。

このときの記事では、以前から有名だった異名が、改めて注目されることになりました。

瞬間湯沸かし器の異名を持つ監督が、鬼の一面をのぞかせた。

一度火がついたら周りが見えなくなり、感情に流されまくる癖には、盟友・権藤博さんも苦労したのだとか。

おそらく、「こうだ」と思ったら、行動せずにはいられないタイプなのでしょう。

感情的に投手をパッパと代えようとするから、「待ってください」「ここは我慢しましょう」と私は押しとどめる。

自宅指揮の際も、この癖が出てしまった可能性はあります。


テレビを見ていて「これではいけない」と感じ、すっかりヒートアップした結果、いても立ってもいられず電話をかけたのでしょう。

普通はやらないとわかっていても、頭に血が上った状態では、ブレーキをかけられなかったのではないでしょうか。

落合博満の自宅でも驚きの行動

高木守道さんの「自宅」がキーワードになる珍エピソードでは、さらに昔のものを思い浮かべる人も多いでしょう。

ただし、話の中に登場するのは、自分の家ではありません。

中日ドラゴンズの監督に就任する少し前、まだ何も知らない落合博満さんの自宅に、突然挨拶に行ったのです。

監督就任が公表される前なら、本当に極秘の挨拶だったのでしょう。

就任前の監督が選手に挨拶をするというのは、自宅指揮と同じく非常に珍しいことです。

奥さんと一緒に応対した落合博満さんは、かなり戸惑ったことでしょう。

普通は来ないよ。だから何があったのかは分かんないけど、一応、筋目は通しておこうかっていうようなことなのかな

この挨拶の理由も詳しくはわかりませんが、他の人なら避けることを平気でやってしまうのは、やはり性格の影響が大きいのかもしれません。

選手への早めの挨拶が必要と感じたら最後、どんなに異例の事態であっても、行動せずにはいられなかったのではないでしょうか。

高木守道の監督成績は?

西沢道夫さん、立浪和義さんと共に「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる高木守道さん。

現役時代は走攻守の三拍子が揃った二塁手として知られ盗塁王やゴールデングラブ賞、ベストナインを複数回受賞。

リードオフマンながら24本の本塁打を記録した年もあるなど長打力も備えていました。

歴代のプロ野球選手からベストナインを選ぶ企画では二塁手に選出される事も少なくありません。

中日ドラゴンズのレジェンドと呼べる存在なのです。

ですので中日ドラゴンズの監督に就任するのも当然と言えるでしょう。

これまで2度に渡って中日ドラゴンズで指揮を執った高木守道さん。

通算7年間の勝率は約5割でAクラスが3回にBクラスが4回。

1994年には今や伝説の最終戦同率首位決戦に臨むも敗戦。

2012年はクライマックスシリーズのファイナルステージに進出しますが敗退と一度も優勝することは出来ませんでした。

昔から良く「名選手、必ずしも名監督にあらず」と言われていますよね。

残念ながらこの言葉の通りとなってしまっているようです。

高木守道、今は心不全で死去

1941年生まれで、2023年は82歳を迎える高木守道さん。

2013年に監督を退任してからは解説者としての活動も散発的。

プロ野球の試合は長丁場になることが少なくないので体力的に厳しかったのかもしれません。


高木守道さんは長年に渡って肉体的にも精神的にも負担が大きい世界で活躍してきました。

そのため、ゆっくりした生活を送りたかったのでしょう。

しかし、そんな暮らしは病気のために終わりを迎えてしまいます。

2020年1月、突然の訃報が流れました。

中日元監督の高木守道さんが17日、心不全のため死去した。78歳だった。

このニュースには、多くのファンが衝撃を受けたことでしょう。

最近のプロ野球界は以前と比べて大人しい印象が強くなっています。

そのためたまには高木守道さんのような個性的な人が恋しくなってしまいますよね。

高木守道が井端に激怒?

高木守道さんを始め守備の名手と呼ばれる選手が多い中日ドラゴンズ。

2000年代に活躍し、「アライバコンビ」と呼ばれた井端弘和さんと荒木雅博さんも間違いなく守備の名手と呼べる選手でした。

二遊間を守り1番打者、2番打者を務めるなど二人は好守において中日ドラゴンズの生命線と言える存在でした。

首脳陣からの評価も高く面倒見の良さから選手からも慕われていた井端弘和さん。

まさに中日ドラゴンズの顔と呼べる選手でしたが、2013年、高木守道さんと激しい口論をした事があったんです。

センター前ヒットを打たれた際に遊撃手の井端弘和さんが中継に入らなかったことが不服だった高木守道さん。

ベンチに戻った際に詰め寄るも不満そうにベンチ裏に消えた姿を見て激怒しました。

その後、追いかけてベンチ裏へ向かう姿がテレビ中継に映ってしまったんです。

ただ、このケースだと一般的に中継に入るのは遊撃手ではなく一塁手。

そのため井端弘和さんにしてみれば中継に入らなかった一塁手のとばっちりを受けたことになります。

ですが「自分が中継に入るべきだった」と試合後にコメント。

きっと内心では納得いかないところがあったはず。

それでも自分と監督が揉めるのはチームにとって決して良い事ではないと大人の対応をしたのでしょう。

高木守道さんが監督として結果を残すことが出来なかったのはこういった所に原因があったのかもしれませんね。

高木守道と権藤のバトルが名物に?

横浜ベイスターズを38年ぶりに日本一に導くなど指導者としての手腕が高く評価される権藤博さん。

監督のみならずコーチとしても類まれな才能を発揮し、いくつものチームでコーチを務めてきました。

2012年に高木守道さんが中日ドラゴンズの監督に復帰した際に権藤博さんは投手コーチに就任。

12年ぶりに現場に復帰した事、監督と投手コーチが共に70代という事が当時は大きな話題となりました。

監督としてもコーチとしても超一流の権藤博さん。

確固たる持論があるようで譲れない部分があると相手が誰であろうと異論を唱えるそうです。

そのためコーチ時代には監督と衝突する事が少なくありませんでした。

それは高木守道さんが相手でも例外ではありません。

球界最高齢の監督と投手コーチによるバトルは中日ドラゴンズの名物として度々話題になりました。

ところが度重なる衝突によるためか権藤博さんは1年で投手コーチを解任。

高木守道さん曰く、性格的には合わないことは分かっていたのだとか。

OBをコーチに起用したいという球団の意向が強かったために割り切って投手コーチをお願いしたそうです。


それにも関わらず僅か1年での解任。

頭では割り切ったつもりでも心のどこかには割り切れていない部分があったのかもしれません。

権藤博さんを解任した翌年、2013年の中日ドラゴンズは首位と22ゲーム差の4位に終わっています。

2012年が10.5ゲーム差の2位だったことを考えると解任は失敗だったと言えるでしょう。

高木守道の「普通です」は賞賛の言葉?

現場から離れている時はプロ野球解説者として活動していた高木守道さん。

現役の頃は無口で知られましたがそれは解説者になっても変わらず。

そのため「一番しゃべらない解説者」と言われていました。

しかも解説の基準が現役時代の自分だったため、素人目にはファインプレーに見えるプレーでも「普通です」とコメント。

史上最高の二塁手との呼び声高い高木守道さんと比べるとどんな選手も平凡に見えてしまうのは仕方ありません。

ただ、その基準で「普通」という事は、同程度のプレーが出来ているということ。

つまり褒め言葉ということになりますよね。


きっと高木守道さんに「ファインプレー」と言ってもらえるように頑張っている選手も少なくないはず。

特に同じ二塁手にとってはこれ以上ない名誉と言えるかもしれません。

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