高見知佳、沖縄を離れ夫と離婚の過去。ハーフの噂&実家公表せず。がん性腹膜炎で死去

1978年、『シンデレラ』をリリースしてアイドル活動を始めた高見知佳(たかみ ちかさん)さん。

映画『鎌田行進曲』、ドラマ『江戸川乱歩の美女シリーズ』などに出演し、女優としても活躍しましたが、2022年12月に病気で亡くなっています。

今回は、高見さんが過去に沖縄在住だったという噂に迫ってみましょう。

離婚の噂やハーフの噂、亡くなった経緯なども、あわせて紹介していきます。

高見知佳のプロフィール

愛称:知佳ちゃん

本名:高橋房代

生年月日:1962年7月9日

身長:158cm

出身地:愛媛県新居浜市

最終学歴:嘉悦女子高等学校(現:かえつ有明高等学校)

所属事務所:田辺エージェンシー

高見知佳は現在沖縄で働いているという噂

明るく可愛いアイドルとして、多くのファンを獲得していた高見知佳さん。

過去には「沖縄に移住して飲食店で働いているらしい」という噂が出たことがあります。

調べてみたところ、確かに沖縄にいたことはあるようですが、近年のものではありません。


2016年に公開されたインタビュー記事では、沖縄の旦那さんのお店を手伝っていることが明記されていました。

沖縄では主人のメキシコ料理店を手伝い、愛媛では体調を崩し入院中の母の世話をしています。

お店の名前は「オブリガード」。

多彩なメキシコ料理を楽しめるレストランとして、多くの人から親しまれているようです。

沖縄に移住した時期については、インタビューで結婚記念日であることを明かしています。

2003年の7月20日です。実はこの日は私たちの結婚記念日なんです(笑)。

しかし、高見さんが沖縄で暮らしていたのは一時期だけであり、お店でもずっと働いているわけではありません。

晩年の高見さんは、出身地である愛媛県新居浜市在住でした。

地元のラジオ番組やイベントに出演し、新居浜ふるさと観光大使としても活躍しています。

帰郷後も沖縄在住の噂が残っている理由は、昔の情報を見て間違えた人がいるからでしょう。

新居浜市に戻った高見さんは、愛媛新聞でコラムの執筆も行っています。

沖縄でも行っていた本の読み語りは、新居浜市でも変わらずに続けていたようです。

この頃は、かつてのようにテレビで姿を見る機会は減りましたが、かなり幅広く活動していました。


歌やお芝居以外にも、多彩なスキルをもっていることがわかります。

もし健康であれば、今でもさまざまな活動を見せてくれていたのかもしれませんね。

高見知佳が夫との離婚を告白

高見知佳さんは、2001年にアメリカ人コーディネーターのマーク・エスパーザさんと結婚しています。

沖縄の「オブリガード」は、エスパーザさんと一緒に経営していたレストランでした。

実は、高見さんには離婚の噂があります。

噂が広まった理由は、高見さんのコラムです。

本人が離婚したことを認めているわけですから、噂は本当ということになります。

沖縄県から出身地である愛媛県に戻った理由にも、離婚が大きく影響しているのではないでしょうか。

離婚のタイミングは息子さんとも話し合い、中学校卒業に合わせることにしたという高見さん。

いろいろなことが新しく始まる春という季節にしたことで、少し前向きな気持ちを持つことができたようです。

その後、再婚の噂などは出ていないようなので、亡くなるまで独身だったものと思われます。

高見知佳にハーフの噂

アイドル時代は、可愛らしい笑顔で多くの男性ファンを虜にしていた高見知佳さん。


そんな高見さんには、「実はハーフらしい」という噂もあります。

ですが、高見さんは両親についての詳しい情報を公表しておらず、ハーフという情報も出ていないようです。

おそらく、純日本人なのではないでしょうか。

ハーフ説には、元夫であるマーク・エスパーザさんの噂が影響しているのかもしれません。

エスパーザさんにも、メキシコ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフという噂があります。

そちらも確かな情報ではなく、真実は不明ですが、エスパーザさんの情報と混同されている可能性はありそうです。

高見知佳の実家

高見知佳さんの実家の場所については、詳しい情報がありません。

愛媛県新居浜市出身なので、そのどこかにあることは確かでしょう。

沖縄から戻ってからは実家に住み、そこから仕事へ出かけているのかもしれません。

ちなみに、沖縄で暮らしていた頃の高見さんは、母親の介護のために頻繁に実家へ戻っていたそうです。

レストランで働きながら、介護で行ったり来たりする生活は、かなり忙しかったことでしょう。

実家に戻ってからは、目まぐるしく動き回る必要がなくなり、落ち着いた生活をしていたのではないでしょうか。

高見知佳、がん性腹膜炎により死去

2022年は、第26回参議院議員通常選挙への立候補が話題になった高見さん。


落選したものの、新たなフィールドへ一歩踏み出そうとしていたことが伝わってきますね。

しかし、2022年は悲しいニュースが飛び込んできた年でもあります。

闘病の末、亡くなったことが報道されたのです。

愛媛県新居浜市出身でタレントの高見知佳さんが21日、60歳でこの世を去った。

昔と違い、60歳は「まだまだ若い」という印象です。

意外なほど早い訃報に、ショックを受けたファンも多かったのではないでしょうか。

原因は子宮がん

高見さんの病気が発覚したのは、2022年11月のこと。

当時は、2023年の新居浜市議会議員選挙へ向けてあいさつ回りを行っていました。

しかし、心配になるような咳をしており、周囲の人は心配していたようです。

そんな中、突然の腹痛が起こります。

病院で検査をしてもらったところ、結果は子宮がんでした。

7月には参院選に出馬し元気な姿を見せていたが、11月に子宮がんが判明。

それも、軽いものではありません。

発覚したときには、肺や卵巣、脳などに転移していたのです。


体中に広がっている状態では、かなり重い症状が出ていたことが想像できます。

その後は、活動を休止して入院し、抗がん剤による治療を始めました。

しかし、進行しすぎた病は、とても手強いものだったようです。

延命治療は断っていた

苦しい中で治療を続ける中、同年12月には、一時的に自宅へ戻ることができたという高見さん。

その際は、支援者もお見舞いに訪れたそうです。

他にも、仲の良い友人などに会えたかもしれませんね。

しかし、このときには、高見さんの中ですでに気持ちが決まっていたのだとか。

高見さんは望亜さんに「延命治療はしなくていい」と告げていたといいます。

望亜さんというのは、息子さんですね。

その後はまた病院へ戻りましたが、本人の希望どおり、延命治療は行わなかったのでしょう。

亡くなったのは、12月21日でした。

死因は、末期がんによって引き起こされる腹膜炎だったことが判明しています。

元アイドルの高見知佳さんが21日午後、がん性腹膜炎のため愛媛県新居浜市内の病院で死去した。

病気でなければ、政治家として活躍する未来があったかもしれないと考えると、とても残念です。


ですが、芸能活動の中で残してきたさまざまな楽曲や出演作は、これからも長く語り継がれていくはず。

高見さんが真剣に取り組んできた作品を、何度でも味わいたいものです。

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