荒井注の脱退理由は体力の限界。カラオケボックス事件で話題の過去&廃墟になった店

初期のザ・ドリフターズを支えた功労者として知られる荒井注(あらいちゅう)さん。

ただ、今の若い人は荒井注さんがザ・ドリフターズのメンバーだった事を知らない人も多いかも知れませんね。

荒井注のプロフィール

本名: 荒井安雄

生年月日: 1928年7月30日

没年月日: 2000年2月9日(71歳没)

身長: 158cm

出身地: 東京府東京市四谷区(現: 東京都新宿区)

最終学歴: 二松學舍大学文学部国文学科

所属事務所: 個人事務所(最終所属)

荒井注のドリフ脱退理由は体力の限界

「逆ギレ芸」の先駆者と評される事もある荒井注さん。

コミカルな見た目とキャラクターの目新しさも相まってザ・ドリフターズでも1、2を争う人気に。

荒井注さんがいなければザ・ドリフターズの快進撃も無かった、と言っても過言ではないかもしれません。


間違いなくザ・ドリフターズの中心メンバーだった荒井注さん。

ところが1974年3月に「体力が限界」としてザ・ドリフターズからの脱退してしまいます。

最高視聴率が50%を超えた、ザ・ドリフターズの冠番組「8時だョ!全員集合」。

生放送という性質上、披露するコントは練りに練られ、リハーサルも入念に行われていました。

そんな日々が最年長の荒井注さんは次第に辛くなってきたのでしょう。

他のメンバーの足を引っ張りたくない、という思いもあったのかも知れません。

荒井注さんは心からザ・ドリフターズを愛するが故に脱退を決めたようですね。

体を張った仕事が多かった

ドリフ時代の荒井さんといえば、かなり体を張ったギャグを思い浮かべる人も多いかもしれません。

こうしたギャグを全力でやるからこそ、多くのファンを笑わせることができたのでしょう。

とはいえ、それが原因で体力を削られた可能性はありそうです。

脱退前の荒井さんは、夜中に寝汗や微熱などの症状が出ていたという説もあります。

病院へ行くと、慢性的な疲労が原因と診断されたのだとか。


舞台を走り回ったり、オーバーに転んだりといった仕事が、体にダメージを蓄積させていたのでしょうか。

メンバーの加藤茶さんや仲本工事さんとは、10歳以上も年齢が離れていた荒井さん。

年齢的にも、激しい動きを続けるのは難しかったのかもしれませんね。

公表された理由とは違う噂

荒井注さんの脱退理由には「不満が溜まったから」という噂も。

いかりや長介さんの独裁者ぶり、ギャラの配分で不満が溜まり脱退したとも言われているようです。

ですが、荒井注さんはザ・ドリフターズ脱退後もゲストとして番組に出演しています。

もし不満が溜まっての脱退であれば、脱退後も番組に出演するとは思えません。

そして2000年にはザ・ドリフターズのメンバーとCMで共演。

約14年ぶりにメンバーが揃ったこのCMは当時、大きな話題となりました。

ただ、残念ながら新旧メンバーの6人が揃ったのはこの時が最後。

荒井注さんは入浴中の肝不全により2000年2月9日に帰らぬ人となってしまいました。

カラオケボックス事件で注目の過去

お笑いタレントに続いて俳優としても確固たる地位を確立した荒井注さん。

そして次に試みたのがカラオケボックスの経営でした。

機材が入らず経営は中止

カラオケボックス経営のために新たに建物を建てた荒井さん。

ところが、入り口が狭くカラオケの機器を搬入できず。


泣く泣くカラオケボックスの経営を断念する事となってしまいました。

何とも残念なこの一件はワイドショーでも大きく報じられ、荒井注さんは「何だバカヤロー!」と往年のギャグを披露。

悲惨なこの状況も笑いにするなんて流石は荒井注さんですよね。

なお、この建物は取り壊されることなく2024年現在も残っています。

ネタを疑う声も

カラオケボックス事件は、ファンの間ですっかり有名になった出来事です。

しかし、あまりにおかしな事件だったためか、「本当にあったのか」という疑問の声もあります。

ただの面白いネタであり、問題のカラオケボックスは実在しないと思った人もいるようですね。

まさかの珍事件なので気持ちはよくわかりますが、前述のとおり、カラオケボックスは取り壊されずに残ったまま。

本当に店が存在することは確かです。

廃墟となって一部で人気のカラオケボックス

荒井さんが経営予定だったカラオケボックスは、実際に見に行く人が後を絶たないようです。

SNSでもたびたび話題になっていて、複数の写真が投稿されています。

これは、ただ芸能人の店だから注目されているだけではなさそうです。


なんでも、廃墟マニアにはたまらない名スポットなのだとか。

YouTubeでも、廃墟ファンによる動画などがありますね。

どうやらこのカラオケボックスは、ただの廃墟ではなさそうです。

マニアに響く何らかの魅力を秘めているのではないでしょうか。

すっかり朽ち果てた様子は一見すると寂しい感じですが、廃墟好きならワクワクする楽しい場所なのかもしれませんね。

荒井注の後任は志村けんにとってプレッシャーだった?

荒井注さんの脱退後にザ・ドリフターズに加入した志村けんさん。

「日本の喜劇王」と呼ばれ、亡くなった時は日本中が悲しみに包まれました。

今となっては志村けんさんのお笑い芸人としての才能を疑う者はいないでしょう。

ですが、志村けんさんは当初から順風満帆だったわけではありません。

というのも志村けんさんはザ・ドリフターズの正式メンバーとなってからブレイクするまでに約2年の月日を要しているんです。


志村けんさんは準メンバーだった時から何度か番組に出演していました。

ただ、準メンバーから正式メンバーになった事で世間の見る目も厳しくなったのでしょう。

また、荒井注さんの後任という事で求められるハードルも高くなっていたのかもしれません。

きっと志村けんさんも荒井注さんの代わりにメンバー入りする事にプレッシャーを感じていたはず。

ですが、ザ・ドリフターズのメンバーも志村けんさんを売り出すため必死にサポート。

そのお陰もあって「東村山音頭」や「ヒゲダンス」で子供からの絶大な人気を獲得。

その後も数多くのネタを生み出し、ザ・ドリフターズの象徴的存在となりました。

志村けんさんが「日本の喜劇王」にまで上り詰めたのは生まれ持った才能ももちろんあるでしょう。

ただ、荒井注さんの後任というプレッシャーも発奮材料になったのだと思われます。

荒井注はいかりや長介よりも年上だった

かつては音楽バンドだったザ・ドリフターズ。

それをコミックバンドに方向転換したのが当時リーダーだったいかりや長介さん。

結果的にこの方向転換は大成功でしたが、当時はバンド内に亀裂が生じ脱退したメンバーも。


更にいかりや長介さんの厳しい指導に反発し多くの脱退した事でザ・ドリフターズは一時期、いかりや長介さんと加藤茶さんの2人だけに。

これではバンドが成り立たない、といかりや長介さんは自らスカウトに奔走。

その時にスカウトされたのが荒井注さんでした。

ただ、前述の通りいかりや長介さんは荒井注さんの見た目に惹かれてスカウト。

そのため、演奏技術や身長など詳細を把握しなかった事から「失敗した」と思う事もあったんだとか。

ですがいかりや長介さんが確認しなかったのはそれだけではありません。

実は荒井注さんはいかりや長介さんよりも年上だったんです。

実際の年齢よりも6歳若い年齢をメンバーに伝えていたという荒井注さん。

年齢をごまかしたのは「リーダーより年上だと何かとやりにくいだろう」という配慮から。

そんな細かいところにまで気を配るなんて、荒井注さんの人の好さが伝わってきますよね。

ですが、いかりや長介さんは女性にモテたかったから年齢をごまかしていたのでは、と推測しています。

3度の結婚歴がある荒井注さんなので、いかりや長介さんの説も納得出来てしまいます。


果たして本心はどっちだったのか。

荒井注さんが亡くなった今では真相は闇の中となってしまいました。

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