丹波義隆の現在。息子も芸能人?経歴とプロフィールまとめ。ジャッカー電撃隊をためらった?

偉大な父と同じく芸能界に進んだ丹波義隆(たんば よしたか)さん。
今や二世俳優ではなく個性派俳優としての地位を確固たるものとしています。

丹波義隆の現在

俳優として数多くの映画やドラマに出演している丹波義隆さん。
「丹波」という名字から分かるように父は日本を代表する名優の丹波哲郎さんです。

幼い頃から丹波哲郎さんの背中を見て育った丹波義隆さん。
自然と俳優業に興味を持ったと思いきや、当初は俳優になるつもりはなかったそうです。


高校在学中に頼まれて映画「二十歳の原点」に出演後も俳優業を続ける意思をみせることはありませんでした。
ですので高校卒業後は成城大学に進学しています。

そんな丹波義隆さんが俳優になったきっかけは映画「青葉繁れる」。

大学進学後も俳優になるつもりはなかった丹波義隆さん。
そのため突如、オーディションの話が舞い込むも断るつもりだったそうです。
ですが丹波哲郎さんのマネージャーに「親の顔もあるから」と窘められた事で渋々参加。

するとオーディションに見事合格し主演することが決定。
それから3か月に及ぶ撮影を乗り越え無事にクランクアップ。

自身の初主演作という事で気になったのか丹波義隆さんは公開後に劇場を訪れたそうです。

その時に自分の演技で笑ったり泣いたりするお客さんを見て俳優業の素晴らしさに目覚めた丹波義隆さん。
こうして俳優として生きていく事を決めたそうです。

1977年には映画「アラスカ物語」で丹波哲郎さんと親子共演。
1989年には丹波哲郎さん製作の映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」に主演。
続編となる「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」にも出演しています。

また、1981年からは俳優養成所「丹波道場」の責任者になった丹波義隆さん。
現在も俳優として活動しており映画やドラマの他、バラエティ番組や旅番組にも出演。
その他にもナレーターや講演活動など多岐にわたる活躍をみせています。

丹波義隆の息子も芸能界に?

丹波義隆さんは1988年に女優の田中久美さんと結婚。
田中久美さんが演技の基礎を学び直そうと「丹波道場」に入った事が交際のきっかけとなったそうです。

その後、丹波義隆さんと田中久美さんの間には一男二女が誕生。
丹波義隆さんと子供達は旅番組等で共演する事も少なくありません。

最近の芸能界では子供の名前や顔は公表しない事が多いですよね。
ですが丹波義隆さんは子供の顔を堂々と公開しています。
それどころか丹波義隆さんと一緒にテレビ出演まで果たしています。

丹波義隆さんの子供達はいずれ芸能界に入りたいという思いがあるのでしょうか。

かつて丹波義隆さんの長男は丹波哲郎さんの葬儀で「俳優になりたい」と語っていました。
ですがその後、俳優として活躍しているという情報は見つかっていません。

情報がないからといって芸能界に進まなかったとは言い切れません。
小さな劇団で地道に活動を行っている可能性もありますからね。

いつか丹波義隆さんの息子が俳優として映画やテレビで活躍する日がくるかもしれません。
そんな日が来たら大きな話題となる事は間違いないでしょう。

丹波義隆の経歴とプロフィール

1955年7月13日生まれの丹波義隆さん。
上述の通り父は俳優の丹波哲郎さんで母は貞子さん。

貞子さんは丹波義隆さんが3歳の時に急性灰白髄炎を発症し車椅子生活に。
そのため丹波義隆さんには貞子さんが自分の脚で歩いている記憶がないそうです。

ですが貞子さんが前向きな性格だった事もあって家庭の空気が暗くなるような事はなかったようです。
また、当時の芸能人の子供は私立の学校に行くことが当たり前でしたが、貞子さんの「たくましさが必要」という教育方針により公立の学校へ。

公立の学校で伸び伸びとした生活を送った丹波義隆さん。
ただ、たくましくなりすぎて丹波哲郎さんも学校に顔を出す事を躊躇う程のガキ大将になったそうです。


その一方で色々な事に興味を持ち野球やスキーなどのスポーツから写真、絵、ピアノなど多くの習い事を経験。
高校生の頃にはラジコン飛行機にハマった影響でパイロットになりたいと思うように。
ただ、視力が落ちてしまったためパイロットになる夢は立たれてしまいました。

俳優となってからはNHK朝の連続テレビ小説を始め、多くのドラマや映画で大活躍。
1977年には特撮シリーズの「ジャッカー電撃隊」で主演を務めています。

そんな丹波義隆さんのニックネームは「ギル」。
丹波哲郎さんから「義隆」を音読みした「ギリュウ」と呼んでいた事から「ギル」というニックネームが付いたそうです。

丹波義隆はジャッカー電撃隊への出演を断るつもりだった?

1975年に放送が始まり今も多くの子供達を熱狂させる「スーパー戦隊シリーズ」。
丹波義隆さんが主演を務めた「ジャッカー電撃隊」は第2作目となる作品でした。

実は丹波義隆さんの元にはスーパー戦隊シリーズの第1作目である「秘密戦隊ゴレンジャー」のオファーもあったそうです。
ですが俳優業を始めたばかりで自信がない、という理由で辞退。

そして引き続き舞い込んだ「ジャッカー電撃隊」のオファー。
今度は喜んで引き受けると思いきや「オートバイの免許がない」、「変身ポーズが恥ずかしい」という理由からオファーを受ける事を躊躇したそうです。

ところがプロデューサーに「今回のヒーローは自動車に乗る」、「カプセルで返信する」と言われた事で断れなくなり出演が決定。
出演当初はポーズを取る事に恥ずかしさを感じたそうですが、徐々に気持ちよさを感じるようになり夢中で取り組むようになったんだとか。
最終的には映画「ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー」でスーツアクターが足りなくなった際、自らスーツアクターを演じるまでに。


丹波義隆さんは「ジャッカー電撃隊」の撮影終了後に出演したドラマで演じたのは被告人。
ですが、なかなかヒーローとしての演技が抜けずに苦労したそうです。

すっかり身も心もヒーローになり切ってしまった丹波義隆さん。
今となってはオファーを断らなくて本当に良かった、と思っている事でしょうね。

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