かつては首相候補として名前を挙げられる事も多かった平沼赳夫(ひらぬまたけお)さん。
地位や役職よりも信念を重要視する数少ない本物の政治家でした。
平沼赳夫のプロフィール
生年月日:1939年8月3日
出身地: 東京府東京市渋谷区
最終学歴: 慶應義塾大学法学部法律学科
所属政党: 自由民主党
平沼赳夫の現在
政治家を引退した後も良くも悪くも存在感を示す政治家は少なくありません。
平沼赳夫さんの場合、政界からの引退を発表してからは表立った活動をしていなようです。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉を思い浮かべる人もいるでしょう。
実際にはまったく姿が見えないわけではないのですが、表舞台から去ったことにより、一部では間違った噂も流れているようです。
死亡説はデマ
引退発表以降、その姿を見かける機会は減ってしまった平沼さん。
すでに故人という噂も存在しますが、これは間違いです。
Live News itで女系天皇認めるかのニュースやってたけど、VTRで故平沼赳夫さんの女系天皇反対の主張が出てて懐かしいと感じた💦
平沼赳夫さんもバリバリの保守の方だったからな。
風間解説委員は日本人は切羽詰まらないと動かないと仰ってたがまさにそうかもしれない🤔#LiveNews_it #fujitv
— おんさ🙏🍁🍵👾𝓟𝓟𝓔 (@onsa2235) May 2, 2019
昭江さんは故平沼赳夫氏に、教育勅語を素読する良い学校があるから一度見学をと強く押されて行かれたと記憶しています。日本会議で活動されていたお父上の真意は諮りかねますが、その後菅野らによる倒閣運動に利用されてしまう、かような経緯と見ておりました。学園の土地がこれまた悪手でしたね。
— pocopoco24 (@ujyoujyo) September 8, 2020
平沼さんは2023年現在も存命であり、他の政治家のSNSにときどき登場しています。
高齢であることは確かですが、まだまだ元気そうですね。
平沼赳夫先生は一線を退いた現在も拉致被害者救出に取り組んでおられます。ご家族と抱き合える日を一刻も早く実現しましょう。#拉致被害者全員奪還 #特定失踪者全員奪還 pic.twitter.com/JMaNk2nchx
— 松原仁(衆議院議員 無所属 東京26区 目黒区・大田区)まつばら仁 (@matsubarajin731) July 16, 2023
中華民国🇹🇼台湾112年国慶節祝賀式典@ホテルオークラにて、謝長廷駐日特命全権大使(中央)と、都議会日本台湾友好議員連盟 #こいそ明 会長と共に。下は、久しぶりお目にかかった平沼赳夫日華議員懇談会前会長と。お元気そうで何よりでした。 pic.twitter.com/8C0aJrb5Nx
— 長島昭久🇯🇵🇺🇦東京30区(府中、多摩、稲城市) (@nagashima21) October 5, 2023
しばらく姿を見ないために心配していた人は、こうした写真を見てほっとしていることでしょう。
ただ、死亡説をすっかり信じていた人は、びっくりしたり混乱したりするようです。
平沼赳夫まだ存命だったか
— 山本一朗 (@yamamoto_echiro) October 5, 2020
平沼赳夫まだ生きてたん?複雑怪奇な。 https://t.co/sbNsNTa9eq
— なまニャンコ (@jGgNxLoPCuNW748) October 20, 2023
故人として記憶していた人が最近の写真を見たら、驚くのも無理はありません。
ですが、こうして実際の写真などが紹介されていれば、勘違いした人たちも少しずつ情報を更新していくことでしょう。
ちなみに、なぜ死亡説が出てきたのかは、よくわかっていません。
平沼さんが存命であることは間違いないわけですから、これまで訃報が流れたことはないはず。
噂につながる可能性があるとすれば、病気かもしれません。
詳しくは後述しますが、平沼さんの引退には病気も影響しています。
その情報に加えて、見かける機会が減ったことにより、亡くなったと思い込む人が出てきたのではないでしょうか。
病気だけ覚えていて引退を知らなかった人なら、「見かけなくなったのは故人だから」と思ってしまう可能性もありそうです。
石原慎太郎の訃報でコメント発表
近年の平沼さんといえば、2022年に石原慎太郎さんが亡くなったときのコメントも話題になりましたね。
次男の事務所を通して「世話になった」と語った平沼さんは、石原さんとのエピソードを紹介していました。
石原さんは、選挙の際に何度も応援に来てくれたのだとか。
平沼さんが病と闘っているときも、お見舞いに来てくれたそうです。
石原さんの温かさが伝わってくるエピソードであり、盟友と呼べる間柄だったことが想像できます。
それだけに、訃報の衝撃は大きかったのではないでしょうか。
石原さんと過ごした時間は、ずっと残っていく大切な思い出なのでしょうね。
平沼赳夫は病気で引退を決意
2017年に政界からの引退を発表した平沼赳夫さん。
平沼赳夫元経済産業相(78)=衆院岡山3区=が1日、衆院選に立候補せず政界を引退すると正式に表明した。
発表の際に語った理由は年齢と病気でした。
2006年に脳梗塞を発症し3か月間に渡って入院。
その後、リハビリを続け政界には復帰していました。
ですが、2014年には国会質問や議員立法、質問主意書提出のいずれも行わない「オールゼロ議員」の1人に。
自発性と意欲の低下は脳梗塞の後遺症の1つ。
リハビリで身体機能は回復。
ですが、脳機能には少なからず後遺症が残ってしまったのかもしれません。
おそらく政治家としての意欲を失った事が政界引退の最大の理由だったのでしょう。
「選挙で落ちればただの人」と言われる政治家。
国のために働けないならば潔く引退するなんて、なかなか真似できる事ではありません。
平沼赳夫さんこそ本当の政治家。
このような政治家が一人でも増える事を願わずにはいられません。
平沼赳夫の後継者となったのは息子
大物政治家が引退すると注目を集めるのが後継者。
12期に渡って議員を務めた平沼赳夫さんの強固な地盤。
これを引き継ぐことが出来れば当選はほぼ確実と言えるでしょう。
平沼赳夫さんが候補者に指名したのは次男の平沼正二郎さん。
学習院大学を卒業後、ソニーマーケティング株式会社に入社。
2006年にはウェブマーケティングを行うリブート株式会社を設立し代表取締役に就任。
さすがは平沼赳夫さんの息子と思える素晴らしい経歴ですよね。
ただ、候補者に指名はされたものの自民党の公認は得られず。
そして2017年の衆議院選挙には無所属で出馬した結果、惜しくも落選してしまいます。
ですが、2021年の「第49回衆議院議員総選挙」で初当選。
正式に代議士として活動を始めました。
なお、平沼赳夫さんには次男の平沼正二郎さんの他に長男と長女と計3人の子供がいるようです。
長男の平沼慶一郎さんは大手広告代理店の電通に勤務。
第3統合ソリューション局ソリューションディレクターを務めるなどかなりポジションについている事が分かります。
広告代理店として日本では最大級、世界でも5本の指に入る電通。
その電通でこれだけの地位に就くなんて、父に似て相当な切れ者なのでしょうね。
そして長女の名前は平沼広子さん。
ですが長男、次男に比べると詳細な情報は見つからず。
平沼赳夫さんの秘書を務めていたという情報もありましたが真偽は不明。
ただ、息子達の活躍を見る限り平沼広子さんも優秀な女性である事は間違いないでしょう。
傑物ばかりが名を連ねる家系図
平沼赳夫さんの父は実業家の平沼恭四郎さん。
慶應義塾大学を卒業後、産業組合中央金庫に入社。
その後、三井生命へ移ると戦後には三明商事を設立。
後に大協石油で取締役を務めたほどの商才の持ち主でした。
そして母、節子さんは早稲田大学の学長を務めた平沼淑郎さんの孫娘。
この事から分かるように「平沼」は母方の姓。
父親である平沼恭四郎さんの元々の姓は「中川」でした。
平沼淑郎さんの弟であり総理大臣も務めた平沼騏一郎さんが一家養子に迎え入れた事で「平沼」姓となっています。
つまり平沼騏一郎さんは平沼赳夫さんの養父という事になります。
一家で養子になるなんて今の社会ではなかなか考えられないこと。
それだけ当時は家柄が重要視されていたという事なのかもしれません。
そして平沼赳夫さんの祖父には官僚で群馬県知事も務めた中川友次郎さん。
また、妻である真佐子さんの父親は徳川慶喜の孫にあたる徳川慶光さん。
このように何とも凄い家系図に名を連ねる平沼赳夫さん。
きっと政治家となり国のために尽力するのは運命だったのかも。
恐らく歴史に名を残す政治家となれたのは凄すぎる親族達に負けじと努力した結果なのでしょうね。
平沼赳夫の経歴まとめ
麻布中・高を経て慶應義塾大学法学部に進んだ平沼赳夫さん。
大学卒業後は東紡績に入社した後、佐藤栄作さんや中川一郎さんの秘書に。
偉大な政治家の秘書として政治に携わった経験を武器に1976年の衆議院議員選挙に出馬。
ところが残念ながら落選となり、再挑戦となる1979年の衆議院議員選挙でも落選。
二度の落選にも諦める事はなかった平沼赳夫さん。
三度目の正直と臨んだ1980年の衆議院議員選挙で見事に初当選。
それ以降は1度も落選する事なく、衆議院議員を12期務めています。
1988年に大蔵政務次官となったのを皮切りに運輸大臣や通商産業大臣、経済産業大臣など要職を歴任。
このまま実績を積み重ねていけば総理の椅子も夢ではなかったはず。
ところが2005年の郵政民営化法案に反対票を投じた事で政治家人生が急転。
その後の選挙で自民党の公認を得る事が出来ずに無所属での出馬を余儀なくされてしまいます。
ただ、それでも当選するのはさすがの一言。
2009年には平沼赳夫さんを指示する無所属の議員達と「平沼グループ」を結成。
その後、「国益と国民の生活を守る会」を経て新党「たちあがれ日本」を結党すると代表に就任。
当時の二大政党だった自民党、民主党に次ぐ第三極を目指して自らが前面に立ち政治活動を行っていました。
ですが平沼赳夫さん一人の力では第三極として台頭する事は出来ず。
それ以降、「太陽の党」や「日本維新の会」、「次世代の党」など解党と結党を繰り返すことに。
このままでは思うような活動が出来ないと感じたのか、2015年には約10年ぶりに自民党へ復党しています。
そして2017年の選挙には立候補せず政界からの引退を表明。
きっと2015年の復党は「政治家として最後に何かを残したい」という思いがあったのでしょう。
自分の意思を曲げて自民党に残り続けていれば様々な要職に就く事が出来たはず。
ポストに固執することなく、政治家としての信念を貫いた平沼赳夫さん。
これこそ政治家のあるべき姿と言えるでしょう。
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