若松勉の現在。野村克也、青木宣親との関係。名言「おめでとうございます」&天才エピソード

今もミスタースワローズとして尊敬されているのが若松 勉(わかまつ つとむ)さんです。

野球選手としては小さい身体でしたが、天才的な才能とガッツで大きな夢を掴みました。

今回は若松勉さんの現在や天才エピソード、野村克也さんたちとの関係を見て行きます。

小さな天才バッター・若松勉

まずは若松勉さんの天才と言われるバッティングについて見て行きましょう。

ヤクルトに入団した当時は166cmという小柄な体型で目立ちませんでしたが、指導をしていたヘッド兼打撃コーチの中西太さんは若松勉さんの素質を高く評価していました。


ちなみに、本人がプロ入りを嫌がっているのを説得してまで入団させたのは有名な話です。

社会人を経て入団をしているので初出場は24歳(1971年)と遅めでしたが、1年目からレフトのレギュラーに定着して112試合に出場、規定打席未満ですが高打率(.303)を残しています。

2年目(1972年)には早くも首位打者(打率.329)を獲得するという天才的な活躍を見せ、1977年のタイトルと合わせて2度の首位打者だけでなく9度もベストナインに輝いていました。

また、通算成績の6808打数2173安打(打率.31918)は歴代3位の成績として今も輝いています。

ちなみに、若松勉さんが首位打者を獲った1977年の三振数が14(503打数)で、あのイチロー選手の似た数字を探すと1998年が”506打数で35三振”だったので凄さが際立ちますよね。

さすがの天才打者も年齢による衰えや腰痛などの持病の悪化によって出場機会が減り続け、惜しまれつつ1989年(42歳)のシーズンオフに19年という長さの現役生活を終えています。

もっとも、若松勉さんは天才的な才能だけでなく努力の人であるのを忘れてはいけません。

若松勉の「おめでとうございます」が流行語に

次は若松勉さんの代名詞になってしまった「おめでとうございます」について見て行きます。

2001年シーズンのリーグ優勝を飾った10月6日、優勝監督として胴上げされた直後のインタビューの中で「ファンの皆様、本当におめでとうございます」と発言しました。

これはファンを笑わせようとしたのではなく「お祝いよりも感謝」という意味があるそうです。

若松勉さんが非常に真面目な性格なのは同僚やファンも知っているところですが、このコメントによって”礼儀正しくて真面目な人物”ということが世間に広まりました。

このフレーズは暮れの「新語・流行語大賞」で語録賞に選ばれるほど浸透しましたが、悪いニュアンスの言葉では無いので流行ったことは良かったと言えるでしょうね。

名監督・若松勉を育てたのは野村克也だった

ここでは若松勉さんを名監督に育てた野村克也さんとのやり取りを見て行きましょう。

野村克也さんはヤクルトの監督をしていた時に当時の球団社長から若松勉さんの育成を頼まれ、どちらかと言えばノリ気では無いまま引き受けたと言われています。

その理由は野村克也さんの持論が「外野手出身に名監督なし」であったからでした。

確かに昔は投手や捕手、内野手出身の監督が好成績を残していましたが、これは勝負の場であるバッテリーや内野から遠く、配球や作戦などからカヤの外にあるからと言われています。

しかしながら近年ではデータ野球が浸透したことで外野手も捕手のリードや動きを観察するようになり、それに合わせて守備位置を変えるなど意識も大きく変化しているところです。

野村克也さんは「試合中は近くにいろ」や「ワシのボヤキを聞け」と指導し、若松勉さんも持ち前の真面目さを活かして知識や”監督のあり方”を教わる師弟関係の日々が続きました。

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#野村克也 #古田敦也 #若松勉 2019

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1999年からは野村克也さんの後継として監督に就任し、退任する2005年までに4度のAクラスや日本一(2001年)に輝くなど名監督として言われるほどの実績を残したのは周知の通りです。

野村克也さんのID野球とは少し違った体力重視の野球を採り入れたこと、青木宣親さんたち若手の育成や起用によってチームを若返らせた功績は数字以上に大きいと言えるでしょう。

若松勉は現在や青木宣親の年賀状について

最後に若松勉さんと青木宣親さんの不思議な関係に迫って行きましょう。

2005年シーズンをもってヤクルトの監督を退任して以降は目立った役職には就いておらず、現在は野球解説者として主にニッポン放送の番組に出演しています。

再びヤクルトの監督に返り咲いて欲しいという声も多くありますが、若松勉さんはまじめな性格で責任感も人一倍強く、73歳になった今では心身ともに耐えられないかも知れません。

ちなみに、実際に役職に就いていた頃はストレスで胃を悪くしたこともあるそうです。

とても真面目な若松勉さんを表すエピソードとして話題になったのが、教え子である青木宣親さんからの年賀状を今も大切に持ち歩いているという話でした。

その年賀状は最近の物では無く、なんと平成17年(2005年)という年代物だったのです。

ふたりが直接の師弟関係だったのは2年程度とそれほど長いものではありませんが、プロ2年目だった青木宣親さんの才能を見抜いて起用したのは見事としか言えません。

また、青木宣親さんは若松勉さんが着けていた背番号「1」を受け継いだという縁もあります。

若松勉さんはそんな後輩から送られた年賀状を「お守り」のように持っていますが、これは「青木みたいなの出てこないかな」という願掛けの意味だと照れながら話していました。

なかなか若松勉さんの”お眼鏡”に叶う選手は見つからないと思いますが、もしかすると青木宣親さんが指導者になって「青木宣親二世」を自ら育成してくれるかも知れません。

もしもその通りになれば、自分自身で見つけた以上に喜んでくれるのは間違いでしょう。

のんびりと好きな野球を観戦し、後輩達の活躍を見ている今が一番幸せなのかも知れませんね。


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