幾つになっても美しさが変わる事のない十朱幸代(とあけ ゆきよ)さん。
かつて「恋多き女」と言われたように常に恋をし続けている事がその秘訣なのかもしれません。
十朱幸代のプロフィール
本名: 小倉幸子(おぐら ゆきこ)
生年月日: 1942年11月23日
血液型: O型
出身地: 東京府東京市日本橋区(現: 東京都中央区)
所属事務所: アクターズ・セブン
十朱幸代が熱愛をフライデーされた相手は西城秀樹
年を重ねるにつれてどんどん魅力的になっていった十朱幸代さん。
そんな十朱幸代さんは1990年にとある国民的歌手との熱愛がスクープされます。
その国民的歌手とは西城秀樹さん。
1989年のドラマ「夜の長い叫び」で共演した十朱幸代さんと西城秀樹さん。
その翌年に十朱幸代さんが西城秀樹さんのディナーショーに訪れていたことを写真週刊誌フライデーで報じられ交際が発覚。
十朱幸代さんは西城秀樹さんよりも1周り年上。
ですが十朱幸代さんの美貌の前では年齢差なんて全く気になりません。
その後もツーショットやロサンゼルスへの極秘旅行などが報じられ結婚間近と言われた二人。
ところが交際発覚から2年後の1992年に十朱幸代さんと西城秀樹さんは破局。
残念ながら国民的スター同士の恋が実ることはありませんでした。
きっかけは共演
2人が付き合うきっかけとなったのは、前述の共演ドラマ「夜の長い叫び」でした。
十朱さんは、自伝の中で共演時のエピソードを披露しています。
ドラマの中で坂道を駆け下りるシーンがあった十朱さんは、途中で何かにつまずき、転びそうになってしまいます。
それを助けたのが、後ろから追いかける演技をしていた西城さんでした。
恐怖にかられたその瞬間、彼は私の横に回り込み、倒れる私の下敷きになって、私を受け止めてくれました。
危機一髪! すごい運動神経です。
そして、なんて優しく、カッコイイ! こんなこと、他に誰ができます?
この出来事により、十朱さんに恋心が芽生えます。
その日以来、西城さんを強く意識するようになった十朱さんは、スタッフや共演者に気づかれないよう注意していたそうです。
予期せぬ事故が起こった際、とっさの行動で自分を助けてくれたとなれば、好意を抱くのもわかりますね。
交際を認めたのは西城秀樹だけ?
十朱さんといえば、西城さんの他にもいろいろな有名人と噂になったことがありますよね。
高倉健さん、三浦友和さん、寺尾聡さんなど、その恋愛遍歴はとても豪華です。
小坂一也さんとは事実婚状態となり、約15年も夫婦同然の生活を送っていたことがあります。
数々の噂を知っている人なら、「恋多き女性」という印象を抱くでしょう。
そんな十朱さんが、西城さんとの交際をはっきり認めたのは、珍しいことだったようですね。
秀樹が十朱の家に泊まり込んでいたと報じた『フォーカス』に、秀樹は“真剣に愛しています”、十朱は“西城さんとはフィーリングが合うの”とコメントを寄せたほどで、堂々たる交際ぶりでした。
事実婚までいった小坂さんはともかく、他の男性との噂では、「付き合っています」といった発言を避けていたらしい十朱さん。
西城さんだけ素直に認めているのは、それだけ本気だったということかもしれません。
西城秀樹にとってただ1人の熱愛相手だった
前述のとおり、2人の仲は結婚しそうなほど進展していたようです。
西城さんにとっても、十朱さんの存在は特別だったものと思われます。
非常に真面目で、熱愛報道はほとんどなかった西城さん。
十朱さんとの交際を知り、「あの西城秀樹が?」と驚いた人も多かったのではないでしょうか。
本誌は’90年に女優・十朱幸代との豪華客船デートをスクープしているが、’01年に18歳年下の美紀夫人と結婚するまで、浮いた話はこれだけ。
西城さんは、芸能活動の中で他にもいろいろな女性と仕事をしているはず。
その中で噂になったのが十朱さんだけで、結婚まで考えていたとすれば、かなり強い思いを抱いていたのではないでしょうか。
破局したときは、西城さんのショックも大きかったかもしれませんね。
十朱幸代と西城秀樹が別れた理由
西城秀樹さんと結婚間近と言われながらも破局してしまった十朱幸代さん。
後に発刊した自叙伝「愛し続ける私」で婚約発表会見間近だった事を暴露し大きな話題となりました。
結婚していてもおかしくなかった2人が、なぜ破局してしまったのでしょうか。
破局してしまった最大の原因は「周囲の反対」でした。
交際時には反対する声はそれほど強くなかったようですが、結婚となると話は別。
西城秀樹さんと良好な関係を築いていた十朱幸代さんの母親も反対するようになってしまったそうです。
また、西城秀樹さん側は特に反対意見が強かったんだとか。
十朱幸代さんが12年上だったことから「子供を産むことができない」という理由で西城秀樹さんの母は反対。
更には西城秀樹さんの芸能界入りを後押ししたという姉も結婚に猛反対。
芸能界を志した際に両親を説得してくれた事から姉には頭が上がらなかったという西城秀樹さん。
姉に反対された事が決定打となり十朱幸代さんと別れる事を選んだと噂されています。
もし十朱幸代さんと西城秀樹さんが一般人であれば家族の反対を押し切って結婚する事が出来たかもしれません。
ですが芸能界で確固たる地位を築き上げた二人。
周囲への影響を考えると反対を押し切って自分たちの我儘を押し通すことはできません。
自らの努力で築き上げた地位により結婚できないなんて何とも悲しすぎる話ですよね。
十朱幸代、結婚(事実婚)した夫と不倫で破局?
結婚間近と言われながらも1992年に西城秀樹さんと破局した十朱幸代さん。
それ以前に事実婚となっていた小坂一也さんは、「元祖プレスリー」と呼ばれ、日本におけるロックの第一人者と評判でした。
俳優としても稀有な才能を発揮し松竹映画には欠かすことの出来ない俳優だったのです。
そんな小坂一也さんと十朱幸代さんは1959年の映画「惜春鳥」での共演がきっかけで交際に発展。
その後、15年に渡って交際、同棲生活をしていました。
当時のスター同士の結婚にしては珍しく内輪だけという式を挙げた小坂一也さんと十朱幸代さん。
ですが「形にとらわれる必要はない」ということで入籍はしていません。
そのため、2人は事実婚だったんです。
長年く交際していた2人ですが、結婚式から1年経たずに破局。
破局の原因は小坂一也さんと松坂慶子さんの不倫、と言われています。
小坂さんが開いた会見でも暗に認めていたようなので、不倫が原因というのはほぼ間違いないでしょう
ただ、小坂一也さん曰く、松坂慶子さんへの好意は片思い。
一方的に小坂さんが好きになってしまっただけだったようです。
ですが十朱幸代さんと別れた後、小坂さんと松坂さんは交際していた、との噂も。
きっと小坂一也さんは松坂慶子さんを庇って「片思い」と主張したのでしょうね。
この相手を思いやる気持ちを十朱幸代さんに向けていれば今も仲良く暮らしていたのかもしれません。
十朱幸代の経歴まとめ
個性派俳優として活躍した十朱久雄さんを父に持つ十朱幸代(とあけゆきよ)さん。
類い稀な美貌で中学生の頃からモデルとして活動。
そして父親とともに訪れたNHKでスカウトされたことで女優デビューが決定。
十朱幸代さんの女優デビュー作となったのが1958年のドラマ「バス通り裏」。
ただ、当時の十朱さんは女優業は仕事というよりも遊びの延長と感じていたんだとか。
その一方で十朱さんの他、岩下志麻さんや田中邦衛さんなども出演していた「バス通り裏」は大好評。
当初、3か月の予定だった放送期間が6か月、1年と伸び、最終的には5年も放送が続く大人気ドラマに。
ドラマの評判とともに十朱幸代さんの人気も急上昇。
「元祖 国民の恋人」と呼ばれるほど絶大な人気を誇る若手女優となりました。
ただ、自ら「プロ意識が芽生えるのが遅かった」と語るようにこの頃の十朱幸代さんは人気先行の若手女優。
女優としての実力が認められるようになったのは30代になってから。
そして40代になってようやく自分の事を認められるようになったという十朱幸代さん。
44歳の時に映画初主演を果たし、日本アカデミー賞で優秀主演女優賞を4度も受賞。
2013年に旭日小綬章を受賞するなど名実ともに日本を代表する演技派女優として知られるようになりました。
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