荒井注の脱退理由とは。志村けん、いかりや長介との関係。ドリフ脱退その後、カラオケボックス経営?

初期のザ・ドリフターズを支えた功労者として知られる荒井注(あらいちゅう)さん。

ただ、今の若い人は荒井注さんがザ・ドリフターズのメンバーだった事を知らない人も多いかも知れませんね。

荒井注のドリフ脱退理由とは

黎明期のザ・ドリフターズを支えたメンバーの荒井注さん。

荒井注さんは小柄でふてぶてしい態度のキャラクターで大人気に。

大ヒットギャグの「なんだ、バカヤロー!」がそのキャラクターを如実に表していますよね。

他の人が言えばただ怒っているだけに聞こえるこのフレーズ。


荒井注さんだからこそギャグになったと言えるでしょう。

実は荒井注さんのキャラクター性は偶然の産物。

元々、「クレージーウエスト」というバンドで活動していた荒井注さん。

その後、いかりや長介さんにスカウトされてザ・ドリフターズ入り。

バンドに引き抜かれたと聞くと演奏技術を買われてスカウトされた、と思いますよね。

きっと荒井注さんもスカウトされた当初はそのように感じていたはず。

ですが実際は「トリスウイスキーのキャラクターによく似た人がいる」という評判を聞きつけてのスカウト。

荒井注さんの演奏技術は二の次だったんです。

そのため、後にいかりや長介さんは荒井注さんの未熟な演奏技術を後悔したそうです。

そして未熟な演奏技術を加藤茶さんに指摘された時に生まれたのが「なんだ、バカヤロー!」というセリフ。

きっと背の低い荒井注さんがふてぶてしく逆ギレする姿にメンバーも大ウケしたのでしょう。

こうして荒井注さんはふてぶてしいキャラを演じる事になりました。

今では「逆ギレ芸」の先駆者と評される事もある荒井注さん。


コミカルな見た目とキャラクターの目新しさも相まってザ・ドリフターズでも1、2を争う人気に。

荒井注さんがいなければザ・ドリフターズの快進撃も無かった、と言っても過言ではないかもしれません。

間違いなくザ・ドリフターズの中心メンバーだった荒井注さん。

ところが1974年3月に「体力が限界」としてザ・ドリフターズからの脱退してしまいます。

最高視聴率が50%を超えた、ザ・ドリフターズの冠番組「8時だョ!全員集合」。

生放送という性質上、披露するコントは練りに練られ、リハーサルも入念に行われていました。

そんな日々が最年長の荒井注さんは次第に辛くなってきたのでしょう。

他のメンバーの足を引っ張りたくない、という思いもあったのかも知れません。

荒井注さんは心からザ・ドリフターズを愛するが故に脱退を決めたようですね。

その一方で荒井注さんがザ・ドリフターズを脱退したのは「不満が溜まったから」という噂も。

いかりや長介さんの独裁者ぶり、ギャラの配分で不満が溜まり脱退したとも言われているようです。

ですが、荒井注さんはザ・ドリフターズ脱退後もゲストとして番組に出演しています。

もし不満が溜まっての脱退であれば、脱退後も番組に出演するとは思えません。

そして2000年にはザ・ドリフターズのメンバーとCMで共演。

約14年ぶりにメンバーが揃ったこのCMは当時、大きな話題となりました。

ただ、残念ながら新旧メンバーの6人が揃ったのはこの時が最後。

荒井注さんは入浴中の肝不全により2000年2月9日に帰らぬ人となってしまいました。

荒井注の後任は志村けんにとってプレッシャーだった?

荒井注さんの脱退後にザ・ドリフターズに加入した志村けんさん。

「日本の喜劇王」と呼ばれ、亡くなった時は日本中が悲しみに包まれました。

今となっては志村けんさんのお笑い芸人としての才能を疑う者はいないでしょう。

ですが、志村けんさんは当初から順風満帆だったわけではありません。

というのも志村けんさんはザ・ドリフターズの正式メンバーとなってからブレイクするまでに約2年の月日を要しているんです。

志村けんさんは準メンバーだった時から何度か番組に出演していました。

ただ、準メンバーから正式メンバーになった事で世間の見る目も厳しくなったのでしょう。

また、荒井注さんの後任という事で求められるハードルも高くなっていたのかもしれません。

きっと志村けんさんも荒井注さんの代わりにメンバー入りする事にプレッシャーを感じていたはず。

ですが、ザ・ドリフターズのメンバーも志村けんさんを売り出すため必死にサポート。

そのお陰もあって「東村山音頭」や「ヒゲダンス」で子供からの絶大な人気を獲得。

その後も数多くのネタを生み出し、ザ・ドリフターズの象徴的存在となりました。

志村けんさんが「日本の喜劇王」にまで上り詰めたのは生まれ持った才能ももちろんあるでしょう。

ただ、荒井注さんの後任というプレッシャーも発奮材料になったのだと思われます。

荒井注はいかりや長介よりも年上だった

かつては音楽バンドだったザ・ドリフターズ。

それをコミックバンドに方向転換したのが当時リーダーだったいかりや長介さん。

結果的にこの方向転換は大成功でしたが、当時はバンド内に亀裂が生じ脱退したメンバーも。

更にいかりや長介さんの厳しい指導に反発し多くの脱退した事でザ・ドリフターズは一時期、いかりや長介さんと加藤茶さんの2人だけに。

これではバンドが成り立たない、といかりや長介さんは自らスカウトに奔走。

その時にスカウトされたのが荒井注さんでした。

ただ、前述の通りいかりや長介さんは荒井注さんの見た目に惹かれてスカウト。


そのため、演奏技術や身長など詳細を把握しなかった事から「失敗した」と思う事もあったんだとか。

ですがいかりや長介さんが確認しなかったのはそれだけではありません。

実は荒井注さんはいかりや長介さんよりも年上だったんです。

実際の年齢よりも6歳若い年齢をメンバーに伝えていたという荒井注さん。

年齢をごまかしたのは「リーダーより年上だと何かとやりにくいだろう」という配慮から。

そんな細かいところにまで気を配るなんて、荒井注さんの人の好さが伝わってきますよね。

ですが、いかりや長介さんは女性にモテたかったから年齢をごまかしていたのでは、と推測しています。

3度の結婚歴がある荒井注さんなので、いかりや長介さんの説も納得出来てしまいます。

果たして本心はどっちだったのか。

荒井注さんが亡くなった今では真相は闇の中となってしまいました。

ドリフを辞めた後はカラオケボックスを経営?

荒井注さんはザ・ドリフターズを脱退後もお笑いタレントとして活動。

「8時だョ!全員集合」、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」等、ザ・ドリフターズのメンバーとも何度も共演。

また、お笑いタレントと並行して俳優としても活躍。

数々のドラマや映画に出演していますが、代表作と言えるのは「江戸川乱歩の美女シリーズ」。

第2話から主演の天知茂さんが亡くなり最終話となった25話までレギュラー出演していました。

お笑いタレントに続いて俳優としても確固たる地位を確立した荒井注さん。

そして次に試みたのがカラオケボックスの経営。

カラオケボックス経営のために新たに建物を建てるも入り口が狭くカラオケの機器を搬入できず。

そのため、泣く泣くカラオケボックスの経営を断念する事となってしまいました。


何とも残念なこの一件はワイドショーでも大きく報じられ、荒井注さんは「何だバカヤロー!」と往年のギャグを披露。

悲惨なこの状況も笑いにするなんて流石は荒井注さんですよね。

なお、この建物は取り壊される事なく今も残っているそうです。

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