読売ジャイアンツで活躍した広岡 達朗(ひろおか たつろう)さんは歯に衣着せぬ大胆な性格で有名ですよね。
監督や評論家として怖いイメージの反面、孫の前だと笑顔いっぱいだそうです。
今回は広岡達朗さんの孫の情報や、野球選手たちとの関係などを見て行きます!
広岡達朗の孫は宝塚歌劇団に入っていた!
広岡達朗さんのお孫さんが宝塚歌劇団へ入団していたそうで、2019年10月13日の公演で退団することが発表されて再び話題になっていました。
お孫さんの名前は広岡侑希子さんと言いますが、宝塚での芸名は麻央侑希さんなので改めて言われなければ祖父と孫の関係だと気付きませんよね。
戸籍上の繋がりは広岡達朗さんの息子さんの娘と言うことになります。
同じく退団が決まっている麻央侑希さんも宝塚大劇場での最後の舞台を終えて pic.twitter.com/X1mHmNf3rl
— ベルちゃん@ニッカン宝塚 (@nstakarazuka) 2019年8月19日
麻央侑希さんは東京宝塚劇場で星組公演を見て宝塚への受験を決めましたが、両親が猛反対した時も広岡達朗さんは優しく応援してくれたそうです。
2008年3月1日に開かれた宝塚音楽学校の卒業式に出席した広岡達朗さんは「責任を持って行動して欲しい」と社会人の先輩としてコメントしていました。
入団した時の席次は44名中28番目と際立った成績ではありませんでしたが、星組入団後はメキメキと頭角を現して人気男役として活躍していました!
退団後の麻央侑希さんが進む道はまだ分かりませんが、多くの先輩たちのように女優としてドラマや映画などに出演するかもしれませんね!
広岡達朗は厳しい性格で性格で管理野球を徹底!
2年連続のパリーグ優勝へ。
プレーオフへ意気込む江夏投手らファイターズナインでしたが、そこに立ちふさがったのが黄金期を迎えようとしていた名将広岡達朗監督率いる西武ライオンズでした。 pic.twitter.com/tvA33WK5aM— ベイ山城さん@2019シーズン復帰 (@Bay_yamashiro) 2016年4月3日
広岡達朗さんは選手としても巨人で新人王を獲得するなど活躍しましたが、それ以上に評価されているのは指導者としての実績でした。
昔の野球選手は今と違って豪快なキャラクターが多く、試合が終わって飲みに出かけて二日酔いで試合に来たりする選手も珍しく無かったそうです。
ヤクルトの監督時代もキャンプや遠征先の食事は観光客のような物ばかりで、それを見た広岡達朗さんは玄米や肉の制限などを取り入れていました。
その他にも禁酒、禁煙、禁麻雀なども選手にルールとして課していました。
あまりに急激な食事制限で選手たちはパニック状態になり、西武の選手たちは寮の近くの床屋さんで白米を食べさせてもらったそうです(笑)
食事や生活習慣の大改革でヤクルトや西武は優勝するまで強くなりましたが、広岡達朗さんの指導方針に対して反発する選手も多く居ました。
さらに、現役を退いていた広岡達朗さんは食事や飲酒などを制限しておらず、その点について江夏豊さんや野村克也さんなどから批判を受けていました。
他にも選手が調子に乗らないように「ヘタクソ」と挑発した事が何度かあったそうですが、チームを強くするための”ヒール役”に徹したのかも知れません。
広岡達朗は落合博満や長嶋茂雄を評価
落合博満「天才は俺じゃない。前田(智徳)だよ。彼の打撃を一年中、見ていたい」#落合博満 #前田智徳 #カープ pic.twitter.com/pORdHVWpH3
— カープのコトバ (@akakotoba) 2019年1月30日
広岡達朗さんは落合博満さんの監督としての才能を高く評価しており、なんと「巨人の監督になっても反対しない」と落合博満さんを認めていました。
これだけ聞くと(?)と思ってしまいますが、広岡達朗さんは巨人OB(しかも入団から退団まで在籍の選手)以外の監督就任に猛反対しているからです。
選手としては1994年から96年まで巨人に在籍した程度ですが、監督として自らノックをして鍛え上げる落合博満さんの姿勢を高く評価していました。
星野仙一さんが巨人の監督候補に挙がった時には「星野がなるなら巨人のOBを辞める」とまで言い切って関係者を驚かせていました。
そんな広岡達朗さんがOKを出すのだから相当な高評価と言えますね!
チームメイトであった長嶋茂雄さんについては独特の表現で評価していました。
長嶋茂雄さんは指導方法が普通ではなく「来た球をバッと打つの」とか「パッと捕ってパッと投げるの」などユーモアにあふれています(笑)
これについて広岡達朗さんは「無意識でやってるんですよ」と表現し「それを出来るのがスーパースター」と長嶋茂雄さんの技術を高く評価していました。
まさに感覚として染み付いていると教えようが無いという感じでしょうか?
ちなみに、監督の長嶋茂雄さんについては特に論評はしていませんでしたが、さすがの広岡達朗さんも触れにくい部分だったのかも知れませんね。
広岡達朗は名コンビだった森祇晶と犬猿の仲になっていた
「常勝西武」と言われていた広岡さんの時も森さんの時も、現状より圧倒的にしんどい時期はあった。それでも大事な時期で盛り返して優勝してきた!!
王者の系譜を受け継ぐべく闘う現在のライオンズ。踏ん張りどころはここです!! pic.twitter.com/nFtz6vJl7L
— 40L党@CATCH the GLORY リーグ2連覇&日本一奪還 (@40_LEOTOH1983) 2019年5月9日
広岡達朗さんと森祇晶さんはヤクルト時代から西武時代を監督とコーチの関係で過ごし、理論家同士で息があったコンビとして知られていました。
ふたりの関係が悪化したのは1984年に西武がリーグ三連覇を逃した際、広岡達朗さんが投手陣が崩壊した責任を森祇晶さんに押し付けたことでした。
それまでの森祇晶さんは広岡達朗さんの代役として厳しい管理野球を指示し、選手たちから「森CIA」と陰口を叩かれるほど嫌われていたそうです。
そこまで尽くしてきた監督から一方的に優勝を逃した責任を問われ、多くの権限を没収されてシーズン途中から最後まで干されて過ごしました。
森祇晶さんは退団を決意しますが、球団は広岡達朗さんの後継として「森監督」を考えていたので一時的に退団する形をとっていました。
1986年2月10日、NHK解説者の広岡達朗が昨季まで監督を務めた西武の春野キャンプを訪問も、森祇晶新監督や石毛宏典など現場と顔を合わせずスタンドから練習を見学するのみ。昼食も球団用意の幕の内弁当に手をつけず球場の300円のきつねうどん。森も広岡に出向かず、両者の不仲を裏付け。スポニチ86.2.11 pic.twitter.com/oLq8myAIzY
— 振り逃げ満塁ホームラン (@furinige2013) 2019年2月10日
1986年に森祇晶さんが西武の監督に、広岡達朗さんは野球解説者になりました。
広岡達朗さんが取材で西武を見に来ても森祇晶さんが挨拶することは無く、その場に居た元巨人のOBたちもふたりの関係を見て驚いたそうです。
それもそのはず、昔の森祇晶さんは川上哲治監督からの「広岡とは話すな」というルールを破って広岡達朗さんに挨拶をしていたのです。
そこまで親しい関係だったふたりが今では犬猿の仲になっていました。
今も関係が改善する気配は無く、広岡達朗さんは清原和博さんが覚せい剤で逮捕された際も「常識を教えなかった監督が悪い」と批判していました。
球史に残る名コンビの終わり方としてはあまりに悲しい状態になっています。
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