田原 成貴(たばら せいき)さんは競馬界で華やかな騎乗やレースを演出して話題になりました。
騎手を引退後は調教師になりましたが、不祥事を繰り返して実質的に競馬界追放となりました。
今回は田原成貴さんの現在や八百長騒動の真相、藤田伸二さんのツイートなどを見て行きます。
田原成貴のプロフィール
生年月日: 1959年1月15日
身長: 169cm(騎手引退時)
出身地: 島根県鹿足郡柿木村(現: 吉賀町)
所属団体: JRA栗東トレーニングセンター
田原成貴の現在や活動について
まずは田原成貴さんが競馬界から実質的に追放されて以降の現在について見て行きます。
1998年2月22日に騎手を引退し、1999年3月から調教師として活動していましたが、2001年10月8日に銃刀法違反と覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕されました。
これに対してJRAは12月21日に裁定委員会を開いて「調教師免許剥奪」の処分を下しています。
その後も薬物や障害で逮捕・起訴されており、2010年11月29日の裁判で懲役2年2ヶ月の実刑判決を受けて収監、2013年5月に刑期を終えて加古川刑務所を出所していました。
これ以降は、現役時代から続けていた音楽活動をしているようでした。
扇町パラダイス『ロックンロールパラダイス』終わりましたー!
モンスターロシモフ、zettai、海保ロックンロールバンドの3バンドでやらせていただきました!!
田原さんと!! pic.twitter.com/3R1vQqC8rn— ベック (@isoanimax) 2016年4月20日
ロックバンド「海保ロックンロールバンド」にメンバーとして参加していましたが、ファンの多くは田原成貴さんが元騎手とは知らなかったと言っていたそうです。
その後はバンドメンバーではなくなったらしく、目立った活動はありません。
ただ、音楽関係者のインスタグラムに登場したことがあるので、音楽関係の何かを続けている可能性はありそうです。
年齢による外見の変化はありましたが、一目でわかる姿をキープしているのは驚きですね。
競馬解説を始め東京スポーツに就職
出所後は、好きな音楽を楽しみながらサラリーマンとして生活していた田原さん。
ですが、2020年からは東京スポーツ専属の競馬解説者として活躍するようになります。
さらに、2022年からは東スポ競馬のYouTubeチャンネルに登場。
プロの目で優れた展開予想を披露すると、動画は大人気となり、30万回も再生されたことがあります。
一時期はすっかり競馬から離れている様子だったので、昔から応援し続けているファンは、とても嬉しかったことでしょう。
こうした活躍を経て、近年の田原さんはまた新たな一歩を踏み出しました。
2022年9月1日から、競馬評論家の仕事を始めたのです。
秋のGⅠシーズンを前に約10年勤めた会社を円満退社。東京スポーツに“就職”し、競馬評論家として本格的に活動をスタートさせる。
逮捕の報道があった当時、東京スポーツに就職する未来を予想できた人は、果たしていたのでしょうか。
もう表に出ないことは想像しても、評論家として活躍する日が来るとは、とても思えなかったでしょうね。
新たな活動を始めてからは、昔の田原さんを知らない若い競馬ファンから「あの評論家の」と覚えられているかもしれません。
これからどんな活躍を見せてくれるのか、とても楽しみです。
迷いを振り切ることができた理由
騎手時代とは違った形で競馬に関わっている2023年現在の田原さん。
ですが、そこにたどり着くまでには迷いもありました。
出所後、「記事を書いてみませんか?」という依頼が来ても、簡単には引き受けられなかったそうです。
逮捕された過去があるため、どうしても悪いイメージで見られてしまい、競馬界に迷惑がかかると考えたようですね。
確かに、本人は心を入れ替えていても、一度ついてしまったイメージはなかなか消えないでしょう。
批判が殺到する可能性もあったわけですから、すぐ決められなかった気持ちはわかります。
ですが、東京スポーツから背中を押された田原さんは、再び競馬の世界へ戻ることにしました。
迷っている時にかけられた言葉が、考え方を変えるきっかけとなったようです。
『田原さんの競馬を見る目、特にジョッキーを見る目で大切なことを伝えていかなきゃダメです。施行側ではなく、メディア側で記事を書くのなら、もういいんじゃないですか』
東京スポーツとしては、その才能を眠らせておくにはもったいないと感じたのかもしれません。
騎手時代とは違うやり方で、これからも競馬を盛り上げていってほしいですね。
田原成貴の八百長疑惑の真相
次は田原成貴さんが八百長をしたと言われるレースや真相について見て行きます。
この疑惑は「サルノキング事件」とも呼ばれており、対象レースの「スプリング・ステークス」と前々走「東京4歳ステークス」などの戦法が正反対だったのが発端でした。
簡単に言えば前々走は”先行策で押し切って勝った”というレース内容でしたが、次走では”最後方からのレースで4着に負けた”という内容から批判されていました。
さらに疑惑を加速させたのはサルノキングの馬主が勝ったハギノカムイオーの所有権を半分持っており、賞金不足だったハギノカムイオーを皐月賞に出すためだと言われました。
※スプリング・ステークスは5着馬までに皐月賞への優先出走権があった(現在は3着馬まで)
ただ、自力でハギノカムイオーが勝利しているので優先出走権を根拠にするのは苦しいです。
乗り方については東京4歳ステークスでも「持って行かれるような感じで」と実況されており、性格的に折り合いを欠くタイプの馬であることが分かります。
地元の関西では後方待機の戦法で知られていましたが、関東では先行するレース内容だけだったことも八百長疑惑に拍車をかける展開となってしまいました。
これについては競馬場のコースに合わせた事よりも、輸送による精神的変化もあると思います。
そもそも田原成貴さんの性格的に八百長を頼まれたら逆に勝ちに行くタイプなので、関係者の間で今回の八百長疑惑は大きな話題にもならなかったそうです。
また、サルノキングはスプリング・ステークスのレース中に骨折をして引退しています。
田原成貴は武豊よりも天才だった?
次は田原成貴さんは”武豊さんよりも天才なのか?”について見て行きます。
とは言っても、どの部分を評価してアスリートを天才と判断するのかは難しいところですよね。
天才には”自分で説明できるタイプ”と、いわゆる”無意識で説明できないタイプ”が存在します。
前者はイチロー選手の様な秀才型タイプで後者は長嶋茂雄さんのようなタイプですが、田原成貴さんと武豊さんは2人とも前者の秀才型と言えると思います。
そんなふたりの伝説のレースと言えば1996年の阪神大賞典で間違いないでしょう。
ナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ちは今でもファンの間で語り継がれています。
そんな中、ふたりの一番違う点は「人付き合いや人間関係」だと思います。
武豊さんは武邦彦さんの息子として早くから注目を集め、新人の頃から多くの馬を回してもらうなど他の騎手に比べて恵まれた環境だったのは間違いないです。
一方の田原成貴さんは普通の家庭に生まれたので特別なコネも無く、数少ないチャンスをモノにして結果を出してきた点については勝っているのかも知れません。
また、田原成貴さんは思い切った騎乗や戦法を採って勝つことが多いので、言うなれば「危険な香りのするタイプの天才」と言っても良いでしょうね(笑)
個人的には武豊さんは秀才タイプで田原成貴さんは天才タイプだと思っています。
藤田伸二のツイートで田原成貴に死亡説!
最後に藤田伸二さんのツイートによる田原成貴さんの死亡説について見て行きます。
田原成貴さんと藤田伸二さんは競馬の枠を超えた人間関係を構築しており、不祥事を繰り返して競馬界から追放されるまで「兄貴」と呼んで慕っていました。
そんな藤田伸二さんが2018年8月26日にツイートした内容が波紋を広げていました。
3年前に騎手を引退するギリギリまで応援して頂き…
可愛いがってもらい…引退した後もずっとお世話になっていた…
大事な大事な大事な兄貴分が…
亡くなった…
つらい…
— 藤田 伸二 (@FujitaOfficial) 2018年8月26日
ツイートの中の「兄貴分」や「可愛がってもらい」から田原成貴さんと誤解する人が多く、リプライ(返信)でも心配する声が殺到したので追加でツイートしていました。
沢山コメントくれてる人へ…
田原 成貴じゃね〜し。
本気の大事な方なんや…
冷やかしのコメントは勘弁や…
数日は静かにしとくわ。
— 藤田 伸二 (@FujitaOfficial) 2018年8月26日
このツイートで亡くなった兄貴分は田原成貴さんではないと明確に否定していますが、仮にも師匠と慕っていた人を呼び捨てにするのは少し残念な気がしますね。
もっとも、犯罪を犯して実刑を受けているので仕方ないかも知れませんが。
以上の事から見ても田原成貴さんは亡くなっておらず、現在も関西で活動していると思います。
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