美しい文体で日本の伝統美を書き残した文豪・谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう)。
実はその人柄は、『鍵』など一部の妖艶な作品から垣間見られるように、変態的だったと言われています。
そんな谷崎は、生涯に3人の女性を妻に迎えています。
日本人の小説家でそこまで多くの妻をめとるという事例は聞いたことがないので、今でも注目を集めるに十分なエピソードと言えるでしょう。
今回は、松子、千代、丁未子(とみこ)という、それぞれの妻の詳細を見ていきましょう。
また作家の佐藤春夫に、妻を譲渡したという情報についてもまとめていきます。
谷崎潤一郎のプロフィール
本名:谷崎潤一郎
生年月日:1886年7月24日
死没:1965年7月30日
身長:155㎝前後
出身地:東京市日本橋区蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋人形町)
最終学歴:東京帝国大学国文科中退
谷崎潤一郎は妻・松子を崇拝していた
では、谷崎の3人の妻の情報を詳しく見ていきましょう。
谷崎潤一郎と三人の妻たち。
1.石川千代 (芸者)
2.古川丁未子 (文藝春秋記者)
3.根津松子 (旧家の御寮人様)
おまけ:千代の妹で女優の葉山三千子(本名せい子) pic.twitter.com/9Z9Jk3RwXB— 坂本葵 (@aoi_skmt) July 30, 2015
まずは松子という女性についてご紹介します。
今年1月に刊行された『谷崎潤一郎の恋文』(中央公論新社)の、松子宛書簡で1番古いものを、只今天理ギャラリー(千代田区神田錦町1-9)で開催の「手紙」展に出品中。最初の妻と別れた直後に、人妻松子に宛てた巧妙な手紙。大人の微妙な距離感。 pic.twitter.com/5dD7zWY4qE
— 「手紙展」 (@tenri_tegami) May 20, 2015
谷崎の回想録を出していることからも、谷崎夫人と言えば、最後の妻・松子を思い浮かべる人も多いでしょう。
★倚松庵の夢…谷崎松子
谷崎潤一郎の創作の女神、松子夫人による出会いから最晩年の回想録。
夫でありながら独自の美学を追求する大作家として存在した谷崎への愛。日々の生活の中で見せる谷崎の知られざる素顔や、時に感じた気苦労や嫉妬などの女心も風情ある文章に織りこまれてます。貴重な記録。 pic.twitter.com/zT0LLEuZZr
— 海と読書 (@seaside_library) June 30, 2019
松子は1903年、日本最古の造船所である藤永田造船所の専務の次女として大阪に生まれています。
豪商の一族の四人姉妹だったことからわかる通り、谷崎の『細雪』に登場する四人姉妹の次女・幸子のモデルです。
根津清太郎という裕福な綿布問屋の子弟と結婚しますが、夫は愛人と駆け落ちするなど素行が悪かったと言います。
松子は裕福な家庭に育ったものの、没落し貧しい生活を余儀なくされていた時期、20歳年上の谷崎と出会いました。
1934年に根津と離婚、翌年に谷崎と結婚します。
これまではスキャンダラスな女性関係を展開してきた谷崎も、ようやく松子という理想の妻を得て落ち着きました。
しかし松子が妊娠した際、谷崎が「芸術的な雰囲気の維持」のために堕胎をさせたことが非難されるなどトラブルもあったようです。
ただ実際には松子の健康上の理由が堕胎の要因だったそうで、谷崎のわがままではなかったことがわかっています。
妻を崇拝して執筆した作品
松子といえば、谷崎が非常に崇拝していた妻としても知られています。
一般的に「崇拝」というと、尊敬しあがめること。
宗教の話題では違和感のない言葉ですが、恋愛や結婚の話題では少々異質な感じがします。
普通の恋愛とは一味違った谷崎の思考に、戸惑う人もいることでしょう。
文豪のラブレター本、だいたい好きな人に思いを伝える、の説明なのに、谷崎潤一郎「二人の距離は急接近。谷崎は松子への崇拝・服従の気持ちを手紙にしたためるようになる」
なんでなんだよ— もぐら (@mogura7260) January 2, 2021
ですが、妻を崇拝する強い気持ちは、谷崎の創作に大きな影響を与えています。
『盲目物語』や『春琴抄』など、女性崇拝を描いた作品は、松子のことを考えながら書いたのだとか。
谷崎潤一郎が3人目の妻・松子に宛てた口説き文句。
「あなた様のことさえ思っておりましたらそれで私には無限の創作力が湧いて参ります」
そして出来上がったのが『盲目物語』『蘆刈』『春琴抄』という傑作である。松子の実家は大阪船場の大富豪であり、『細雪』のモデルにもなっている。— 西尾政孝 (@masatakatze) December 23, 2022
こうした作品は名作として長く読み継がれていますよね。
最近になって新たにファンとなり、「初めて読んだ」という人も多いかもしれません。
谷崎潤一郎『盲目物語 春琴抄』岩波文庫 #読了
ハードな純愛ものイメージが強かったけどちょっと違った春琴抄。それはエゴでしかないけどエゴを含まない愛は存在し得る?結果的に相手も救う奇跡的なバランスの上に成り立つ関係こそを運命の相手と呼ぶのでは?
語り口が面白い。資料を集めたり、 pic.twitter.com/U11yo3LRnn— ゆまのすけ (@hachigatsuno1) November 28, 2022
谷崎潤一郎「盲目物語」を読んだ。エロくなかったら捨てるはずだったが、エロくなかったが捨てられないほど面白かった。信長の妹お市の生涯を、その側で仕えていた盲目の男の目線で語るお話。川の流れるごとく美しい言葉に乗せられて流れていくだけだったがそれが尋常でない気持ち良さだった。
— 杉本拓矢 (@Pfhoooor) July 15, 2021
これから読むという人は、妻を崇拝する気持ちで書いたという情報を、覚えておくといいかもしれません。
そうすると、「松子にも似たような気持ちを抱いていたかも」といった楽しみ方ができるでしょう。
昔すでに読んだことがある人も、松子の情報をあとから知った場合などは、また興味深く読めるのではないでしょうか。
妻に対する崇拝を意識しながら読み進めれば、新たな発見がありそうですね。
没後に妻への手紙や誓約書が公開される
2014年は、谷崎が書いた未公開の手紙が、遺族によって公開されています。
遺族がずっと保管していた288通もの手紙には、松子に宛てたものも含まれていました。
その中で谷崎が使っていたのは、「順市」という署名。
これは、松子の夫ではなく、奉公人でいたい気持ちからつけ名前なのだとか。
しかも手紙には、「御いぢめ遊ばして下さい」といったマゾヒスティックな懇願が書かれていました。
マゾヒズムを描いた谷崎作品を知っている人なら、「イメージどおり」と思ったのでしょうか。
やはり、普通の恋愛とは少し違う、崇拝の気持ちがあるようですね。
当時は、結婚の際に書かれた2通の誓約書も一緒に公開されています。
その内容は、自分の命や体、家族や収入など、あらゆるものを松子の所有にするというもの。
新聞に掲載された谷崎潤一郎のラブレター読んで、やっぱり小説家は常人じゃないなと率直に思ったよ。特に結婚の誓約書。#クロ現 #NHK
— ぽん (@chkpon) January 7, 2015
谷崎潤一郎の未公開書簡が大量に現存していることが分かった。遅読のため「痴人の愛」しか読んでいないが、読了後なにかもどかしさを感じたのを覚えている。その谷崎ではあるが、結婚に際して妻になる松子に誓約書を書いている。その内容が瞠目させられる。「何卒、御側に御召使くだされ候様願上候」。
— 八王子の重ちゃん (@8oghighbridge) November 25, 2014
実際に送金を行ったと思わせる手紙も見つかっているので、ある程度は本気だった可能性もあります。
それほどまでに松子を崇拝したからこそ、後世に残る作品を書き上げることができたのかもしれませんね。
最初の妻・千代、2番目の妻・丁未子とのエピソード
次に、最初の妻である千代と再婚相手の丁未子について見ていきましょう。
1915年に谷崎と、前橋の芸者だった石川千代は結婚しています。
芸術のために平凡な生活を好まなかった谷崎は、気性の激しい初という芸者に惹かれていたものの、結婚はかないませんでした。
そこで妹の千代と結婚することになったのですが、妖艶な初と異なり、千代はごく平凡な女性で谷崎は不満だったようです。
そして千代の妹であるせい子に惹かれ始め、その思いはのちに小説『痴人の愛』へと昇華されました。
#谷崎潤一郎 の「痴人の愛」に登場する魔性の美少女ナオミのモデルは、当時の妻・千代の妹、せい子。
せい子を愛し、彼女を映画女優にしている(芸名 葉山三千子)。 pic.twitter.com/SNtYiadUoq— kappa (@kappa71550292) August 31, 2019
千代との間には谷崎唯一の実子である鮎子が生まれますが、夫婦仲は冷え切っており、1930年に離婚しています。
小説『蓼喰う虫』は、子供がいる手前なかなか離婚できない仮面夫婦が登場しますので、このときの体験がもとになっていることがわかりますね。
離婚の直後である1931年には古川丁未子を2番目の妻に迎えています。
新婚時代の谷崎潤一郎と2人目の妻丁未子。この写真を目にされたことがある方は少ないでしょう。美貌の妻との結婚生活は、長くは続きませんでした。 pic.twitter.com/Vg8hfbbX7s
— 初版道 (@signbonbon) May 1, 2016
大阪の女子専門学校で英文学を学んだ才女で、当時既に文壇で地位を確立していた谷崎に憧れていたようです。
谷崎も20歳年下の彼女の美貌に惹かれ、千代とまだ夫婦関係にあった時期から交際していました。
しかしお互いに憧れの存在ではあったものの、実際に暮らしてみると、パートナーとしては理想から程遠かったようです。
わずか3年で離婚、この間に谷崎は松子と出会っているので、三角関係だったことがうかがえますね。
その様子は小説『猫と庄造と二人のおんな』に描かれました。
3人の妻とのスキャンダルを、平然と小説に書いてしまう谷崎の図太さと、その芸術家気質は並外れていたのでしょう。
佐藤春夫に妻を譲渡
谷崎のスキャンダルで最も有名な事件とされるのが、作家・佐藤春夫への妻譲渡事件。
一体どんな事件なのか、詳細を見ていきましょう。
これは最初の妻である千代とのエピソードです。
千代は谷崎が、彼女の妹であるせい子に惹かれ始めたことが不満でした。
そんな彼女を不憫に思ったのが、作家の佐藤春夫です。
ついに三角関係になると、いったん谷崎は佐藤に妻を譲ろうとしますが、やはり撤回しました。
これがいわゆる小田原事件です。
しかし佐藤の千代に対する愛、そして谷崎の冷え切った夫婦関係により、谷崎側が正式に妻を譲渡することが決定。
1930年に離婚したのち、千代は佐藤と再婚しました。
このとき3人の連名で「千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す」としたためた声明文を発表します。
これによって「妻譲渡事件」として世間的に騒がれることになりました。
平凡より波乱を好む谷崎は世間の反応に満足だったのでしょうが、千代との娘・鮎子はこのスキャンダルのせいで女学校を退学になっています。
家族に迷惑をかけてでも、小説の材料になるような刺激を常に追求する文豪。
身内にいれば迷惑な存在ですが、あらゆる不祥事を名作に昇華してしまう才能は、やはり文豪の名にふさわしいと言えるでしょう。
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