井上靖の家族。母・娘・息子と家系図まとめ。故郷の伊豆はしろばんばの舞台

『敦煌』『氷壁』『しろばんば』など多彩な小説を世に残し、それらが今もドラマ化、映画化されている井上靖(いのうえやすし)さん。

この記事では、時代を超えて愛される昭和の文豪の私的バックグラウンドをたどります。

母、娘、息子ほか家族はもちろん、文学的な感受性を培った伊豆での少年時代や家系図についてもみていきます。

井上靖の家族と少し複雑な家系図


海外でも評価が高く、ひと頃は毎年のようにノーベル賞の対象者として注目を集めた井上靖さん。

1969年には実際にノーベル文学賞の候補になっていたことが2020年1月に明らかになりました。

ノーベル賞は各候補者の名前が50年間非公開になっており、その期限が過ぎたことでスウェーデン・アカデミーが公表したものです。

1969年というと、川端康成さんが日本人での文学賞初受賞に輝いた翌年にあたりますね。

井上靖さんが誕生した1907年は明治40年。

2007年には生誕100周年記念の大河ドラマ『風林火山』が放送されました。

『天平の甍(いらか)』『敦煌』『おろしや国酔夢譚』『氷壁』『額田女王』など映像化された作品も多いです。

新聞社の記者を経て本格的に小説の執筆に取り組んだのは40歳を過ぎてから。

『闘牛』で芥川賞を受賞して文壇へ登場した時は43歳でした。

井上家は伊豆・湯ヶ島で代々続く医者の家系であり、父・隼雄さんは婿養子でした。

旭川第七師団の陸軍軍医だった父の任地の北海道旭川市で、井上靖さんは長男として誕生します。

母は八重さんといい、母方の曽祖父・潔さんは名医とうたわれた人物。

家庭の事情で 両親と離れ、湯ヶ島で祖母・かのさんに育てられることになったのは5歳の時でした。

かのさんは戸籍上は祖母でしたが、実のところは曽祖父・潔さんのお妾さんだったため血のつながりはありません。

けれどもかのさんは靖少年をかわいがり、手離そうとしませんでした。

28歳の時に結婚したふみ夫人はエッセイストであり、夫との56年間をつづった『風のとおる道』などを発表。

ふみ夫人の父は世界的に名高い解剖学者で京都大学教授の足立文太郎博士。

ふみ夫人との間には4人の子供がいます。

母を描いた自叙伝的小説と息子・娘について

2012年、井上靖さんが晩年に発表した『わが母の記』を映画化した同名作品が公開されました。

老いて失われつつある記憶の中で、離れて暮らした息子への愛情を思いだそうとする母と、そんな母に微妙な距離感を感じながらも受け入れようとする息子を描いた感動作です。

幼少期に両親と離れて育てられたことから、実母との親子関係が希薄だったという井上靖さん。

監督は『クライマーズ・ハイ』の原田眞人監督、主人公に役所広司さん、母役に樹木希林さん。

撮影は井上靖さんの世田谷の自宅で行われ、名作が誕生した書斎も使用。

また少年時代を過ごした伊豆の湯ヶ島も登場するため、井上文学ファンは必見の映画です。

長女の浦城幾世さんは井上靖記念文化財団の専務理事として井上文学の普及に尽力。

「浦城いくよ」名義で『父井上靖と私』を出版しています。

長男の井上修一さんはドイツ文学者で筑波大学名誉教授。

日本独文学会やドイツ語学文学振興会の理事長を歴任しました。

次男の井上卓也さんは慶応義塾大学卒業後に電通に入社し、JRのフルムーン・シリーズなどを手がけたCMプランナー。


小説家としても活動しており、すでに電通を退社しているそうです。

次女の黒田佳子さんは詩人で、著書に『父・井上靖の一期一会』があります。

伊豆で過ごした少年時代

生まれは北海道ですが、育ったのは静岡県。

少年時代を過ごした伊豆が本当の故郷であり、「井上靖」という人間の土台をつくりあげた場所と語っています。

自伝的小説三部作のひとつ『しろばんば』を生んだのも伊豆の地。

「しろばんば」とは雪虫のことで、伊豆半島中央部の湯ヶ島では、秋の夕暮れにしろばんばが飛び回る光景が見られたそうです。

井上靖さんは1991年1月29日、 急性肺炎のため83歳で死去しました。

葬儀委員長を務めたのは司馬遼太郎さんです。

墓所のある湯ヶ島の熊野山墓地では、毎年命日にいちばん近い日曜日に「あすなろ忌」が行われます。


パーティーの席では、隅でぽつんとしている人を常に気にかけたという井上靖さん。

複雑な環境で育った少年期の体験がそうさせていたのかもしれません。

書店には今も文庫本が並んでおり、人気は根強いですね。

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