中村敦夫の現在は出家し僧侶に。病気説は誤解。妻・息・娘について

「木枯し紋次郎」や「必殺仕業人」などで知られる中村敦夫(なかむら あつお)さん。

政治家に転身してからもその存在感を遺憾なく発揮し続けました。

2022年現在は朗読劇をワイフワークのようにしながら、コラムや対談もこなしているようです。

病気説も一部でささやかれていましたが、それは代役を担った際に誤解が広まったのかもしれません。

また、2016年には出家をしている彼ですが、法名には思い入れのある一文字をいれているそうですね。

このほか、妻、息子、娘といった家族関係についても調べてみました。

中村敦夫のプロフィール

愛称:中村忍舟(法名)

本名:中村敦雄

生年月日:1940年2月18日

身長:179cm

出身地:東京都

最終学歴:東京外国語大学外国語学部(中退)

所属事務所:クロスポイント

中村敦夫の2022年現在の活動

これまでの活動が評価され2010年に旭日中綬章を受賞している中村敦夫さん。

現在も現役の俳優として活動し続けています。

ここ数年、ドラマや映画への出演は減っています。

ですがその分、講演活動や朗読劇を精力的に行っています。


特に現在の中村さんが力を入れているのが朗読劇の「線量計が鳴る」。

この朗読劇の主人公は東京電力の福島第1原発で働く男性。

幼少期を過ごした福島県は中村敦夫さんにとって第二の故郷とも呼べる地。

それだけに福島第一原発の事故では思う所があるのでしょう。

この朗読劇を作るために原発について一から勉強しなおしたといいます。

チェルノブイリにまで足を運ぶなど完成までに費やした年月は何と5年。

100回公演を目標にしているそうで2020年3月時点で既に90回以上公演。

全て大盛況で会場に中に入りきれない事も少なくなかったそうです。

それだけ多くの人が原発について関心と危機感を持っているということなのでしょう。

その「線量計が鳴る」ですが、コロナ禍でもあり、2022年現在は、DVDに収録する形で活動が続けられているようです。

制作のために、ご自身のホームページではクラウドファンディングを試みるなど精力的な姿勢がうかがえますね。

このほか、『通販生活』の2022年夏号では、「線量計が鳴る」に関する取材、『月刊俳句界』の2022年4月号では、佐高信さんとの対談、季刊誌『季節』2022年春号では、コラムと、メディアでもご活躍です。

吉田豪に統一教会との件で懐古される

あるいは、かつての思い出トークをプロインタビュアー・吉田豪さんに懐古される形でネットニュースに名前が登場したこともありました。

現場となったのは、2022年夏に『アサ芸プラス』にて、内山信二さん、玉袋筋太郎さん、吉田豪さんによって、『有名人スキャルダル大賞』の座談会です。


このなかで、東国原英夫さんの統一教会に対するコメントを取り上げた吉田豪さん。

話は弾み、のちに、かつて中村敦夫さんが吉田豪さんに怒鳴られたことを想起されていました。

ここでは、その宗教の是非については問いませんが、当時は、中村敦夫さんが統一教会に対し、過激な発言をし、彼が訴えられたりしていた頃でした。

吉田豪さんは、あくまでギャンブルのテーマで電話取材を行っていたそうです。

序盤は、中村敦夫さんもご自身の万舟武勇伝を朗々と語ったり上機嫌だったそうですね。

しかし、吉田豪さんが、競艇つながりで笹川良一さん、さらには、勝共連合、統一教会へと話題を繋ぎ、そちら方面への取材を試みました。

すると、途端に『関係ない』と言って電話を切ったとのことでした。

統一教会と国会議員の関係性がクローズアップされる2022年、今後、中村敦夫さんの発言にも注目が集まるかもしれませんね。

中村敦夫が病気説は心配しすぎ?

80代を迎えた中村敦夫さんだけに、病気を患っているのではないかという心配の声はネット上でもちらほら見かけます。

しかし、彼が改めて特定の病気であることが公式サイト等々でアナウンスされた形跡は見当たりませんでした。

そのため、ここでは、芸能ニュース的に、もしかすると、この時の話題で中村敦夫さんが病気と誤解した方がいるかもしれないという可能性を秘めたものをご紹介します。

それは2009年のTBS系『JIN-仁-』の撮影時でした。

同作は、ちょうどコロナ禍に入り、ステイホーム期間が始まった頃、まとめて一挙再放送されましたので記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれませんね。

このなかで、実在した江戸の火消し・新門辰五郎役でキャスティングされた中村敦夫さん。

しかし、当初は藤田まことさんの予定でした。

なぜ、彼が降板したのかというと、「慢性閉塞性肺疾患」を患ったためです。

結果的に、藤田まことさんはこの病気から、懸命なリハビリも、2010年2月16日、大動脈瘤破裂のため亡くなられていますね。

その衝撃を思えば、当時のニュースを誤読する人が出てもおかしくはありません。

とはいえ「慢性閉塞性肺疾患」を患ったのは藤田まことさんであり、中村敦夫さんではありません。

あくまで、後者は前者が病気で降板したため、代役を果たしたのです。

時代劇ファンの方目線からすると、『中村主水』の藤田まことさんの代役が、『木枯し紋次郎』の中村敦夫さんというのも胸熱ですね。

連想ゲーム的に、中村主水と中村敦夫さんの苗字被りで誤解した方もおられるかもしれません。

中村敦夫が出家得度!

中村敦夫さんは、2016年5月8日に出家得度(しゅっけとくど)されています。

あまり聞きなれない言葉ですので手前みそながら調べてみました。

「度」とは「渡る」を意味し、これを得るということで、仏の教えに出会って、彼岸に渡る機会を得るに至ったということになるそうです。


中村敦夫さんの場合は、徳島市寺町の般若院戎道場で、宮崎信也阿闍梨のもととのことですね。

こちらの阿闍梨とは、日本ペンクラブ視察団の一員としてチェルノブイリへ同行するなど旧知の仲だったそうです。

宮崎信也阿闍梨も社会派の方で、かつてはある計画を白紙にすべく投票を呼びかける運動を展開したその中心にいたという地元民の話もありました。

では、役者だけではなく、政治をはじめ、あらゆる世界もその目で見てきた中村敦夫さんですがなぜ出家されたのでしょうか。

それは、『俗世のしがらみ』を断つためでした。

在家のまま出家し、僧籍に入ったとのことですが注目はその法名です。

『中村忍舟』というお名前なのですが、これは、ご自身の著書「ごみを喰う男」と「暴風地帯」に出てくる探偵僧侶から『舟』の字をとったと見られています。

中村敦夫さんが描いた世界観が法名に込められていると思うと、より尊いお名前に思えてきますね。

中村敦夫が結婚した妻と結婚歴

中村敦夫さんが結婚した詳細な時期は明かされていませんが、どうやら2度の結婚歴があるようです。

最初に結婚したのは何とアメリカ人の女性。

中村敦夫さんは俳優座の団員だった1965年にEWC奨学生の演劇部門試験に合格。

そしてハワイ大学に留学し、1969年からはカリフォルニア州のバークレイに滞在。

この間にアメリカ人の女性と出会い結婚したそうです。

ただ、結婚生活は長くは続かず3年で離婚してしまったようです。


日本に帰国する事が原因で離婚してしまったのでしょうか。

その後、中村さんは別の女性と再婚。

再婚した女性と出会ったのは俳優座時代との事なので帰国してから間もなく出会ったのでしょう。

過去に自らは家庭を持つタイプではなかった可能性を示唆している中村敦夫さん。

そんな中村さんの事を理解し支え続けた妻。

色々な活動に専念できるのもこんな素敵な妻がいたからなのでしょうね。

中村敦夫には息子、娘がいる?

多才な人が多い芸能界でも有数の活躍を見せる中村敦夫さん。

活躍の場が広いだけに数えきれないほどのインタビューを受けているはず。

ですが中村さんは自身の家庭について語る事は殆どありません。

きっと「俳優 中村敦夫」のイメージを保つためというのが理由の1つでしょう。

それに加えて1974年に発生した津川雅彦さんの娘が誘拐された事件も影響しているのでは、と思います。

同い年であり同時期に活躍していた中村敦夫さんと津川雅彦さん。


きっと津川さんの娘が誘拐されたという事件は中村さんにとっても大変ショッキングな事件だったはず。

とても家族の情報を明かそうなんて考えにはなりませんよね。

なお、その後の中村敦夫さんは「妻、長女ら」と暮らしているという情報がありました。

そのため娘がいる事は間違いありません。

ただ、息子がいるかどうかは分かりませんでした。

中村敦夫は家族のおかげで俳優の道へ

俳優にニュースキャスター、作家に大学院講師、政治家と多岐にわたって活躍する中村敦夫さん。

出身地は東京ですが戦時中だったため父親の出身地だった福島へ疎開。

その後も小学校と中学校、高校の途中までを福島県で過ごしていました。

福島県は父親の出身でしたが母親は外国航路の船長が父という両家の出身。

そのため田舎での生活に馴染めず何とか東京に戻ろうと思っていたそうです。

そこで思いついたのが中村敦夫さんの転校。


母親に勧められて福島県立磐城高等学校から東京都立新宿高等学校に転校することに。

なお、通った両高校は毎年のように東大進学者を輩出する超名門校。

そのため中村さんも当初は東大を目指していたそうです。

ですが1年生にして激しい学内競争に疲れてしまい東大を断念。

そして進学したのが東京外国語大学のインドネシア語学科でした。

ところが在学中に演劇に興味を持ったため2年で同大学を退学。

その後、俳優座養成所を経て劇団俳優座に入団すると若手劇団員のリーダー的存在に。

これからの劇団俳優座を背負って立つ俳優になる事が期待された中村さん。

ですが、1971年に舞台「はんらん狂想曲」の上演を巡って幹部と対立。

同舞台を自主公演後、市原悦子さんや原田芳雄さん達と共に俳優座を退団してしまいます。

俳優座を退団後、本格的にテレビや映画に進出した中村敦夫さん。

1971年にNHK大河ドラマ「春の坂道」で石田三成を演じた事で注目を集めると翌年の「木枯し紋次郎」で大ブレイク。

その後も多くの映画やドラマに出演する傍ら、司会者や作家としても活躍。

また、1998年には第18回参議院議員選挙に無所属で出馬し当選。


「さきがけ」、「みどりの会議」で代表を務めるなど政界でも存在感を示しますが2004年の参議院選挙に落選し政界を引退しています。

このように芸能界に文芸界、政界など様々なフィールドで活躍する中村敦夫さん。

もし高校生の頃に東京に上京していなければ芸能界に進む事はなかった可能性が高いですよね。

そう考えると今の中村敦夫さんがいるのは上京を勧めた母親とそれを認めた家族のおかげと言えるでしょう。

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