谷崎潤一郎の家系図、母が美人、子供、娘の鮎子について。子孫の現在

『痴人の愛』や『細雪』など、艶美な世界を隙のない見事な文体で描き上げた文豪・谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう)。

同時に派手な女性関係や、悪魔的とまで言われる淫靡な表現で、センセーショナルを巻き起こしていた印象もあります。

その家系図は一体どのように構成されているのでしょうか。

今回は谷崎の家系について、母、子供の情報、娘の鮎子の人となりをメインに見ていきましょう。

さらに子孫が現在もいるのかどうかも確認していきます。

谷崎潤一郎のプロフィール

本名:谷崎潤一郎

生年月日:1886年7月24日

死没:1965年7月30日

身長:155㎝前後

出身地:東京市日本橋区蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋人形町)

最終学歴:東京帝国大学国文科中退

谷崎潤一郎の家系図は?母について

まずは谷崎の家系図から、母についてご紹介します。

谷崎倉五郎と関の次男として生まれた谷崎。


長男の熊吉が生まれてすぐ亡くなっていたので、実質谷崎が長男として育てられました。

谷崎の母・関は非常に美しかったと言われています。

その美しさは、浮世絵のモデルになったこともあるというエピソードからうかがえるでしょう。

その美しい母に、谷崎は幼少期から甘えて育ちました。

10歳のときに母と歌舞伎『義経千本桜』を観劇したことが、『吉野葛』などの作品に影響を与えたそうです。

いちばん好きな季節は、『義経千本桜』にも描かれている春で、母との思い出は楽しいものが多かったことがうかがえますね。

関の死から2年後の1919年には、『母を恋ふる記』で母への思いをつづっています。

谷崎作品には母性をテーマにしたものが多く、さらにただ母を慕う感情だけではない、一種の恋心に似たものさえ感じさせる場合があるのが特徴。

女性の美に敏感な谷崎ですから、美しい母に対して、恋に近い感情を抱いたこともあるのかもしれません。

谷崎の子供、娘・鮎子について

次は谷崎の子供について見ていきましょう。

谷崎の子供は養子1人、実子1人と、派手な女性関係で知られたわりには少ないことがわかりました。

谷崎は生涯に3度も結婚しているのですが、3番目の妻・松子が、先夫との間にもうけていた息子・清治を養子に出しています。

清治は妻の連れ子ということになるので、谷崎直系の子供は最初の妻との娘・鮎子のみです。

千代は作家の佐藤春夫と再婚していますが、鮎子も同時に谷崎の元を離れています。

これ以前から谷崎、千代、佐藤の三角関係は長きにわたって続いていたので、最終的に千代を佐藤へ譲渡することで決着をつけました。

いわゆる妻譲渡事件として話題を呼んだ結果、乱れた家庭の子供として鮎子は女学校を退学させられるなど、迷惑をこうむっています。

しかし谷崎の娘に対する愛情は変わらず、養育費を送金していたようです。


さらに262通にも及ぶ手紙を書き送り、パーマやコートの丈に注意をするなど、娘を心配するあまり口うるさい父親と化していた様子がうかがえますね。

鮎子はのちに東洋史学者の竹田龍児と結婚。

父親の再婚相手とも良好な関係を築くなど、明るく前向きで、知性もある女性だったそうです。

父のせいで女学校を退学させられても、ひねくれた性格にならなかったことからも、彼女の芯の強さと大人びた性格がわかりますね。

谷崎潤一郎、子孫の現在

では谷崎の子孫は現在まで続いているのでしょうか。

娘は鮎子だけでしたが、その娘で谷崎の孫にあたる高橋百合子さんという女性が、2021年現在までご存命のようです。

祖母・千代の再婚相手である佐藤春夫も祖父にあたるということになりますが、2人の祖父は対照的な性格だったと語っています。

谷崎は几帳面な性格で、書斎で執筆をして正午には昼食をとっていたそうです。

一方で佐藤は寝転がったまま原稿を書いていたと言います。

子供嫌いの谷崎と、子供好きの佐藤という面も異なっていますね。


子供からすると厳格そうな谷崎より、佐藤の方に懐きやすかったのでしょう。

身勝手な面もありながら、3人の女性が惚れるほどの魅力を備えた男性だったのかもしれません。

谷崎潤一郎の妻は3人。松子、千代、丁未子との逸話。佐藤春夫への妻譲渡事件とは

谷崎潤一郎の家、神戸芦屋と京都。幼少期を過ごした人形町。愛猫を剥製に

芥川龍之介の生涯と遺書。友達は芥川賞創設の菊池寛、文学論争の谷崎潤一郎

コメント