中日ドラゴンズのレジェンドと言える存在の立浪和義(たつなみ かずよし)さん。
走攻守に加え甘いマスクで球界を代表する選手として大人気でした。
立浪和義のプロフィール
本名:立浪和義
生年月日:1969年8月19日
身長:173cm
血液型:A型
出身地:大阪府摂津市
最終学歴:PL学園高等学校
所属球団:中日ドラゴンズ
立浪和義と落合博満は不仲?
高校野球の名門、PL学園高校では1987年の春、夏と甲子園連覇を達成。
同年のドラフトでは2球団競合によりくじ引きで中日ドラゴンズに入団した立浪和義さん。
入団1年目から活躍し新人王とゴールデングラブ賞を受賞。
プロ野球選手としての実力に加えて端正な顔立ちから「竜のプリンス」と呼ばれた事もあります。
1988年から2009年までの22年間に渡る現役生活を生涯、中日ドラゴンズに捧げました。
「ミスタードラゴンズ」として今も中日ドラゴンズファンに愛される名選手です。
原因はレギュラー剥奪?
2006年にサードを森野将彦さんと争うも、森野さんの怪我によりレギュラーを確保。
ところがシーズン途中に森野さんにレギュラーを奪われるとそれ以降は代打での起用が増えることに。
その後もレギュラーの座を勝ち取る事は出来ず2009年に引退を決意することとなっています。
立浪和義さんの野球人生において2006年がターニングポイントとなった事は間違いないでしょう。
長年、中日ドラゴンズに貢献してきたことを考えれば、レギュラーを剥奪するのはなかなか決断できる事ではありません。
ですがこの決断を下したのは当時、監督を務めていた落合博満さんでした。
実力主義で勝利を至上命題にしていた落合さん。
時には「オレ流采配」と言われる独自の采配で批判を受ける事もありました。
ですが中日ドラゴンズの黄金期を築いた功労者の一人。
「名選手、必ずしも名監督にあらず」とよく言われますが落合博満さんは名選手でもあり名監督でもある稀有な人物でした。
そんな人物だからこそレギュラー剥奪を決断できたのでしょう。
落合博満さんは勝負の場に私情を持ち込まない事でも有名でした。
2007年の日本シリーズで完全試合目前にピッチャーを交代エピソードがその事を何よりも物語っています。
私情を持ち込まないエピソードは他にもあります。
立浪和義さん引退後、背番号「3」を永久欠番にしようというファンによる署名活動がありました。
ですが、森野将彦さんに背番号「3」を譲渡しようと考えていたそうです。
ただ、背番号「3」があまりにも重すぎるため森野さんは辞退しています。
長年、中日ドラゴンズで活躍した立浪和義さんの背番号を永久欠番に、というのはファンとしては当然の思いだったのかもしれません。
ですが監督からしてみれば「背番号なんてただの数字」と思っていたのでしょうか。
これら一連の出来事が影響してか、立浪和義さんと落合博満さんは仲が悪いと言われているようです。
不仲ではない可能性
不仲説については世間が憶測に基づいて噂しているだけなので、真偽は定かではありません。
ただ立浪和義さんは20年以上もプロ野球界で活躍した名選手。
プロの世界であれば実力がある人がレギュラーになるのは当然、と考えているはずです。
なのでレギュラーを剥奪したくらいで監督の事を憎んだり恨んだりすることはないと思います。
また背番号についても立浪和義さんが3番に愛着を持っていた事は間違いないでしょう。
ですが永久欠番を望んでいたかは分かりません。
むしろ3番を付けた別の選手が活躍する事でもっと大きな価値のある番号にして欲しいと思っていたのではないでしょうか。
微妙な関係だったが感謝の気持ちも
不仲説には賛否あり、「本当かも」「そんなはずないだろう」など、さまざまな意見が出ていました。
そんな中、2019年はかなり有力な情報が出て話題になります。
立浪和義さん本人が、関係が良くなかったことをはっきり明かしたのです。
【殿堂入り祝う会】立浪和義氏、現役最後の3年半は「落合監督との関係が良くなかった」と告白https://t.co/sjgWZ9zHrm
その上で「日にちを重ねるごとに落合監督の考え方が分かり、一番野球を勉強した。一番、人間的に成長させてもらった」と感謝の言葉を述べた。 pic.twitter.com/oElYJLtlHI
— ライブドアニュース (@livedoornews) December 5, 2019
この言葉を素直に受け取るなら、最初だけとはいえ、不仲な時期があったことは間違いなさそうです。
険悪な関係とまではいかなくとも、「良好」という表現が合わない微妙な関係だったのではないでしょうか。
しかし、あくまでも本人の感じ方なので、「まだわからない」と考える人もいるかもしれません。
落合博満さんは特に言及していないため、実際は普通という可能性も残されています。
当初の仲が実際にどうだったのかは、やはり当人同士にしかわからないのかもしれません。
ただ、ずっと良くない関係が続いているわけではないでしょう。
微妙な関係については「最初」と発言しており、そのあとで感謝の気持ちも語っています。
代打で過ごした最後の3年半は、日々を重ねるごとに監督の考えが分かり、一番野球の勉強をさせてもらった。人間的に最も成長できたのが落合監督の時だった
確かに最初はぎくしゃくしていたかもしれませんが、次第に打ち解けていったのではないでしょうか。
少なくとも立浪和義さんには、ネガティブな感情は残っていないようです。
良くない関係が続いている?
良くない関係について過去のこととして語った立浪和義さんですが、ファンの意見はまだ割れている可能性があります。
その原因は、落合博満さんからの苦言です。
2022年5月、根尾昂さんの起用に関して、テレビ番組で否定的な意見を述べていました。
どうなんですかねえ……。どっちつかずになっちゃうんじゃないですか
この発言により、「まだすっかり良好ではないんだな」と感じた人も多かったのではないでしょうか。
他にも、立浪和義さんを擁護する声や、関係悪化を進ませるような報道に疑問を感じる声など、さまざまな意見が出たようです。
根尾昂の起用法に苦言…中日・立浪監督に立ちはだかる「落合博満」という雑音(日刊ゲンダイDIGITAL)#Yahooニュースhttps://t.co/fTSoa03VZm
落合のいう事なんか無視してりゃぁいいんだよ。監督の好きなように指揮してれば。
にしても、いい時計してんな。— オクやん (@v_l32) May 30, 2022
根尾昂の起用法に苦言…中日・立浪監督に立ちはだかる「落合博満」という雑音(日刊ゲンダイDIGITAL)#Yahooニュースhttps://t.co/9aefTDXgSz
落合さんじゃなくてマスコミが雑音。
未だに対立構造作ろうとするの滑稽すぎる。— アオラ (@aoraichu) May 30, 2022
さらに、同年7月には公式YouTubeチャンネルでの発言も話題になりました。
「中日のショートはどの選手がいい?」という質問に対して、京田陽太さんの名前を挙げた落合博満さん。
内部の事情を知らない人物が選手の起用に口を出したということで、批判的な声が上がりました。
この発言が、現監督の決断に影響を与えてしまう心配もあるのだとか。
ぎこちない関係が本当に過去のことであれば、あまりピリピリしないよう、発言にも注意した方がよいのかもしれません。
立浪和義は星野仙一のおかげで頑張れた
一人の人物との出会いがその後の運命を大きく変える、という事は少なくありません。
立浪和義さんにとって星野仙一さんはまさにそんな人物でした。
早くからドラフト会議で立浪和義さんを指名すると宣言していた南海ホークス。
そのため立浪さんも南海ホークスへの入団を決めていたそうです。
ところがドラフト直前で中日ドラゴンズからも1位指名される可能性があると聞かされます。
するとドラフト会議で2球団の競合となり、くじを引き当てたのは中日ドラゴンズでした。
この時くじを引いたのが当時、監督だった星野仙一さん。
また星野さんは高卒ルーキーの立浪和義さんを開幕からショートのスタメンで起用します。
これは球団史上初めての事でした。
しかも前年度ショートのレギュラーだった宇野勝さんはベストナインに選出される程の名選手。
ですので、まさかスタメンで起用されるとは思っていなかったそうです。
星野仙一さんと言えば激情家で怒ってばかり、というイメージが強いですよね。
立浪さんも「10回怒られて1回褒められる」くらいの割合だったと語っています。
その1回がとても嬉しいため、選手達は頑張っていたところもあったそうです。
ただ、当時は怒りの中にも愛情を感じていたんだとか。
それもあり、監督の期待に応えるべく必死に野球に取り組みました。
星野監督の教えがあったからプロ野球界で頑張れた、と語っています。
ミスタードラゴンズと呼ばれ中日ドラゴンズを代表する選手となった立浪和義さん。
星野仙一さんが監督としての成績だけでなく選手を育て上げる手腕も素晴らしいことが良く分かります。
名将と言われるのも納得ですね。
立浪和義が清原和博の支えに
立浪和義さんを始め多くのプロ野球選手を輩出しているPL学園高校。
なかでも別格と言える存在なのが清原和博さん。
1年生の頃からPL学園の4番に座り甲子園に5季連続で出場し2度の優勝。
桑田真澄さんとの「KKコンビ」は日本で大フィーバーとなりました。
高校卒業後は読売巨人軍への入団を希望するも読売巨人軍はドラフトで清原和博さんを指名せず。
ドラフト1位で西武ライオンズに入団すると新人王を獲得する大活躍。
入団2年目の日本シリーズで因縁の相手ともいえる巨人軍と対戦した時に見せた涙は今も語り草となっています。
ベストナインやゴールデングラブ賞、オールスタゲームのMVPなど幾つもの表彰歴を持つ清原和博さん。
ですが本塁打王や打点王、首位打者といった打者の三冠タイトルの経験は無し。
そのため「無冠の帝王」と呼ばれる事もありますが球史に残る名選手であることは疑いようもない事実です。
引退後の逮捕と薬物との闘い
引退後も評論家やタレントとして大活躍だった清原和博さん。
多くのプロ野球選手が引退後の生活に苦労している事を考えると非常に恵まれた環境だった事は間違いありません。
ところが、2016年2月2日に覚せい剤取締法違反で逮捕。
警視庁は東京都港区の自宅マンションで覚せい剤を所持していたとして、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで、清原容疑者を現行犯逮捕した。
この事件でプロ野球界はもちろんのこと日本中が騒然となりました。
同年7月5日に執行猶予付きの有罪判決が言い渡された清原和博さん。
2014年から候補入りしていた野球殿堂入りの候補からも除外されるなど輝かしいプロ野球選手時代の功績をも汚す事となってしまいました。
今は医療機関や多くの人たちに支えられ依存症と闘っています。
薬物事件を経ても良好な関係
PL学園では2年後輩だった立浪和義さんも、支えになっているうちの1人。
清原和博さんは保釈後、あまり人にあわない生活を送っていましたが2人は何度か会っていたそうです。
一緒に食事をしながら薬物依存と闘っている事など色々な話をしたそうです。
逮捕された事がきっかけで清原和博さんの元から離れていった人も多かったはず。
それでも救いの手を差し伸べていることから、立浪和義さんの懐の深さが分かるとともに2人が先輩・後輩以上の関係性である事も分かりますね。
立浪和義の性格は?
幼少期に父親が家を出て行ってしまったという立浪和義さん。
そのためリトルリーグで遠征に行くときなど、必要な準備は全て自分で行うなど自立心が強い性格に育ったそうです。
家族で男が自分だけだったことから自立心だけでなく忍耐力も鍛えられたのでしょう。
PL学園高校での厳しい練習でも常に冷静で辛い姿を見せる事はなかったそうです。
口ではなく行動でチームメイトを引っ張るタイプだった立浪和義さんですが1度だけある予告をした事があるんです。
それは2000本安打達成の予告。
この試合で2000本安打を達成すると予告し、見事に有言実行しました。
対戦相手の読売巨人軍に当時所属していた清原和博さんから祝福の花束を受け取っています。
普段は大口を叩くようなタイプではないという立浪和義さん。
清原さんから花束を受け取るために何としても巨人戦で2000本安打を達成したい、という思いがあったのでしょう。
敢えて2000本安打達成を公言することで自分にプレッシャーをかけたのかも知れませんね。
立浪和義さんは自分で自分を追い込むことで結果に繋げる勝負強さを持っている事が分かります。
きっとそれくらいの気概が無ければプロ野球選手として大成しないのでしょうね。
立浪和義こそ本当の守備の名手!
守備の名手の証であるゴールデングラブ賞。
立浪和義さんは複数のポジションで通算5度のゴールデングラブ賞を受賞しています。
プロ野球界には守備の名手と言われる選手は少なくありません。
ですが立浪和義さんは歴代最高の選手とさえ言われる名手。
守備範囲が広く強肩で俊足。
さらに守備中に投手や他の選手に指示を出すなど第二の監督と言われる活躍ぶり。
立浪和義さんは攻守に渡って中日ドラゴンズの黄金期に貢献していたことが良く分かりますよね。
福留孝介さんや新庄剛志さんなど影響を与えたプロ野球選手は数知れず。
輝かしい成績を残す事やチームの勝利に貢献するだけがプロではありません。
お客さんを楽しませて良い影響を与えられてこそ本当のプロ。
多くの人々に影響を与えた立浪和義さんは間違いなく本当のプロ野球選手といえますよね。
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コメント
来季のドラゴンズの監督は立浪で決定だな。清原を2軍打撃コーチにしたら面白いかも。
来季のドラゴンズの監督は立浪で決定だな。清原を2軍打撃コーチにしたら面白いかも。
来季のドラゴンズの監督就任、おめでとうございます! 叩かれようが誹謗中傷されようが貴方は負けない! 絶対チームを強くする‼︎と言う気持ちを持ち続けて頑張って下さい‼︎