平松政次、監督・コーチは性格で無理?カミソリシュートは偶然&家族や娘の詳細公表せず

現役の頃は大洋ホエールズのエースとして活躍した平松政次(ひらまつ まさじ)さん。

今ではテレビ解説者としてすっかりお馴染みとなっていますね。

平松政次のプロフィール

本名:平松政次

生年月日:1947年9月19日

身長:176cm

血液型:不明

出身地:岡山県高梁市

最終学歴:岡山県立岡山東商業高等学校

所属球団:横浜大洋ホエールズ(最終所属)

平松政次は性格のせいで監督、コーチになれない?

「名選手、名将にあらず」とは良く言われますが監督を務めるのは名選手ばかり。

現役時代に目立った活躍をしていない人が監督になるケースは極めて稀と言えます。

ただ現役時代に名選手だった人でも監督やコーチとして声がかからない事も少なくありません。


平松政次さんもそんな一人。

18年間、大洋ホエールズ一筋で名球界入りするほどの名投手。

レジェンドと呼んでも過言ではないでしょう。

これほどの選手であれば監督やコーチとして球団に戻ってくる事を期待されそうなもの。

ですが、監督はおろかコーチとしても声がかかる事はありません。

ではなぜ就任しないのか。

それは性格が影響していると言われています。

今は穏やかで優しそうに見える平松政次さんですが現役の頃は短気で有名。

若手だった頃にはエラーをしたベテラン選手に向けて砂を蹴り飛ばしたり、叱責したヘッドコーチに対して怒りを露わにしたり。

こういった気性の粗さが監督やコーチには向いていないと思われているのかもしれません。

今は穏やかに見えても勝負事ともなれば熱くなってしまう可能性は大いにありますからね。

また、平松政次さんは感覚的にカミソリシュートを身に付けるなど理論派というよりも天才肌。

そのため選手を理論的に指導できずに育てる事が出来ないと懸念されている可能性もありそうです。

本人も認める数々の伝説

平松政次の性格がわかるエピソードは、他にも複数存在しています。

ファンの間では、「伝説」として語られることも多いようです。

こんな話があちこちに残っていることからも、気性の荒さが伝わってきます。

新たなエピソードが出てくるたびに、「将来監督は無理だろう」と感じた人も多いのではないでしょうか。

現役時代は、あまりにも激しい言動が目立つため、頻繁にコーチから怒られていたそうです。

これも、教える側に立てないと思われる理由かもしれません。

当時の言動からは、「監督やコーチから注意ばかりされている」というイメージを抱く人も多かったと思われます。


つまり、教える側ではなく、教えられる側ということです。

もちろん、監督になる頃には意識が変わるということも考えられますが、リアルタイムで激しい様子を見た人は、とても想像できなかったでしょう。

こうした性格がわかるエピソードは、本人の口から語られたことがあります。

デーブ大久保さんのYouTubeチャンネルに出演し、当時のことを振り返っていました。

どうやら、プロとして真剣に取り組んでいたからこそ、荒々しい言動になってしまったようです。

動画の中では、申し訳ない気持ちがあることも語っている平松政次さん。

2023年現在は穏やかそうに見えるので、若気の至りだったのかもしれません。

子供たちに教えるときは思い出作り優先

監督もコーチもできないと噂になる平松政次さんですが、厳密にはやっていないわけではありません。

横浜ベイスターズジュニアではありますが、2005年~2011年まで、監督として少年たちを育てたことがあります。

現役時代のすさまじい伝説を知っている人なら、「子供たちは大丈夫なのか?」と思ったかもしれません。

ですが、子供たちの監督となった平松政次さんは、若い頃のまま指導していたわけではありません。

インタビューでは、優先すべきポイントが勝利ではないことを語っていました。

全員で試合をしたり、全国大会に出たりする経験が子供たちの成長につながることを期待していたそうです。

また、夢や目標を持ち続けることの大切さも、よく話していたのだとか。

監督に向かない性格と思われがちですが、鍛えてもらった子供たちの中には、感謝している人も多いのではないでしょうか。

平松政次のカミソリシュートは偶然の産物だった?

「カミソリシュート」を武器に三振の山を築いた平松政次さん。

甲子園での39イニング連続無失点記録もカミソリシュートのおかげと思いきや、高校、社会人の頃はシュートを投げていません。

高校、社会人の頃の平松政次さんの持ち球はストレートとカーブだけ。

ですがカーブが殆ど曲がらなかったため、殆どストレートしか投げていませんでした。

それでも打者を抑えられていたので他の球種を覚える必要がなかったようです。

シュートを投げるようになったのは1969年春のキャンプがきっかけでした。

投球練習をしていると先輩打者に「こんな球しか投げれないのか」と馬鹿にされたそうです。

この言葉が頭に来た平松政次さんはそれまで殆ど投げた事が無いシュートを全力で投げたそうです。

すると自身も驚くほどの変化を見せ、先輩打者は腰を抜かしてしまったんだとか。

まさに偶然の産物と言える「カミソリシュート」。


感覚的なものが大きく他の人に教えてもなかなか同じように投げる事はできないそうです。

こうしてカミソリシュートを会得したあとの活躍は誰もが知る通り。

ただ、平松政次さんは「アマチュアの頃のようにストレートとカーブだけで試合に勝ちたかった」と語っています。

望んで覚えたであろうストレートとカーブ。

一方のシュートは偶然生まれたもの。

その違いが心の引っ掛かりとなっていたのかもしれませんね。

平松政次の家族は?娘がいるの?

代名詞の「カミソリシュート」を武器に大洋ホエールズのエースとして活躍した平松政次さん。

1965年春のセンバツでは39イニング連続無失点という大会新記録を樹立。

決勝でも和歌山商業高校を延長の末に降して優勝を果たしています。

春夏連覇が期待された夏の甲子園では1回戦で降雨ノーゲームにより再試合となった末に日大二校に敗退。

それでも活躍が高く評価され同年の第1回ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位で指名を受けるも入団拒否。

社会人野球の日本石油に入社すると1年目からエースとして大活躍しました。

第2回のドラフト会議で大洋ホエールズから2位で指名されると一旦は入団を保留するもその後、入団を決意。

プロ入り後は投手にとって最大の栄誉と言える沢村賞や最多勝、最多防御率など多くの賞を受賞。

18年に渡る現役生活で201勝し名球界入りを果たすなど球界を代表する名投手の1人となりました。

平松政次さんは現役時代、漫画「巨人の星」や「野球狂の詩」に出演する程の人気者でもありました。

それに加えて投手としても超一流となればモテないはずはありません。

その証拠に過去には清純派女優として人気だった梓英子さんとの交際が噂された事も。

そんな平松政次さんは1976年に大上洋子さんと結婚。

大上洋子さんについては詳しい情報が全く見当たらない事から一般人だと思われます。

また、娘がいるという噂もあるようですがこちらも詳細な情報は見当たらず。


有名人の家族となると色々と注目を浴びてしまいます。

そのため家族が平穏な生活を送れるように情報を公表していないのでしょう。

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