福永洋一は現在(2023)も元気!天才の理由。落馬事故の詳細&脳挫傷の後遺症とリハビリ

福永 洋一(ふくなが よういち)さんは多くの競馬関係者から”天才”と評価されている騎手です。

レース中の落馬事故によって生命の危機をさまよい、残念ながら現役を引退してしまいました。

今回は福永洋一さん落馬事故や後遺症、現在や天才と言われるエピソードを見て行きましょう。

福永洋一のプロフィール

生年月日: 1948年12月18日

出身地: 高知県高知市

所属団体: 日本中央競馬会

所属厩舎: 京都、栗東・武田文吾

騎手引退日: 1981年

現在(2023)の福永洋一について

2023年は75歳を迎える福永洋一さん。

まずは、その現在について見て行きましょう。

主な活動は出身地の高知競馬場で開催されている「福永洋一記念」への参加があります。


この「福永洋一記念」は2010年5月10日に第一回が開催されており、初回以降も毎年欠かさずに福永洋一さんや息子の祐一さんたち家族も参加しています。

そんな中、第10回レースでは妻の裕美子さんに感謝状を贈る企画がありました。

リハビリを始めて40年近くも側で支え続けたのは凄いとしか言いようがありませんよね。

裕美子さんは「介護ではなく日常」と表現していますが、その苦労は相当の物だったでしょう。

大きな落馬事故で体が不自由になった福永洋一さんは不幸とも言えますが、裕美子さんという素晴らしい奥さんと結ばれたことは幸運と言って間違いないでしょう。

また、リハビリの甲斐もあって現在は歩いたり簡単な会話が出来るほど回復しています。

現在(2023)の体の具合は?

息子の祐一さんが引退する際は、2023年の引退式に車いすで姿を見せていた洋一さん。

その様子を見て、「今どんな暮らしをしているのか」と考えた人も多いかもしれません。

2022年に公開された長女・山本妃呂己(やまもと ひろみ)さんのインタビュー記事では、最近の様子が少しだけ語られていました。

半身不随となり、車いすが欠かせなくなった。今も、言葉をはっきりと発することができない。

引退式の間だけ車いすだったわけではなく、基本的にずっと使っているようですね。

前述した自力歩行も、やろうと思えば少しできるものと思われますが、やはりすっかり元の生活には戻れないのでしょう。

また、言葉をうまく話せないというのも大変そうですね。


はっきり発音できなくなっただけで、簡単な会話くらいはできるとはいえ、思うように意思が伝わらないこともあるのではないでしょうか。

とはいえ、洋一さんが大きく体調を崩したり、入院したりといったニュースはありません。

不自由な部分はあっても、基本的には元気に生活しているものと思われます。

まだリハビリは継続中

祐一さんが引退する際は、当時の洋一さんの様子も少しわかる報道がありました。

事故の後から始まったリハビリは、2022年の時点でも続いていたようです。

昭和54年春、阪神競馬場でレース中に落馬し、現在もリハビリと闘う父に代わり、“天才福永”復活に向けて大きな一歩を踏み出した。

おそらく2023年現在も、裕美子さんの助けを借りながら継続中なのでしょう。

リハビリでは苦しいことも多いと思われますが、それでもあきらめずにがんばっているんですね。

長く継続している様子からは、洋一さんの意志の強さが伝わってきます。

ちなみに、リハビリを手伝ってくれた裕美子さんの父親が亡くなってからは、デイサービスの利用を始めているそうです。

そちらも、まだ継続しているものと思われます。

リハビリを助けてくれた父は亡くなり、最近はデイサービスの力を借りています。

となると、デイサービスで行う機能訓練も、かなり役立っているのかもしれません。


どんな施設を利用しているかは不明ですが、リハビリに特化したところを選んだ可能性もあります。

こうした福祉施設の利用は、裕美子さんの負担を軽減することにもつながっているのでしょうね。

福永洋一が天才と言われる理由

次は、福永洋一さんが天才と言われる理由やポイントについて見て行きます。

元騎手の田原成貴さんや的場均さんは天才と言われる点について「言葉や理屈で説明できない」と触れており、技術的なモノを超えた何かであると表現していました。

さらに両者は武豊さんと比較して「技術あるが洋一さんとは違う」とコメントしていました。

また、調教師たちが口にする点は「洋一が乗ると馬が変わる」という衝撃的な内容で、レースを勝った後に別の騎手に乗り替わると再び走らなくなるそうです。

武豊さんの父・邦彦さんも「何かを持っていた」と語っており、過去には雑誌の対談企画で福永洋一さんの持つ”何か”を探ろうとしたこともあるとか。

この画像を見て思ったのは、武豊さんが武邦彦さんとそっくりになってきたですよね(笑)

多くの関係者たちが口を揃えて言ったのは「よく分からない」という点ですが、ある意味で”説明できない何か”を持っている事こそが天才と呼ばれるところなのでしょうね。

言葉や技術で説明できれば天才ではなく「巧い」というカテゴリーに入ると思います。

福永洋一の落馬事故について

次は福永洋一さんの競馬人生を奪った落馬事故について見て行きます。

落馬事故が発生したのは1979年3月4日の阪神競馬(第11レース・毎日杯)でした。


このレースで福永洋一さんは6番人気のマリージョーイ号に騎乗し、道中は最後方にポジションを取って直線で末脚を爆発させる”追い込み作戦”を選んでいました。

作戦通りマリージョーイは加速して順位を上げて行く一方、前を走っていたハクヨーカツヒデ号がインタームサシ号と接触して最初の落馬事故が発生しました。

ハクヨーカツヒデの斉藤博美騎手が内側に落ちたのを見た福永洋一さんは素早く外側へ進路を取りますが、斉藤博美騎手が外側に転がって来る予想外の展開になりました。

マリージョーイの脚が斉藤騎手と接触し、前のめりになって福永洋一さんは投げ出されました。

分かりやすく言えば「一本背負い」のような状態でコースに叩きつけられてしまい、頭部の強打と舌の3分の2近くを噛み切る重傷を負って意識不明になりました。

今回の落馬事故では巻き込まれた形になった福永洋一さんですが、関係者は落馬への反応が素早過ぎたことを嘆き「真っ直ぐ行けば避けれた」とコメントしています。

騎乗センスの良さが悪い方向に出たとも言えますが、こればかりは何とも言えない結果でした。

脳挫傷の後遺症とリハビリの日々

次は落馬事故による脳挫傷の後遺症やリハビリについて見て行きます。

事故当時は呼吸が弱くなったり意識不明など危険な状態が続いていましたが、事故が起こった年の暮れから正月にかけて一時退院が許可されるまで回復していました。

リハビリの様子はテレビ番組で取り上げられるなど世間からも注目を集めていました。

本格的な退院までは1年8ヶ月ほどかかりましたが、帰宅してからは「ドーマン法」という機能回復訓練などの効果もあって自力歩行が出来るまで回復しています。

1984年10月には栗東トレーニングセンター内にある馬場で約5年半ぶりに馬に乗りました。

もちろん以前のような状態まで戻ることはありませんでしたが、一時は植物状態を覚悟するほどだった状況から見れば”奇跡的な回復”と言っても良いでしょう。


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コメント

  1. 福永洋一騎手久しぶりにリハビリの過酷な映像を観ました。
    すごい回復力だと思います。人間の可能性を知らされました。
    奥さんをはじめご家族の力の強さ想いに感動しました。
    素晴らしい‼