青木宣親の引退騒動。記録でイチロー超え&髪型が話題。早稲田には高校推薦枠で入学

青木 宣親(あおき のりちか)さんは努力と試行錯誤を積み重ねて多くの記録を残しました。

憧れのイチローさんと比較されがちですが、日本球界の記録では超えたと言われています。

今回は青木宣親さんの引退騒動や変わった髪型、早稲田大学入学などを見て行きましょう。

青木宣親が起こした引退騒動

まずはちょっと気になる青木宣親さんの引退騒動を見て行きましょう。


引退説が起こったのは2011年9月のスポーツ東京の記事が発端で、その経緯は”3割打てなかったら引退って書いて良いよ”という記者とのやり取りだったのです。

もちろん本気で引退を賭けていたという訳ではなかったものの、それぐらいの覚悟を持って自分自身を追い込もうとした発言のインパクトが強すぎて独り歩きしていました。

結果的に2011年シーズンの打率は(.292)に終わってしまい、2005年シーズンから続いていた3割越えの記録も途絶え、公約であった”引退発言”が再び注目を集めることになったのです。

東京スポーツは改めて「引退するのか?」と迫りましたが、青木宣親さんは半ば怒ったように”引退するわけないでしょ!”と前言を撤回して現役続行を高らかに宣言。

記事の引退発言について”言った言わない”で少し揉めたそうですが、2011年のシーズンオフにメジャーリーグの「ブルワーズ」へ移籍が決まって一種の”日本球界引退”になりました。

東京スポーツ側も本気で引退するとは思っていなかったものの、青木宣親さんの発言を記事にした経緯もあって改めて取材に行ったのは当然と言えるでしょうね。

もっとも、スポーツ選手の過剰なリップサービスは昔から多く見られることなので、ことさら青木宣親さんの引退発言を大きく取り上げるのは気の毒との声も上がっていました。

青木宣親はプロ野球の記録でイチローを超えた?

次は青木宣親さんが日本プロ野球(NPB)記録でイチローさんを越えた件を見て行きます。

イチローさんは説明不要と言っても良いほどのレジェンドで、その輝かしい実績は日本だけでなくアメリカにおいても高く評価されているのはご存知の通りです。

しかし、日本プロ野球(NPB)の公式記録を見ると歴代の打率ランキング第1位は(.325)で青木宣親さん、一方のイチローさんはトップ30にも名前が見当たりませんでした。

イチローさんの名前が無いのはかなり意外に思われるでしょうが、実はこの歴代打率に関してはちょっとしたカラクリがあって何人かの有名選手が外れていたのです。

そのカラクリとは”公式記録にする基準の打席が4000″というルールがあり、イチローさんは日本球界でのプレーが9年(内2年は100打席未満)と短かったので参考記録に留まりました。

青木宣親さんもメジャーから日本球界に復帰したことでようやく基準に達しましたが、一流選手の多くが海外に挑戦する現代の風潮に合っていない仕組みなのは間違いありません。


ちなみに、イチローさんの打数は(3,619)で打率は(.353)なので断トツの1位に躍り出ます。

日本プロ野球記録に限ればイチローさんを越えたと言うことも可能ですが、当の青木宣親さん本人が”超えるどころか並んですらいない”と一番思っているかも知れませんね。

青木宣親の髪型は坊主では無かった

ここでは大きく雰囲気が変わったと話題になった髪型について見て行きましょう。

過去には茶髪にしたりとオシャレな髪型が多かった青木宣親さんですが、2019年春のキャンプに高校球児のようなサッパリとした短髪(坊主?)で登場しました。

ありふれた坊主のように見える髪型にもかなりのこだわりがあるらしく、髪の長さは「横は3ミリで縦(上)は5ミリ」で密度も”すく”などオシャレにも気を使っていたのです。

中には”額(ひたい)がM字になっているのを隠すためだ”との厳しい声もありましたが、青木宣親さんが限りなく坊主に近い短髪にした真相は明らかになっていませんでした。

しかし、その後は伸びた髪の毛を再びバッサリと切ることは無く、少しずつ伸ばしながら手入れしたことでツーブロックと呼べるような長さにまで成長しています。

いう見ると「横は3ミリで縦(上)は5ミリ」にこだわっていたのも納得が行きますよね。

茶髪や長髪も良いですが、青木宣親さんは坊主・・ではなく短髪も良く似合っていました。

青木宣親は高校の推薦枠で早稲田大学に入学

最後に青木宣親さんの早稲田大学入学について見ておきましょう。

宮崎県の日向高校で2年生の頃からエースとしてチームを引っ張る存在でしたが、強豪校の多い九州だけあって甲子園へ進むことは出来ずに終わっています。

実績も少なかったことからスポーツ推薦ではなく指定校推薦で進学することを決めました。

指定校推薦を得るための校内選抜を勝ち抜くために猛勉強をしたらしく、青木宣親さんも「とにかく勉強するのみだった」と頑張って見事に推薦枠を手に入れています。

2000年春に早稲田大学人間科学部スポーツ科学科(今のスポーツ科学部)に入学。

肩の故障もあって投手から外野手に転向しましたが、そこで打者としての才能が開花して同期の鳥谷敬さんと共に”早稲田大学野球部史上初のリーグ戦4連覇”に大きく貢献しました。

これは青木宣親さんに対して不謹慎な話になるのですが、肩の怪我によって投手から打者に転向したことがプロ野球に入れた大きな要因と言えるかも知れません。

また、多くのスポーツ選手と違って勉強の才能があったもの事実であり、それらの様々な要因が重なって早稲田大学時代に野球選手の才能が開花したのは間違いないでしょう。


仮に怪我無く投手を続けていたり、指定校推薦に選ばれなかったという少しのボタンの掛け違いがあったとしたら今の青木宣親さんは居なかった可能性もあります。

つくづく思うことなのですが、人生というのは紙一重でどう転ぶか分からないものですね。

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