中村吉右衛門、妻・波野知佐と結婚の経緯まとめ。過去の体調不良&のどヘルペスで入院

1966年、21歳で「2代目中村吉右衛門」を襲名して半世紀。

歌舞伎役者の改名には時おり混乱しますが、中村吉右衛門(なかむらきちえもん)さんはわかりやすいですね。

歌舞伎の代表作が多い一方で、人気時代劇『鬼平犯科帳』などの活躍によりお茶の間でも人気者になりました。

今回は妻・波野知佐さんと結婚した時の話や体調不良による休演のこと、また過去の入院についてまとめます。

中村吉右衛門のプロフィール

本名:波野辰次郎(なみの たつじろう)

別名義:松貫四(まつ かんし)

生年月日:1944年5月22日

没年月日:2021年11月28日(77歳没)

身長:178㎝

血液型:B型

最終学歴:早稲田大学第一文学部仏文学科(中退)

出身地:東京都千代田区

中村吉右衛門の妻・波野知佐との結婚エピソード

吉右衛門さんに縁談が舞い込んだとき、お相手の山本知佐さんは12歳年下であり、慶應義塾大学の学生でした。

遠縁にあたるそうで、初代吉右衛門さんの妻・千代さんの弟の孫なのだとか。

浅草で育った知佐さんは子供の頃から吉右衛門さん宅に遊びにきていたとのこと。


NHKのディレクターだった知佐さんの父親と、吉右衛門さんの実母・正子さんとの間で結婚話が持ち上がり、正子さんが知佐さんに水を向けたようです。

二人は1975年に結婚。

吉右衛門さんは31歳、知佐さんは19歳でした。

デートもプロポーズもなしで入籍

結婚するまでの経緯の中には、少し驚くようなエピソードもありました。

夫婦になるまで、デートらしきことはしていないというのです。

結婚が決まったときも、プロポーズの言葉などは何もなかったのだとか。

どうやら、本当に親同士の間だけで話が進んでいき、中村吉右衛門さんは流されるままに結婚したようです。

昔はそういうケースも多いイメージですが、交際期間なしでいきなり結婚するというのは、現代ではなかなか想像できないものですよね。

デートなしだと、相手のことがよくわからないはず。

おそらく、結婚生活を始めてから、「この人にはこんな一面が」と気づいていったのではないでしょうか。

そんなときは、離婚の可能性もあるものです。

お互いのことを深く知らないまま勢いで結婚した結果、あとから価値観の違いなどでけんかになり、別れるという話はよくあります。

大胆な見切り発車をするようなものと考えれば、それも仕方がないのかもしれません。

ですが、中村吉右衛門さんと知佐さんが離婚することはありませんでした。

お互いに苦労はあったはずですが、それほど相性は悪くなかったのかもしれませんね。


それにしても、プロポーズなしというのは、少し寂しい感じがします。

一緒にそのときのことを思い出し、語り合うことができないわけですから。

ちなみに、一部では中村吉右衛門さんからプロポーズをしたという噂も存在するようです。

ですが、本人がはっきり否定しているのであれば、おそらくデマなのでしょう。

結婚後の印象は「何かと闘っている」?

知佐さんは、結婚後の生活で気づいたことについて語ったことがあります。

“何か目に見えないものと毎日闘っているような感じ”

この言葉だけだと、虚空をにらんで激しい動きをしている姿も想像できますが、おそらく違うでしょう。

何らかの悩みを抱え、常に悪戦苦闘していたものと思われます。

結婚前のデートなどがなかったとすると、そんな様子を見るのは初めてだったはず。

当時は、理解できない言動を毎日のように見せられ、とても驚いたのではないでしょうか。

闘いの理由については、2代目としての重圧を考えたという知佐さん。

一般人では想像もできないような凄まじいプレッシャーの中で、いつも苦しんでいたのかもしれませんね。

中村吉右衛門が体調不良で休演!

2019年9月16 日、中村吉右衛門さんは体調不良のため歌舞伎座の秀山祭九月大歌舞伎を急遽休演。

当日の発表だったこともあり、このニュースには多くのファンが驚き、また心配したと思います。

これに伴い、昼の部「沼津」の呉服屋十兵衛役を甥の松本幸四郎さんが、夜の部「寺子屋」の松王丸役を尾上松緑さんが代役。


翌17日も大事をとって休み、引き続き二人が代役を務めることになりました。

18日以降については追って判断するとのことでしたが、吉右衛門さんは早くも19日に復帰。

花道から姿を現すと、観客から「播磨屋!」の掛け声とともに割れるような拍手が。

口上では、秀山祭でありながら3公演も休んでしまったことを謝罪する一幕もありました。

3日間という短い間ながらも静養したことで、体力も幾分回復したそうです。

客席の中を歩く場面では、体調を気遣う質問や握手攻めにあうハプニングも。

役を演じながらお礼を言うのは大変そうですね。

中村吉右衛門は過去に入院していた?

子供の頃から内臓が弱く、大人になってからもよく胃けいれんを起こしていたという中村吉右衛門さん。

2013年7月からお腹に違和感を感じていたところ、8月にのどにヘルペスを発症。

その際に味覚障害と診断され、食事がとれずに点滴に頼る生活になりました。

おかげで10㎏も体重が落ちてしまったそうです。

2013年というと四女の瓔子さんが尾上菊之助さんと結婚した年にあたりますが、かなりつらい闘病生活だったようで、このまま逝かせてほしいとまで思ったそう。

病気の原因は不明とのことですが、吉右衛門さんは疲れがでたのかもと推測。

また、2014年には白内障の手術も。

5月と8月に東京都内の病院に入院していました。


手術にかかった30分ほどでしたが、点眼麻酔だったため意識があり、手術の経過が一部始終見えたとのこと。

その後は快適に見えるようになったそうなので、当時はファンも安心したことでしょう。

中村吉右衛門のプロフィールをおさらい

中村吉右衛門さんは本名を波野辰次郎さんといい、当代の歌舞伎界を代表する立役の一人です。

屋号は播磨屋。

誕生が1944年5月22日ですから、2023年は79歳になります。

東京都千代田区出身で早稲田大学第一文学部仏文学科を中退しています。

実父は初代松本白鸚さんですが、幼少時に祖父・初代中村吉右衛門さんに養子入りしました。

初代吉右衛門さんは明治の末から昭和にかけて活躍し、昭和天皇・香淳皇后の天覧歌舞伎も務めた名優。

「初代中村吉右衛門」として初舞台を踏み、生涯をその名で通した歌舞伎役者です。

2代目中村吉右衛門さんの出生名は「藤間久信」といいますが、養子入りで「波野久信」となり、のちに初代の本名である「波野辰次郎」に改名しています。

また、初代の俳名を冠した秀山祭を2006年より開催。

先代の功績や舞台を思い出してほしいという強い思いの表れでしょう。

最終的に既婚者となったものの、かつては一生結婚しないつもりだったという中村吉右衛門さん。


若い頃は体があまり丈夫ではなく、50歳まで生きられたら仏門に入ろうとまで思っていたそうです。

とにかく歌舞伎俳優として自分のことだけで精一杯。

養子という立場から、芸を継ぐのが自分の務めという責任感もあったのでしょう。

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