栗原 恵(くりはら めぐみ)さんは2019年6月に惜しまれつつ現役を引退してコートを去りました。
輝かしい経歴が注目される一方、晩年は怪我を繰り返すなど万全の調子では無かったそうです。
今回は栗原恵さんの経歴や引退理由、復帰の可能性や今後の予定などをチェックして行きます!
栗原恵はオリンピック出場など凄い経歴の持ち主!
まずは栗原恵さんの輝かしい経歴について見て行こうと思います!
バレーボール人生は広島県能美町立・鹿川小学校(鹿川フラワーズ)からスタートし、中学2年の時に強くなりたいとの思いから姫路市の大津中学校へバレー留学をしました。
高校は西日本の強豪「三田尻女子高校」へ進み、2年生の時に全日本デビューを果たしています。
2003年に高校を卒業後は実業団の「NECレッドロケッツ」に入団し、5月の黒鷲旗大会で若鷲賞(新人賞)を獲得するなど評判通りのゴールデンルーキーとしてスタートを切りました。
・(2003~2004年) NECレッドロケッツ
・(2004~2011年) パイオニアレッドウィングス
・(2012~2014年) 岡山シーガルズ
・(2014~2018年) 日立リヴァーレ
・(2018~2019年) JTマーヴェラス
また、栗原恵さんは2011年9月から半年間ほどロシアの「ディナモ・カザン」に移籍しています。
全日本代表(2001~2004年と2006~2012年)にも招集されましたが、アテネオリンピックと北京オリンピックでは5位に終わり、念願のメダルまであと少し届きませんでした。
結果として獲得したメダルは女子バレーボール世界選手権(FIVB2010)の銅メダルのみでしたが、体調が万全であればオリンピックメダルにも手が届いたと思います。
栗原恵さんはコートの中だけでなく、大山加奈さんとのコンビ「メグカナ」でバレーボールブームを巻き起こし、全体のすそ野を広げたという普及活動での功績も大きいです。
栗原恵の引退理由は怪我?
栗原恵さんは2019年6月4日にブログで現役引退を表明し、10日に記者会見を開いていました。
記者会見でも触れたように引退理由は「やり切った!」と心の底から思えたからであり、長年苦しめられ続けた左足や左ヒザの怪我が理由ではなかったそうです。
実は2018年2月に「日立リヴァーレ」を退団した時に引退するつもりでしたが、お世話になっていた吉原知子さんからJTマーヴェラスに勧誘されて現役続行を決めたそうです。
その一方で、栗原恵さんは左足や左膝を何度も怪我をして手術やリハビリをしています。
2006年:左足有痛性分裂種子骨障害(約半年間のリハビリ)
2009年:11月に左膝半月板断裂
2010年:3月に左膝半月の手術(約半年間のリハビリ)
2011年:2月に左膝軟骨損傷を手術
選手のピークである20代は怪我との闘いであり、そのストレスは相当な物だったと思います。
会見で後輩へのメッセージを求められた際に「怪我をせずに頑張って欲しい」とコメントしたことからも、栗原恵さんの怪我に対する悲しみや悔しさが伝わって来ました。
怪我を引退理由にしなかったのは”一種の意地”だったのかも知れません。
栗原恵の復帰や今後の予定はある?
最後に栗原恵さんの現役復帰や、今後の予定について見て行こうと思います。
まず現役復帰については明確に否定しており、復帰どころか指導者になる気も無いそうです。
一部ではビーチバレー選手への転向が噂されていましたが、こちらについてもキッパリと否定しており、今後はタレントとしてスポーツ界全体に恩返しをしたいそうです。
今後の予定としてはすでに「バーチャル春高バレー」のスペシャルサポーターに就任し、全国の強豪校を巡って取材やアドバイスをするなど積極的に活動していました。
ファンからすると栗原恵さんがコーチや監督をする姿も見てみたい気持ちはありますが、自分がやりたい事をしてスポーツ界に恩返しをするのがベストな判断だと思います。
栗原恵さんは小さい頃からバレーボール漬けで何かと制限した人生を送って来ましたが、今はプレッシャーから解放されて伸び伸びとした姿を見られて「ホッ」としました。
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