館山昌平の支えは妻と娘!血行障害からの復帰&引退後に楽天コーチ就任

館山 昌平(たてやま しょうへい)さんの現役生活はたび重なる怪我と闘いでした。

2年目から手術を繰り返しており、全部合わせて175針も縫ったのは驚きですよね。

今回は館山昌平さんを支えた家族、病気からの復帰や現在について見て行きます。

館山昌平のプロフィール

生年月日:1981年3月17日

身長:181cm

出身地:神奈川県厚木市

最終学歴:日本大学

所属球団(選手):東京ヤクルトスワローズ(最終所属)

所属球団(コーチ):福島レッドホープス

館山昌平を支え続けた妻

まずは館山昌平さんの心の支えでもあった妻や娘さんについて見て行きましょう。

結婚をしたのは入団3年目(2005年10月)で、ネイリストをしていた陽子さんと結ばれました。

ふたりが知り合ったきっかけや馴れ初めが気になったので調べてみると、爪の治療やケアで訪れたネイルサロンで陽子さんが働いていたのが始まりだったそうです。


ピッチャーは指先や爪がとても大事なので念入りに手入れをする人が多く、爪を切るのも自分でするのではなく専門のネイリストに任せることも少なくないと言われています。

お店で陽子さんに一目惚れをした館山昌平さんは猛烈なアプローチをして交際にこぎつけ、その後も順調な交際を続けて関係を深めて”2歳年上の美人妻”を手に入れていました。

たび重なる怪我で引退をしたいと弱音を吐くことも少なくなかったそうですが、そのたびに”もう一度ヒーローインタビューが見たい”と館山昌平さんを励まし続けたそうです。

爪だけでなく心のケアもしてくれる素晴らしい奥さんだったのは間違いないでしょうし、数々の怪我に見舞われた館山昌平さんに「爪のトラブル」が無かったのは内助の功でしょうね。

妻の号泣が話題

陽子さんといえば、2015年の号泣を思い出す人も多いかもしれません。

同年7月11日の横浜DeNA戦にて、館山さんは1019日ぶりの勝利をつかみ取っています。

2012年9月25日の阪神戦以来であり、長くかかっただけに、ファンの感動もひとしおだったことでしょう。

当時のヒーローインタビューで、館山さんは家族に感謝を伝えています。

その言葉で感極まった陽子さんは、涙腺が決壊してしまったようです。

館山が「何とか復活することができました。陽子、海音、ありがとう!」と声を張り上げると、一塁側スタンドで見守った夫人、陽子さん(36)は号泣した。

長い間支え続けてきて、ついに夫が勝利をつかんだわけですから、号泣も無理はないでしょう。

また、過去のトラウマを払拭できたことも、大きな感動につながっていたかもしれません。


2013年に怪我をしたときの打者がトニ・ブランコ選手だったことから、外国人選手が出てくると、陽子さんは不安を感じていたようなのです。

このときも二回でアーロム・バルディリス選手が出てきたため、ドキドキしていたそうです。

夫の怪我が脳裏をよぎり、また同じことが起こるのではないかと心配だったのでしょう。

しかし、頼もしい夫の姿を見て「大丈夫」と安心できたのだとか。

そこからの勝利、感動のヒーローインタビューと続けば、泣かずにはいられなかったでしょうね。

ちなみに、家にボールを飾ることはあまりないという館山さん。

このときのウイニングボールは例外にしたかったようで、陽子さんも「飾ります」と嬉しそうにしていました。

時を経た今でも、館山家では当時のボールが大切に飾られているのかもしれませんね。

近年も支え合う仲良し夫婦?

館山さん夫妻は、2023年現在も変わらず支え合って暮らしているものと思われます。

離婚や別居といった悲しい報道はなく、不仲の噂も聞きません。

館山さんの不倫騒動などもないので、夫婦仲に亀裂が入ることはなく、ずっと良好な関係を保っているのではないでしょうか。

館山さんは現役を引退しましたが、それでも人生にはいろいろな悩みがあるはず。

そんなとき、陽子さんの存在にいつも助けられていることが想像できますね。


これは、陽子さんの方でも同じではないでしょうか。

お互いに支え合い、励まし合える関係だからこそ、長く寄り添っていけるのかもしれません。

館山昌平の右側に立てなかった娘

次は館山昌平さんと陽子さんの間に授かった娘さんを見て行きます。

娘さんの名前は海音(かのん)さんといい、2019年12月のインタビューで館山昌平さんが”11年間、一緒に戦ってきた”と触れているので生まれたのは2008年頃でしょう。

海音さんは一人娘として可愛がられましたが、なぜか父の右隣に立たせてもらえませんでした。

これは母親の陽子さんによる「パパの右腕は大切なところ」という教えがあり、少しでも右腕への負担や起こりうるリスクを回避させたいという思いもあったのでしょう。

もっとも、似たようなエピソードは館山昌平さんに限らず他の投手の家庭でもあるそうです。

逆に言えば当たり前のように日常生活の一部を犠牲にしているとも言えますし、アスリートの家族は一般の家庭とは違う特殊な緊張感に包まれているとも言えるでしょう。

引退後の今では普通の親子と同じように父の右側に立つことができますが、もう少しで中学生になる海音さんが前と同じように甘えてくれるかは微妙なところかも知れません。

ただ、引退試合の様子から見ても親子関係は良さそうなので余計な心配と言えるでしょうね。

館山昌平の血行障害からの復帰と引退

ここでは館山昌平さんの「血行障害」や復帰について振り返ってみましょう。

2011年シーズンはヤクルトの右腕エースとして「防御率2.04」を記録し、完投や完封をした数もリーグトップになるなど大きく飛躍した年になりました。


しかし、シーズン中に血行障害を発症していたらしく、ペナントレースも終わった11月12日に群馬県館林市の病院で右手血行障害の手術を受けています。

この手術は数回に分けて行われ、最初の手術で46針を縫うなど合計で4度(91針)にもなりました。

当初は全治4~5ヶ月と診察されていましたが医者も驚く回復力を見せ、翌年2月に始まった「春季キャンプ」では初日からブルペン入りするなど早期の復帰をしています。

怪我による成績低下が心配されましたが、2012年シーズンも12勝を挙げて防御率も(2.25)という手術前に比べて勝るとも劣らない見事な投球に驚きの声が上がっていたそうです。

しかし、その後は靭帯(じんたい)や股関節の故障に苦しむことになってしまい、2019年9月21日のレギュラーシーズン本拠地最終戦を引退試合に選んでユニフォームを脱ぎました。

野球人生で175針も縫うことになりましたが、今となっては思い出のひとつなのかも知れません。

引退後の館山昌平は楽天のコーチに

最後に現役生活にピリオドを打った館山昌平さんのその後について見て行きます。

館山昌平さんほどの実績や経験があれば古巣のヤクルトから声が掛かるはずですが、今までそれほど縁の無かった「楽天イーグルス」の二軍投手コーチに起用されていました。

ファンの中には”裏切った”という反応をする方もいましたが、この裏には元ヤクルトのエースで現在は楽天イーグルスのGMを務める石井一久さんの存在があったと言われています。

また、監督の三木肇さんやコーチの野村克則さんなどヤクルトと縁のある方が多いのも理由かもしれませんが、一番の理由はユニフォームを着られることだったそうです。

実はヤクルトからも引退後の仕事(役職)を提示されていたものの、その内容はユニフォームを着る仕事(コーチなど指導者)ではなく別の部門だったことから断っていました。

悩みに悩んで他球団へと移ることになりましたが、楽天イーグルスのコーチで積んだ経験を糧にして、いつの日かヤクルトに恩返しをするのが目標だとも語っています。


決して館山昌平さんは裏切り者などではなく、成長への武者修行に出掛けたと言えるでしょう。

その後、2シーズンコーチを務めた館山さんは2021年に退団。

2022年からは、福島レッドホープスに投手チーフコーチとして入団しています。

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