萩本欽一の妻・澄子は元ストリッパー、死去は82歳。結婚生活が変わっていた?帯広との縁

萩本 欽一(はぎもと きんいち)さんは愛妻家として芸能界でも有名だったそうです。

奥さんの情報はあまり公表していませんでしたが、一体どんな女性なのでしょうか。

今回は萩本欽一さんと澄子さんの結婚生活や帯広との関係などを見て行きましょう。

萩本欽一のプロフィール

本名:萩本欽一

生年月日: 1941年5月7日

身長:164 cm

出身地:東京都台東区

最終学歴:駒澤大学仏教学部中退

所属事務所:株式会社萩本企画

萩本欽一の妻(澄子)はどんな人?

まずは萩本欽一さんの愛妻、澄子さんの情報を見て行きましょう。

ふたりが出会ったのは1963年春のことで、浅草にある「フランス座」で萩本欽一さんがコントをしていたのを澄子さんが見たことがキッカケになりました。

澄子さんはフランス座の下の階にある”東洋劇場”という舞台でストリップを披露するダンサーだったらしく、当時の名前(芸名)は高峰みゆきさんだったそうです。


ふたりは顔見知りになっていましたが、萩本欽一さんから声を掛けることはありませんでした。

これは澄子さんに興味が無かったという訳ではなく、業界の暗黙のルールとしてあった”芸人は踊り子に手を出すな”を萩本欽一さんが固く守っていたからです。

似たようなルールは今でも水商売の中に残っているのでご存知の方も多いかも知れませんね。

その後は日々のやりとりなどで自然と関係が近付いて行き、澄子さんが萩本欽一さんの下宿に訪れてテレビをプレゼントしたり、家賃など経済的な面倒を見てあげたそうです。

しばらくして萩本欽一さんは坂上二郎さんと結成した「コント55号」で大ブレイクをしますが、その頃に澄子さんは行き先も言わずに姿を消してしまいました。

澄子さんは自分の経歴がマイナス(スキャンダル)になると思って居なくなったそうです。

方々に手を尽くして探した萩本欽一さんに見つかってプロポーズをされたものの、澄子さんが結婚について首を縦に振ることはありませんでした。

それでも”萩本欽一さんの子供は欲しい”と思ったことから未婚で1975年12月2日に長男を出産。

子供を授かってもなお、結婚を拒む澄子さんに対して萩本欽一さんは引退覚悟で結婚と子供がいることを記者会見で明らかにし、外堀を埋められた形で1976年に入籍をするに至りました。

ここまで結婚を拒んだ理由が気になるところですが、後に澄子さんは萩本欽一さんについて「好きでは無く、ずっとファンだった」と語っていたのが一連の答えかも知れませんね。

とは言うものの、やはりストリッパーという自分の経歴を気にしている様子が伺えました。

妻の詳細情報は非公開

結婚の経緯については、日本経済新聞の「私の履歴書」でも語られたこと。


そのため、詳しいエピソードを知っている人は多いでしょう。

ですが、前述のとおり、澄子さんの詳細については、亡くなった後も情報は少ないままです。

かつてストリッパーだったことは確かですが、その他にはあまり詳しい情報が出ていないようです。

これは、萩本さんの意思によるものでしょう。

結婚発表当時、妻の情報を伏せるように、マスコミへ要望したのだとか。

澄子さんがストリッパーであることを考慮し、公表しないことにしたようです。

発表当時は名前すらも不明の状態でした。

それから月日がたち、結婚エピソードは明かされましたが、妻の詳細情報はずっと表に出ていないのです。

これは、奥さんを守るために必要なことだったのかもしれません。

一般人の配偶者について詳しく語らない芸能人は、他にも多くいますよね。

理由はそれぞれあるのでしょうが、「一般人の普通の暮らしを守る」というのはありそうなことです。

特に澄子さんの場合は、ストリッパーという注目を集めやすい職業。

安易な情報公開はリスクが大きすぎると判断したのではないでしょうか。


実際のところは不明ですが、もしそんな事情があったなら、澄子さんへの深い愛情を想像できる気がしますね。

妻との結婚秘話がドラマ化

妻の詳細は伏せたままでも、結婚馴れ初めはすっかり公表している萩本さん。

そのエピソードは多くの人の心を動かし、ドラマ化もされるほどの人気となりました。

2012年に放送された『欽ちゃんの初恋』は、萩本さん役を金井勇太さん、奥さん役を中越典子さんが担当。

見た人を深く感動させる素晴らしい作品のようです。

このドラマで初めて結婚の経緯を知った人も多いのかもしれませんね。

ちなみに、ドラマの語りを務めたのは、お笑いコンビ・Take2の東貴博さん。

東さんは萩本さんの弟子として有名ですね。

師匠の結婚エピソードを基にしたドラマで語りを務めるというのは、感慨深いものがあったのではないでしょうか。

萩本欽一の妻(澄子)が82歳で死去

次は妻の澄子さんが最近、ガンで亡くなっていた件を見て行きます。

萩本欽一さんはプライベートについてほとんど公表していませんが、週刊文春の取材に対して澄子さんが2020年8月28日にガンで亡くなったことを明らかにしました。

ガンが発覚したのは亡くなる4年前のことで、医師から”もう長くはない”と厳しい状況を告げられましたが、澄子さんは「頑張って戦います」と気丈な姿を見せたそうです。

抗ガン剤や放射線治療によってガン自体の進行は止まったものの、高齢者にありがちの転倒による骨折を繰り返してしまい、8月初旬に4回目の骨折をしてからは一気に衰弱。

そのまま体も動かなくなり、ついには食事を十分に摂ることもできなくなって亡くなりました。

具体的な死因は分かりませんが、持病のガンや体調悪化による多臓器不全などが考えられます。

澄子さんは82歳で人生に幕を下ろしましたが、萩本欽一さんや子供たち、そして孫に囲まれながら旅立ったとすれば、決して悲しい最期では無かったことでしょう。

萩本欽一の結婚生活は少し変わっていた?

ここでは萩本欽一さん夫婦の結婚生活について見て行きましょう。

妻の澄子さんは、夫が家庭や家族のことに関わることを歓迎しなかったそうです。

萩本欽一さんは毎週日曜に決まって休みを取って子供たちの遊び相手をしていたのですが、澄子さんは”無理しなくていい”と家庭よりも好きな仕事をするように勧めました。

澄子さんや子供たちが計画した旅行に参加しようとすると”つまらなくなるから来るな!”と、当時の視聴者からすると驚きの扱いを受けていたそうです。

これは夫婦や家族間が不仲なのではなく、夫さんが参加することによって周囲からの注目度が高まり、落ち着いて旅行をできないからという意味があったのでしょう。

後に野球チーム「ゴールデンゴールズ」の監督就任や大学受験を告げた時も応援の言葉は無かったらしく、肯定も否定もしないといった珍しい対応をとったそうです。


また、萩本欽一さんが一緒に入るつもりでお墓を購入したそうですが、いつの間にか澄子さんはお墓を売却。

自分一人用のお墓を新しく購入する驚きの行動をとっていました。

全てのことに通じるのは澄子さんが述べた「好きでは無く、ずっとファンだった」との言葉。

ふたりは夫婦というよりも友人の延長線上にあったのかも知れません。

ある意味で、最後の最後までファンと有名人という関係を貫いたと言えます。

萩本欽一と帯広市の関係

萩本欽一さんと検索すると”帯広”が関連キーワードとして出て来ますが、一体どのような関係や繋がりがあるのか気になるところですよね。

しかし、色々と調べてみても萩本欽一さんと帯広に関するエピソードは見当たりませんでした。

東京出身なので生誕地でもないのですが、もしすると澄子さんの出身地なのでしょうか。

監督をしていた「茨城ゴールデンゴールズ」が北海道遠征をした際には、山本圭壱さんが10代の少女と関係を持ったことが話題になりました。


しかし、そこは帯広ではなく函館だったそうです。

帯広との関係の謎は深まるばかりですので、何か判明したら追記の形で紹介させて頂きます。

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