綿貫民輔の現在(2023)。神社の宮司やトナミ運輸での活躍。社長だった息子&孫の情報なし

国政に大きな影響力を持つ政治家だった綿貫民輔(わたぬきたみすけ)さん。

政治家だけでなく実業家や宮司としても並外れた才能を発揮していました。

綿貫民輔のプロフィール

生年月日:1927年4月30日

出身地: 富山県南砺市

最終学歴: 慶應義塾大学経済学部

所属事務所: 自由民主党

綿貫民輔の現在(2023)

政治家の中には引退後も国政に口を出す人も多いですよね。

ですが、綿貫民輔さんは「議員を退いた長老は評論すべきではない」という意見の持ち主。

そのため現在は国政に関与する事は殆どありません。


ですが今でも綿貫民輔さんは多くの人々にとって心強い存在のはず。

既に90歳を過ぎた高齢ですが、体に無理のない範囲で国政に目を光らせて欲しいものです。

近年もまだまだ元気そう

国政に関与しないといっても、まったく表に出てこないわけではない綿貫さん。

2020年代に入ってからも、たびたび話題が出ていますよね。

高齢でも非常に元気そうなので、びっくりする人もいるようです。

1927年生まれの綿貫さんは、2023年で96歳。

その年齢を考えると、ニュースやインタビュー記事を見かけて驚くのも無理はありません。

人生100年時代とはいえ、90代後半になれば生活のほとんどがベッドという人もいるでしょう。

SNSでは近年の様子を心配する声も見かけますが、気持ちはよくわかります。

そう考えると、綿貫さんの活躍は本当にすごいですね。


もちろん年齢的に無理はできないはずですが、90代としてはパワフルな印象を受けます。

それだけ気力もあるのでしょう。

綿貫さんの話題から元気をもらっている同年代も、たくさんいるのかもしれませんね。

死亡説はデマ

一部では綿貫さんが故人のような話もありますが、事実ではありません。

前述のとおり、元気そうな情報はいろいろとありますが、訃報は流れていないのです。

亡くなった情報など出ていないのに「故」と言われてしまう理由は、おそらく勘違いではないでしょうか。

近年も話題が出るとはいえ、頻繁ではない綿貫さん。

あまり姿を見かけなくなったことで、故人と思い込む人もいるのかもしれません。

高齢であることも、そうした思い込みに影響しているものと思われます。

また、勝介さんの訃報以降に噂を見かけた場合は、情報の混同が起きている可能性もありそうです。

綿貫民輔は神社の宮司としても逸材

会社社長や政治家という事は非常に有名な綿貫民輔さん。


その他にも宮司という一面もあるんです。

実は生家が代々、井波八幡宮の宮司で綿貫民輔さんは15代目。

祖父や父が多忙だった事から5歳の頃から宮司代理として末社を回っていたそうです。

政治家としての活躍ぶりは誰もが知るところ。

そして宮司としても非常に稀有な存在。

神職としての貢献と功績を称えられて2004年には「長老」の称号を送られています。

「長老」は、神職の身分の中で最高位です。

この称号を持つのは日本中でも極わずかしかいないんだとか。

兼務する事が困難と思える政治家と神職。

そのどちらでも見事な結果を残すなんて。

きっと綿貫民輔さんは他の人とは違う、特別な何かを持っているのでしょう。

神に仕える宮司の家系に生まれたのも偶然ではないのかも知れません。

入社時のトナミ運輸は事務所が雨漏りするほど酷かった

日本の各地に営業拠点と流通センターを持つトナミ運輸。

BtoB物流が中心ながら宅配業界のシェア率は業界7位。


2019年度の売上高は903億円で純利益は20億円。

総資産は829億という大企業となっています。

社長として活躍した過去

このトナミ運輸の創業者は綿貫民輔さんの父である綿貫佐民さん。

ですが綿貫民輔さんが大学を卒業し、鐘淵紡績に入社した年に父は死去。

その後、社長を務めていたのは祖父。

ですが高齢だった事もあり長くは続けられないと思っていたのでしょう。

そこで祖父は綿貫民輔さんを社長にすることに。

「入社すればアメリカへ留学させる」としてトナミ運輸への入社を促しました。

海外旅行も珍しかった当時にしてみればアメリカ留学なんて夢のような話。

この言葉を信じて綿貫民輔さんはトナミ運輸に入社。

ところが当時のトナミ運輸は事務所が雨漏りするほどの経営難。

留学なんて夢のまた夢の話で、詐欺にあったとすら感じたそうです。

これ程までの経営難の原因の1つが「雪」。

冬に数メートルも雪が積もり、トラックが走れない事からその間は赤字となっていました。


この状況を何とかしようと綿貫民輔さんは海外の雪中輸送を視察。

そこで除雪車が積もった雪を掻きわける光景をみて衝撃を受けたんだとか。

県議となり会社を救う

そして帰国後、富山県知事に除雪車の導入を求めるも相手にされず。

それならばと富山選出の国会議員を尋ねるも門前払い。

知事も国会議員も頼れないなら自分で何とかするしかないと、富山県議会議員への出馬を決意。

1955年の出馬では落選するも1959年に初当選。

念願の県議となった事もあり、トナミ運輸は業績を回復。

その後も業績は右肩上がりで株式も上場。

今のトナミ運輸があるのは間違いなく綿貫民輔さんが築いた礎のおかげ。

綿貫民輔さんは国会議員となった後も融雪装置や除雪車を増やすなど除雪対策に尽力しています。

選出した国会議員がこれだけ地元に貢献してくれれば「また投票しよう」と思うのも当然。

13期も国会議員であり続けたのはこうした地元への貢献があったからなんですね。

綿貫民輔、亡くなった息子は社長で宮司だった

妻、千重子さんとの間に1男2女、計3人の子供がいる綿貫民輔さん。


ですが、2022年は長男・勝介(かつすけ)さんの訃報が流れました。

急病だったようなので、家族はとても驚いたことでしょう。

トナミホールディングス(HD、高岡市)、トナミ運輸(同市)社長の綿貫勝介(わたぬき・かつすけ)氏が23日午前、急性心不全のため富山市の富山赤十字病院で死去した。63歳。

勝介さんは業界発展に貢献した人物で、多くの人が別れを惜しんだようです。

綿貫民輔さんも前職はトナミ運輸社長だったわけですから、同じ会社の社長となって活躍する息子の姿を、父親として誇らしく思っていたかもしれません。

63歳で自分より先に旅立ってしまったことは、本当に残念だったでしょうね。

息子が社長になった経緯

長男・綿貫勝介さんは成城大学卒業後にトナミ運輸株式会社に入社しています。

祖父が創業者で、父が事業を拡大したトナミ運輸。

この事から役員待遇で入社したと思う人もいるかもしれません。

確かに綿貫勝介さんは同社の社長を務めていました。

ですが、初めから社長だったわけではありません。

着実に業績を積み重ねた事で部長代理を経て、1990年に取締役に就任。

2003年からは副社長を務め、社長となったのは2005年から。

そして2008年に純粋持株会社へ移行。

商号をトナミホールディングス株式会社に変更し、トナミ運輸株式会社は事業会社に。


一社員として経験を積ませたのは綿貫民輔さんの意向だったのかもしれません。

もし相応しくないと判断されたら社長になる事も無かったでしょう。

政治とは関りがなかった子供たち

大企業の社長を務めながら井波八幡宮の宮司も務めていた綿貫勝介さん。

綿貫民輔さんが引退した時に出馬していない事から恐らく政治の世界に興味はなかったものと思われます。

それよりも、受け継いだ会社を大きくする事の方が楽しかったのかもしれませんね。

なお、長女の綿貫久子さん、次女の綿貫純子さんについては詳細な情報が見つからず。

きっと良縁に恵まれて素敵な家庭を築いている事でしょう。

綿貫民輔には孫の情報はない

非常に優秀な人が多い綿貫民輔さんの家系。

そこで気になってしまうのが孫の存在。

おそらく孫も優秀なはず。

いずれ人の上に立つ事を見越して幼少期から英才教育を受けている可能性もありそうですよね。

ですが、綿貫民輔さんの孫に関する情報は全く明かされていません。

そのため孫がいるかどうかも不明。


祖父が政界の重鎮で親族に会社社長がいるとなれば情報を隠すのは当然。

情報が洩れると取り返しがつかない事態になる恐れもありますからね。

ただ、綿貫民輔さんの孫であればいつか情報が表に出てくるはず。

長男の綿貫勝介さんの子供であれば、きっとトナミホールディングス株式会社を継ぐことでしょう。

また、娘達の子供もいつの日か政治家を目指すかもしれません。

例えどんな道に進んだとしても一目置かれるような存在になる事は間違いないでしょう。

綿貫民輔の経歴まとめ

衆議院議員を13期も務めた大物政治家の綿貫民輔さん。

慶應義塾大学を卒業後は鐘淵紡績に入社。

その後、父が創業した砺波運輸の社長を経て富山県議会議員に。

富山県議会議員を2期務めると満を持して国政へ進出するため1967年の衆議院議員選挙に立候補。

会社社長と県議としての経験と確かな実績から当選確実と思われましたが、残念ながら落選。

入念な準備と莫大な費用が必要となる国政選挙。

一説には必要な費用は数千万円とも言われています。

ただ、これだけの労力を費やしても水の泡。


そのため政治の道を断念して会社社長に専念するという選択肢もあったはず。

ですが、綿貫民輔さんは諦める事なく2年後の1969年に行われた衆議院議員選挙にも立候補。

すると今度は見事に当選を果たしています。

それ以降は1度も落選する事なく13期連続当選。

1986年には国土庁長官、北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官として初入閣。

その後は幹事長や建設大臣、衆議院議長など要職を歴任。

自民党を代表する政治家の1人として国民からも高い人気を誇っていました。

ところが2005年に当時、自民党の目玉法案であった郵政民営化法案に反対。

「反対票を投じた議員は次期選挙で公認しない」という執行部に反発し、自民党を離党する事を決意。

ただ、離党届は受理される事はなく余命処分を下されてしまいます。

その後は同じく反対票を投じた議員達と「国民新党」を結党し代表に就任。

そして国民新党代表として臨んだ選挙でも見事に当選を果たしています。

自民党という後ろ盾を失っても選挙に当選するのは流石の一言。

それだけ地元有権者から絶大な信頼を得ていたという事なのでしょう。

ところが2009年に河合常則さんが自民党から離党する事を踏みとどまらせるため小選挙区からの出馬を見送り。


その結果、同年に行われた衆議院議員選挙に比例単独で出馬するも落選。

そして国民新党の代表も辞任する事となってしまいました。

綿貫民輔さんほどの議員でも自民党を離れた事で多大な苦労があったのでしょう。

そのため他の議員に同じ思いをさせたくない、と思い小選挙区の出馬を断念したのかもしれません。

同じ党に所属する議員ではなく、他党の議員のためにそこまで出来るなんて。

この懐の広さが多くの人々が信頼を寄せる要因となっているのでしょう。

2013年に国民新党が解党してからは自民党との関係改善に奔走。

同年の参議院議員選挙では自身の元秘書が自民党から公認を受けられるように尽力しています。

こういった活動が高く評価され2016年には自民党への復党が決定。

除名された議員が復党するのは長い自民党の歴史の中でも初の出来事でした。

これは綿貫民輔さんが替えの利かない政治家である事の何よりの証拠。

国政の舞台で存在感を発揮し続けたのも納得です。


政界から引退後は桐花大綬章や南砺市初となる名誉市民称号など栄誉ある賞を受賞。

また、日本バドミントン協会の名誉会長を務めるなど政治以外でも存在感を発揮しています。

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