吉永みち子の離婚理由、夫は元騎手。家族の仰天エピソード!学歴優秀&事務所の所属なし?

ワイドショーのコメンテーターとしておなじみのノンフィクション作家・吉永みち子(よしながみちこ)さん。

騎手だった夫・吉永正人さんとの離婚理由は何だったのでしょうか。

また、今の吉永みち子さんをつくり上げた両親とのエピソードや、結婚によって家族になった子供たちについてもみていきます。

学歴や事務所についても関心が寄せられているようです。

吉永みち子のプロフィール

旧姓: 鈴木

生年月日: 1950年3月12日

出身地: 埼玉県川口市

最終学歴: 東京外国語大学 外国語学部インドネシア語学科

吉永みち子の離婚理由

正人さんとの離婚理由については、昔の友人関係に戻ってお酒を飲みたかったと述べており、別れたあとも交友が途切れることはなかったそうです。

その後正人さんがスキルス性胃がんを発症し、2006年に64歳で亡くなるまで、みち子さんは支え続けました。

関係が変化した原因は不明

有名人の離婚報道があると、不倫や不仲といった原因が話題になることも多いですよね。


吉永さん夫妻の理由は、関係に亀裂が入ったことではないので、「残念だけど少し安心」と感じたファンも多かったかもしれません。

ただ、なぜ友人に戻りたくなったのかは、少々気になるところです。

きっかけとなる出来事などは2人とも語ったことがないようで、詳しい経緯はわかっていません。

気持ちの変化につながる何かが起こったのか、何もなくても次第に変わっていったのか、そのあたりは想像するしかありませんね。

ですが、正人さんの闘病生活を支え続けたエピソードからも、心が離れたわけではないことがわかります。

夫婦の関係を維持できなくなったとしても、一度は結婚したほどの大切な友人として、強い絆があったものと思われます。

2人のファンには「結婚生活を続けてほしかった」と残念がる人もいるかもしれませんが、幸せの形は人それぞれ。

吉永さん夫妻にとっては、友人同士に戻ることが一番よい方法だったのでしょう。

夫と友人になっても子供との距離は変わらず

友人に戻るために離婚したとなると、子どもたちとの関係も気になるところです。

継子である長女の悦子さんは、正人さんとみち子さんの結婚をとても喜んでいたのだとか。

場合によっては複雑な気持ちを抱き、反発することもありそうですが、吉永さんと3人の子どもたちはずっと仲良しだったみたいですね。

長女の悦子さんをはじめ3人の子どもたちとは戸籍上は親子ではないが、今も実子同様、深いつながりがある。

不倫などのひどい行いが原因というわけではないので、悦子さんたちも受け入れやすかったのかもしれません。

それに、友人同士の関係に戻っても、2人は仲良しのまま。


疎遠になるどころか、晩年の正人さんを熱心にサポートしていたわけですから、実際のところ友人以上の関係ともいえそうです。

仲が悪くて会話もないような夫婦より、ずっと夫婦らしい生活だったのではないでしょうか。

それで子供たちとの仲も良好となれば、離婚から発生する過程への悪影響は、ほとんどなかったのかもしれませんね。

吉永みち子の夫だった吉永正人について

卒業後は競馬専門紙『勝馬』の記者になり、その取材で出会ったのが9歳年上の騎手・吉永正人さんでした。

吉永正人さんは後方からの追い込みや先行逃げ切りの豪快なレース運びで勝負師と呼ばれた騎手。

史上3頭目の三冠馬・ミスターシービーとのコンビが有名です。

ミスターシービーはデビューから引退まで一人の騎手が手綱をとった最初の三冠馬でもありました。

当時、吉永正人騎手は夫人と死別し、幼い子供たちと別々に暮らす身。

二人は惹かれ合いますが、周囲は結婚に猛反対。

みち子さんの母に至っては、あの男の頭をナタでたたき割ってやりたいと言うほどでした。

正人さんはその母のもとを訪れて、競馬の鞭をそっと前に差しだしたといいます。

二人は1977年に結婚。


正人さんの3人の連れ子、のちに生まれた息子、みち子さんの母とともに7人で暮らしました。

やがてみち子さんは『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

これを機に仕事が舞い込むようになります。

吉永みち子の家族の仰天エピソード

吉永みち子さんは少し変わった家庭環境で育ち、結婚と離婚を経験して、2023年現在は独身です。

生まれた時に父はすでに60歳、母は40歳でした。

結核を患っていた父は家の中で隔離されており、面会は禁止。

鈴木家の行く末を案じた父は幼いみち子さんに、自分が亡きあとは男として生きて家を守るように厳命したそうです。

母には、この子を夫と思うようにと話していたのだとか。

家庭環境としては異質で複雑だったといえるでしょう。

それでも吉永みち子さんは父に代わって大黒柱にならなければと心を決めます。

親の期待に応えたい思いと、反発する気持ちが両方あったのではないかと思います。

結婚後は継子3人と実子が1人いましたが、みち子さんの母は血のつながった孫だけを可愛がったため、家族のバランスが崩れたこともあったそう。


また、前述のとおり離婚によって義理の子供たちとの戸籍上の親子関係は消滅しましたが、個々の人間としてのつきあいは続いています。

そのなかの一人が元騎手の吉永護さんです。

吉永みち子の学歴と事務所

吉永みち子さんは埼玉県立浦和第一女子高校を卒業後、東京外国語大学外国語学部インドネシア語学科に進学。

1973年に卒業しました。

高校の偏差値は72~73で、公立の女子校では全国トップレベル。

出身者に矢部浩之さんの妻でフリーアナウンサーの青木裕子さんや、「現場の東海林です」でおなじみの東海林のり子さんがいます。

母子家庭でも見下されないように優秀な成績をおさめなさいと母から言いつけられていたという吉永みち子さん。

通訳を夢みて選んだ大学では学園紛争の影響でまともに授業が受けられず、進学した意味がなくなる状況に。

けれどもここで競馬と出会うわけですから、人生はどう転ぶかわかりませんね。

ネット上には吉永みち子さんへのファンレターの送り先がわからないという声もみられますが、所属する事務所は不明でした。

中学時代に家計を助けるために渡辺プロダクションに合格したことがありますが、吉永みち子さんはタレントではないので、いわゆる芸能プロダクションには在籍していない可能性もあります。


歯に衣着せぬ明快な語り口が心地よい吉永みち子さん。

人生のレース終盤のコーナーをどう駆け抜けてくれるのか、その走りに注目です。

吉永みち子の経歴まとめ

テレビ番組のコメンテーターとして30年近いキャリアをもつ吉永みち子さん。

日本初の女性の競馬新聞記者、専業主婦、ノンフィクション作家という多彩な経歴と経験から発せられる言葉は、物事の本質を突く鋭さのなかにも温かみを感じます。

吉永みち子さんは1950年3月12日 、埼玉県川口市生まれ。

旧姓は鈴木です。

9歳の時に父親が他界し、以降は母子家庭で育ちました。

下宿屋を営む母を助けて、みち子さんも中学時代からアルバイト。

通訳を目指して東京外語大学に進学しますが、語学が身につかず挫折してしまいます。

そんな時に友人と行った競馬場で人生が変わることに。

レースごとに鳴り響くファンファーレ。

外れ馬券を手に肩を落とした人が、次のファンファーレで再び元気になる光景を見て、人生のレースは一度きりではないと気づきます。

大学生活の後半は一転して競馬漬けの日々になりました。


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