大ヒット映画『武士の家計簿』などで知られる映画監督の森田芳光(もりた よしみつ)さん。
『家族ゲーム』や『失楽園』は名作として知られ、日本を代表する映画監督でした。
作品が有名にもかかわらず、監督自身の経歴などはあまり明かされていない印象がありますね。
子役として活動していた経験や実家が料亭だったことなどはわかっていますが、監督として大成した後のプライベートはどのようなものだったのでしょうか。
奥さんや結婚、子供など家族情報の他、死因についても見ていきます。
森田芳光のプロフィール
本名:森田芳光
生年月日:1950年1月25日
身長:不明
出身地:東京都渋谷区円山町
最終学歴:日本大学芸術学部放送学科
所属事務所:故人のためなし(最終所属は自身の森田芳光事務所)
森田芳光の奥さん、結婚の情報
森田さんの奥さんは、映画プロデューサーの三沢和子さんです。
森田さんが26歳のとき、友人の紹介で1歳年下の三沢さんと出会ったのが馴れ初め。
1週間後には森田さんの実家の料亭で同棲をしていました。
結婚式は軽井沢のチャペルで行っています。
三沢さんは夫が8ミリフィルムで撮影した『水蒸気急行』を観て、その実験的な作風に惹かれ、映画製作の手伝いを申し出てプロデュース業を開始。
1981年の劇場用映画デビュー作『の・ようなもの』は、自宅を抵当に入れ借金をしてまで製作した映画ですが、それを支えた彼女の苦労も並大抵ではなかったでしょう。
それでも危険を顧みず映画作りの情熱に賭けることのできた2人ですから、パートナーとしては申し分なかったはずです。
実際三沢さんはプロデューサーとして、同時に妻として公私ともに長年、夫を支えてきました。
2015年には『の・ようなもの』の続編『の・ようなもの のようなもの』をプロデュースするなど、夫の死後も森田作品の普及に尽力しています。
出会いのきっかけは音楽だった
森田さんが三沢さんと会うきっかけになったのは、ジャズでした。
大学時代、ジャズのフルバンドに参加した三沢さんは日本中を回った本格派だ。「監督も大のジャズ通」と、共通の仲間の紹介で知り合った二人。
若い頃の三沢さんは映画も好きだったため、将来はジャズか映画のどちらかで仕事をしたいと考えていたそうです。
バンドに入って日本中で演奏していたことからも、本気でジャズに打ちこんでいたことがわかります。
映画プロデューサーにならなかったら、ミュージシャンとして有名になっていたのかもしれません。
そんな三沢さんだからこそ、同じジャズ好きの森田さんとは話が合ったのでしょう。
もちろん、映画好きというのも重要な共通点です。
大好きなものが2つもかぶっていたことで、自然と相手が気になったのではないでしょうか。
デートの際も、ジャズや映画の話で盛り上がっていたことが想像できますね。
お互いの呼び方が独特?
最初の交流は、「趣味の合う友達」という感覚だったと思われる森田さんと三沢さん。
そこから交際につながり結婚へと至るわけですが、夫婦となってからも、どこか友人のような関係は続いていたようです。
三沢さんは、「RHYMESTER」の宇多丸さんと対談した際、夫婦の名前の呼び方を明かしています。
三沢 実は私もプライベートでは「タリモ」と呼んでいました。だってほかに呼びようが……。下の名前で呼ぶような関係じゃないんですよ。友達みたいな感じです。
宇多丸 森田さんも「三沢」って呼んでましたし。
「タリモ」というのは、森田さんの小学生時代からのあだ名。
森田さんが亡くなった後、三沢さんは森田さんの同級生から同窓会に呼ばれたそうですが、そこでもやはり「タリモ」と呼ばれていたそうです。
出会いをつないでくれた友人も、普段から「タリモ」と呼んでいたのでしょうか。
三沢さんも、友人たちの影響で自然と「タリモ」呼びになったんでしょうね。
森田さんも妻を名字で呼んでいたわけですから、2人の会話を偶然見かけた人などは、本当に友人と思ったかもしれません。
ちなみに、森田さんの葬儀で喪主を務めた三沢さんは、名字を「三沢」と名乗りたかったのだとか。
葬儀社に説得されて「森田和子」にしたところ、妻とわからず「誰?」と戸惑う参列者もいたそうです。
これも友人のような夫婦関係がわかるエピソードですね。
森田芳光に子供の情報はない
夫婦に子供がいるか、正確な情報はわかりませんでした。
妻の三沢さんによると森田さんは、「子供に話を合わせられない」らしく、子供が苦手だった可能性が高いです。
子役との交流からそう考えたのか、あるいは自分たちの子供に対する態度から判断したのかは不明ですが、子供がいるとしても個人情報がわからないようになっているのでしょう。
リスクを冒してでも映画に人生を賭けた夫婦ですから、もしかすると子供を作らなかった可能性も高いですね。
森田芳光、家族への思い
森田さん自身の家族情報は、ほとんど謎に包まれていました。
しかし森田さんの家族というものに対する考えは、1983年公開の代表作『家族ゲーム』に表れている可能性が高いでしょう。
お互いのことを思いやっていると見せかけながら、実はみんなが自己中心的な家族。
ほのぼのとした家族の映画はいくつもありますが、『家族ゲーム』は冷笑的に家族という存在そのものを皮肉っているように思えます。
故・松田優作さん演じる家庭教師のシーンは笑える点が多く、ついそのインパクトばかりが印象に残ってしまう人もいるでしょう。
『家族ゲーム』(1983年)
監督:森田芳光 pic.twitter.com/vQK75ZpYqM— みやん2号 (@BpmAS4wwHW89MiP) May 1, 2020
しかしこの映画は、偽りの愛情、冷え切った人間関係など、人情味が薄れていく日本社会そのものをも皮肉っているとすら思える意外に深刻な作品です。
森田さんは実家が料亭で、幼少期から芸者と客の姿を見てきました。
「人間なんて体裁ばかり」と気づいたのはその時期のことですから、当時から人間を観察し巧みに皮肉る土台ができていたのでしょう。
もしかすると自分の家族というものに対しても、どうしてもそのような見方をして思い悩む瞬間があったかもしれません。
その悩みを昇華させるためにも、『家族ゲーム』という物語を映画化したのではないでしょうか。
森田芳光の死因
森田さんは2011年、61歳でC型肝炎が原因の急性肝不全で亡くなりました。
葬儀には『椿三十郎』で主演を務めた織田裕二さんや『間宮兄弟』に出演した北川景子さんら、多くの著名人が詰めかけています。
お酒を飲まなかったという情報もあり、急性肝不全での急逝は惜しまれますね。
ふだん酒を飲まなかった森田芳光の死因が肝不全だなんて。哀号。
— ラヴマシーン@一平飯店 (@ks690924) December 21, 2011
三沢さんを筆頭に、監督を慕っていた方々は今でもその作品を後世に残そうと活動を続けているようです。
森田作品が日本映画史に刻まれ、監督の名が語り継がれていくことは間違いないでしょう。
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