抜群のルックスで若者を中心に人気を博した多岐川裕美(たきがわ ゆみ)さん。
女優だけでなく歌手や司会、バラエティと多才な活躍を見せています。
多岐川裕美のプロフィール
本名: 大内薫(おおうち かおる)
生年月日: 1951年2月16日
身長: 160cm
血液型: O型
出身地: 東京都杉並区
最終学歴: 山脇学園短期大学
所属事務所: トライストーン・エンタテイメント
多岐川裕美の元夫が自殺していた
多岐川裕美さんは1984年8月にマネージャーの阿知波信介さんと結婚し、のちに離婚しています。
離婚後も芸能事務所副社長と所属女優という関係は続いていました。
その関係が終わったのは2007年のこと。
2007年に阿知波信介さんが亡くなってしまうのです。
死因となったのは病気などではなく自殺。
亡くなる3年前に脳梗塞で入院していた阿知波信介さん。
その後も高血圧などにより体力と気力の低下を感じ、周囲に相談をしていたそうです。
また、阿知波信介さんの死後、アクターズプロモーションは破産申請をしています。
そのため副社長を務める事務所の経営が思わしくなかったことも阿知波さんを苦しめていた可能性が高そうです。
そして阿知波信介さんは鹿児島県の「犬飼の滝」に飛び込み死去。
阿知波さんは自殺をするために鹿児島県に赴くとは思えません。
また、遺書も残されていないとの事なので突発的に自殺をしてしまったのでしょう。
もしかすると阿知波信介さんは鬱に近い状態だったのかもしれません。
借金に悩んでいたことも要因のひとつ?
阿知波さんの自殺については、借金の悩みという説もあります。
週刊誌で芸能関係者が発言したところによると、借金と病気が同時に襲ってきた状態だったのだとか。
「07年に阿知波氏が借金や病を苦にして自殺してしまいます。多岐川母娘にとっては大ショックでした」
前述のとおり、阿知波さんが亡くなった同月、アクターズプロモーションは破産しています。
確かな情報ではありませんが、負債総額は5億に達したという噂もあったようです。
事務所の経営難だけでも悩みの種だったはずですが、なんとか立て直そうとして大変な借金をしたことが、さらに苦悩を強くしたものと思われます。
5億円という話が本当なら、簡単に返せる額ではありません。
返済の目途が立たず、阿知波さんは絶望していたのでしょうか。
そんな中で病気と闘い、体や精神へのダメージが蓄積していった結果、2007年の悲しいニュースにつながってしまったのかもしれませんね。
すでに離婚しているとはいえ、元夫だった阿知波さんが自殺したとなれば、多岐川さんが強い衝撃を受けたのも無理はありません。
阿知波さんが非常に悩み、苦しんでいたことを想像し、胸を痛めたのではないでしょうか。
元夫が亡くなってからも再婚はしていない
かつての夫が自殺したというニュースは、多岐川さんのファンにもショックを与えたことでしょう。
その一方で、再婚がどうなっているのか、気になる人も多いのではないでしょうか。
阿知波さんとの離婚は1997年なので、2007年の時点で10年経っています。
それからさらに年月が流れる中、新たな恋が芽生える可能性もあるわけですが、多岐川さんの再婚報道は出ていません。
そのため、2023年現在も独身と思われます。
多岐川さんには新たな熱愛報道もなく、男性とのデート写真が話題になったことなどはありませんでした。
結婚間近と思われる彼氏の存在も、確認されていないわけです。
阿知波さんの自殺を知っている人は、そのショックが何らかの影響を与えた可能性も想像するかもしれません。
ですが、再婚しなかった理由について、多岐川さんが詳しく語ったことはありません。
結婚した夫・阿知波信介は俳優兼芸能プロモーター
元々は俳優として「ウルトラセブン」を始め、数々のドラマや映画に出演した阿知波信介さん。
俳優としての活動に限界を感じたのかその後、引退して三船プロダクションのスタッフに。
そして多岐川裕美さんが新人の頃から担当マネージャーを務めていました。
1979年の三船プロダクション内紛時には多岐川さんと阿知波さんは共に田中プロモーションに移籍。
その後、再度の分裂時にも行動を共にしてアクターズプロモーションへ。
多岐川裕美さんと結婚時、阿知波信介さんはアクターズプロモーションの副社長兼、アクターズエージェンシー社長。
事務所社長と所属女優という立場から公私に渡るパートナーとなった二人。
結婚から4年後の1988年には長女、華子さんが誕生するなど幸せな家庭を築いていました。
ところが結婚から13年後の1997年に二人は離婚。
ただ、離婚後も多岐川裕美さんは阿知波信介さんが社長を務める事務所に所属し続けていました。
きっと二人とも「仕事と私生活は別」と割り切っていたのでしょうね。
多岐川裕美が離婚した原因は夫の不倫
1997年に13年続いた夫婦生活にピリオドを打った阿知波信介さんと多岐川裕美さん。
デビュー当初から二人三脚で芸能活動を行うなど公私に渡って深い関係にあった二人。
それが離婚を選ぶなんてよっぽどの理由があったに違いありません。
そこで離婚原因を調べてみると阿知波信介さんと不倫が原因という事がわかりました。
多岐川裕美さんと離婚後、阿知波信介さんは20歳年下の女性と結婚。
おそらくこの女性が不倫相手だったのでしょう。
女優として活躍する自分を差し置いて一般人と不倫をするなんて、多岐川裕美さんのプライドは相当傷ついたはず。
多岐川裕美さんが離婚を選択したのも当然と言えるでしょうね。
多岐川裕美の娘も離婚していた
阿知波信介さんと離婚後、多岐川裕美さんの手によって育てられた娘の華子さん。
シングルマザーとはいえ大女優だけあって、華子さんは何不自由ない生活どころが贅沢三昧の日々。
小学生にして飛行機はビジネスクラス、旅行先に泊まるのは高級ホテルと幼少期から誰もが羨むような生活を送っていました。
そんな華子さんは両親が芸能関係者という事もあって小さい頃から芸能界志望。
14歳の時には反対する多岐川裕美さんに内緒で10社以上の芸能事務所に履歴書を送ったそうです。
ところがオーディションの結果、すべて不合格。
普通ならばここで諦めるところですが、そこは親に恵まれた華子さん。
多岐川裕美さんのコネのおかげで芸能事務所に入所する事が出来たんだとか。
当初は華子さんの芸能界入りに反対していた多岐川裕美さん。
ですが、華子さんが自ら履歴書を送ってオーディションを受ける姿をみて「力になりたい」と思ったのでしょうね。
こうして芸能事務所入りを果たした華子さん。
それから3か月後にCMに出演した事で本格的に芸能活動を始めると雑誌のグラビアやバラエティ番組で活躍し、瞬く間に人気タレントの仲間入り。
更なる飛躍が期待された華子さんですが23歳の時に松方弘樹さんと仁科亜季子さんの息子である仁科克基さんと結婚。
大物タレントの子供同士の結婚は当時、大きな話題となりました。
ところが結婚からそれから2年も経たないうちに二人は離婚。
離婚の原因となったのは仁科克基さんのキャバクラ通い。
多岐川裕美さん、華子さんは親子揃って夫の女癖の悪さで離婚してしまったんですね
そんな華子さんは現在、芸能活動の傍ら不動産会社で事務のアルバイトをしているんだとか。
また、多岐川裕美さんの力に頼ることなく、自分の力で芸能活動を続けるために芸名を「多岐川華子」から「華子」に改名。
きっと華子さんはいかに自分が恵まれた境遇で育ち、世間を知らなかったのか嫌というほど思い知らされたのでしょう。
親の脛をかじりっぱなしの二世タレントが多い中で自立して生活をするようになった華子さん。
地道に努力を続ける事で再びメディアで活躍する日がくるはず。
そう遠くないうちにまるで別人のようにしっかりとした華子さんを見られるかもしれませんね。
多岐川裕美の経歴まとめ
東京駅の近くでアルバイトしている時にスカウトされて芸能界入りした多岐川裕美さん。
1974年に映画「聖獣学園」で女優デビューにして初主演。
更にはヌードを披露するなど衝撃のデビューを飾っています。
その後も「仁義の墓場」や「続・愛と誠」など話題作に数多く出演。
1976年のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」に出演した事をきっかけに活動の中心をテレビにシフトした多岐川裕美さん。
1979年のドラマ「七瀬ふたたび」でヒロインを演じた事で大ブレイク。
その翌年には早稲田大学生の人気投票で1位になるなど特に若者の間で確固たる人気を獲得。
人気に背を押されるように女優業に加えて歌手やバラエティ番組への出演など次第に活躍の場を広げるようになります。
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