上岡龍太郎と探偵ナイトスクープ。医療事故と占い嫌いな理由。逸話から見えるすごさ

関西を代表する名司会者として知られた上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さん。

芸能界から潔く身を引いた事は今も語り草となっています。

上岡龍太郎のプロフィール

愛称:上岡さん

本名:小林龍太郎

生年月日:1942年3月20日

身長:165cm

出身地:京都府京都市左京区

最終学歴:京都西高校

所属事務所:米朝事務所

上岡龍太郎がいたから探偵ナイトスクープが誕生?

父が京都大学出身の弁護士と恵まれた家庭で生まれ育った上岡龍太郎さん。

母も高学歴であり資産家の出身という事で家事は使用人任せ。

その分、子供の勉強に時間を割く今でいう「教育ママ」だったそうです。

少しでも良い学校に進学して良い人生を送ってほしいという親心だったのでしょう。

ところが上岡龍太郎さんは熱中したのは勉強ではなく芝居や歌舞伎、映画。

将来は役者になりたいとも思っていたそうです。

そして私立京都西高校に進学後、「どうせ落ちるならレベルの高い大学を」と立命館大学を受験するも不合格。


不合格となった事で大学進学を断念してバンドボーイやジャズバンドの司会に。

当時から持前の軽快なトークと端正な顔立ちは大人気だったそうです。

1959年からは弟子入りを断られた浜村淳さんの紹介でロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」のメンバーとして活動。

そしてその翌年に横山ノックさんに誘われ「漫画トリオ」を結成した事でお笑いの世界に。

横山ノックさんの政界進出により1968年に漫画トリオの活動を停止後はタレントに転身。

知性を感じさせる軽妙な語り口で関西圏で絶大な人気を獲得。

数多くの番組で司会を務めるなど関西を代表する司会者として君臨する事になります。

上岡龍太郎さんが司会を務めた代表的な番組と言えば初代局長を務めた「探偵ナイトスクープ」でしょう。

1988年に放送が始まった長寿番組で23時台という放送時間帯ながら最高視聴率は30%超え。

今では関西だけでなく日本全国で多くの人々に愛される人気番組となっています。

二代目の局長を西田敏行さん、三代目に松本人志さんが就任した事は大きな話題となりました。

この番組が生まれるきっかけとなったのが上岡龍太郎さんの切れ味鋭いコメント力。

当時は上岡龍太郎さんのように忖度せずにズバズバとコメントをするタレントは貴重な存在でした。

そのコメント力を生かした番組を作りたいというプロデューサーの思いから生まれたのが探偵ナイトスクープでした。

初回視聴率は10%未満で放送3回目には5.5%という低視聴率を記録。

意外にも最初から人気番組だったわけではないんです。

それでもじわじわと注目を集め放送から5年後に初めて視聴率が30%超え。

その後も23時台とは思えない視聴率を残し続け今に至っています。

日本民間放送連盟賞の最優秀賞を2度受賞するなど放送業界からの評価も高い探偵ナイトスクープ。

上岡龍太郎さんがいなければ誕生する事は無かったと言っても過言ではないでしょう。

上岡龍太郎の番組で医療事故を発端に株を挙げた人物とは

当時のタレントの中では抜群に頭が切れた上岡龍太郎さん。

そのためお笑い番組だけでなく社会派番組など様々な番組で司会を担当していました。

そんな上岡龍太郎さんの番組で株を挙げた人物がいるんです。

その人物とは医師、タレントとして活躍する西川史子さん。

ミス日本でフォトジェニック賞を受賞するなど美人女医として脚光を浴びた西川史子さん。

かつては「結婚相手の条件は年収4,000万円」など高飛車な発言が注目を集めていましたが現在では社会派のコメンテーターとしても活躍しています。

芸能活動で多忙な一方、医師としての実力に疑念を抱く人も少なくないでしょう。

ですが、西川史子さんの活動の半分以上が医師としてのもの。

現在も表参道の松倉クリニック勤務し、治療を行っています。

その西川史子さんが医師としての株を挙げたのが上岡龍太郎さんの番組で医療事故を扱った時のこと。

番組には医療裁判を起こしたいという人が登場。

ですが、多くの医師が面倒に巻き込まれたくないと診断書を書くことを拒否。

もし診断書を書いて医療裁判になれば、証人として裁判に出廷する可能性が大。

そんな面倒事に時間を割く可能性があれば二の足を踏むのも致し方ありません。

ですが同番組に出演していた西川史子さんは「私が書きます」と即答。

この発言で西川史子さんの評価は鰻上り。

現在、コメンテーターとして起用されるのもこの時の事が評価されての事でしょう。

残念ながらこの時、上岡龍太郎さんがどのようなコメントをしたかは不明。

ですが上岡龍太郎さんも西川史子さんの事を絶賛していた事でしょう。

上岡龍太郎は占いを全否定、毛嫌いする理由

きっと多くの人が気にしている占い。

毎年のように新しい占いが誕生し、その度に話題となっています。

朝の情報番組の占いを見てから家を出るという人も多いのではないでしょうか。

ところが上岡龍太郎さんは占いを全否定。

自身の番組に占い師が出演した際には占い師に対して「今から君を殴るか占え」と注文。

これに占い師が「上岡さんは子供ではないから殴らない」と答えると上岡龍太郎さんは占い師の頭を叩き「占い師なら今日殴られる事は占いで分かるはず」とまるで難癖のような発言をしたことも。

上岡龍太郎さんとは思えない、まるで子供のようなやり取り。

ただ、それだけ上岡龍太郎さんが占いを嫌っているという何よりの証拠です。

確かに誕生日や星座占いなどを見て同じ生年月日や星座の人が同じ運命を辿るのか、と疑問に思う人はいるでしょう。

ですが上岡龍太郎さんの占い嫌いは度を越えていますよね。

これほどまでに上岡龍太郎さんが占いを嫌う事には理由があるんです。

それは上岡龍太郎さんの母が関係しているようです。

占いや祈祷を強く信じていたという上岡龍太郎さんの母。

自分で信じるだけでなく上岡龍太郎さんにもそれらを信じるように強制していたそうです。

その母が乳癌となった時に霊感商法として多くの占い師や霊媒師がお金目当てに詰め掛けたんだとか。

そういった負の面を目の当たりにした事で上岡龍太郎さんは占いを嫌うようになったようです。

そんな光景を目にしたら占いから距離を取りたくなってしまうのも当然と言えるでしょう。

上岡龍太郎の逸話から分かるすごさ

長く芸能界の一線で活躍し続けた上岡龍太郎さん。

それだけに数多くの逸話を残しています。

上岡龍太郎さんの逸話で外せないのが探偵ナイトスクープでの激怒事件。


1994年4月29日の探偵ナイトスクープで放送された「恐怖の幽霊下宿」。

霊媒師を呼び幽霊がいるか聞いたり、探偵の桂小枝が除霊師の恰好をして遊ぶ等、幽霊の存在については曖昧なままでVTRは終了。

元々、霊的なものを嫌っていた上岡龍太郎さんこのVTRを見て激怒。

「どう結論づけようとしているのか」、「テレビは影響力がある事を常々意識しなくてはならない」、「幽霊がいないと断定して終わるのがテレビだ」と怒りを表し収録途中にも関わらずスタジオを後に。

オンエア前には怒りを収めていたそうですが、上岡龍太郎さんが我儘を言っているような編集のされ方を見て再び激怒。

上岡龍太郎さんは探偵ナイトスクープから降板する意思を見せたそうです。

当時の探偵ナイトスクープは上岡龍太郎さんがいてこそ成立する番組。

そのためプロデューサーが直接説得し「一連の騒動を上岡龍太郎さんの口から説明し正確に放送する」事を条件に続投が決定。

プロデューサーだけでなく出演者、スタッフ達も胸をなでおろしたことでしょう。

それだけ上岡龍太郎さんが真摯に番組作りに取り組んでいるという事。

現在、活躍する芸能人の中で上岡龍太郎さんほど意志と覚悟を持ってテレビに出演している人がどれだけいる事か。

また、2000年に58歳という若さで芸能界を引退したのも上岡龍太郎さんの凄さの1つ。

少し年上だった芸人が言葉に詰まる姿を見て「レベルが下がったら言って欲しい」と妻に頼んだ上岡龍太郎さん。

すると妻からは「最近レベルが落ちている」と即答されたんだとか。

この言葉がきっかけとなり上岡龍太郎さんは引退を決意。

そして58歳の若さで引退した事が芸能界だけでなく日本中が驚きに包まれました。

上岡龍太郎さんのレベルの低下は長年、近くで見てきた妻でなければ気づかないくらい。

その証拠に2007年の「横山ノックを天国へ送る会」では献杯の挨拶では見事なまでの話芸を披露。

今、芸能界に復帰したとしても瞬く間にトップを取れるだけの実力がまだ上岡龍太郎さんにはあります。


それでも潔く引退し復帰しない所に上岡龍太郎さんの流儀が感じられます。

上岡龍太郎さんのような人ばかりであれば「テレビはつまらない」なんて言われなかったはず。

今のテレビを見て上岡龍太郎さんが何と思っているのか感想を聞いてみたいものです。

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