『人間失格』、『斜陽』などを発表した文豪・太宰治(だざい おさむ)。
結婚してから玉川上水で心中自殺をするまで、9年間を過ごしたのが東京都の三鷹市でした。
太宰と言えば三鷹というイメージがあるものの、実は鎌倉にもゆかりがあります。
今回は太宰に縁のある街について、さらに愛用した着物と万年筆、好んだウイスキーから、太宰の趣味と人となりを探っていきましょう。
太宰治のプロフィール
本名:津島修治
生年月日:1909年6月19日
死没:1948年6月13日
身長:175㎝
出身地:青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)
最終学歴:東京帝国大学仏文科中退
太宰治と三鷹
まずは太宰と三鷹について見ていきます。
1939年、新妻の美智子と暮らしていたのは山梨県甲府市でしたが、東京に転居したいと考えていました。
吉祥寺や荻窪方面を歩き回り、ようやく三鷹に手ごろな借家を見つけ、同年に引っ越します。
その後、玉川上水で自殺する1948年まで、疎開していた時期を除きずっと暮らしていました。
三鷹駅から徒歩5分ほどのところにある、跨線橋(こせんきょう)という陸橋から、富士山を眺めるのが好きだったそうです。
三鷹市上連雀「三鷹電車庫跨線橋」 太宰治が愛した景色だそうです。 夕暮れの富士山を見に行ったのですが、残念ながら雲に隠れていました。 pic.twitter.com/OvCAXRC0AV
— ダイスケ (@daisuke_sun) December 28, 2019
また太宰が編集者との打ち合わせによく使っていたのが、うなぎ若松屋。
現在は跡地になってしまいましたが、パネルによる説明もあり、太宰ファンなら聖地巡礼してみたいスポットでしょう。
ゆかりの地⑧うなぎ若松屋跡
太宰が雑誌編集者との打ち合わせにしていた場所。太宰の執筆時間は15時まで。それ以降に太宰に会いたければ、ここに行け!というのが暗黙の了解だったそう。#太宰治 #太宰散歩 #桜桃忌 #太宰治生誕祭 pic.twitter.com/jVDjB7tcc0— shige@日めくり太宰治🍒 (@VeryVeryStrong0) June 20, 2017
今でも住みやすい街として知られている三鷹での生活は、太宰にとっても快適だったのかもしれません。
太宰と鎌倉とのつながりは?
もう1つのゆかりある街、鎌倉についても見ていきましょう。
度々自殺未遂を起こしている太宰が、初めて心中事件を起こしたのが鎌倉でした。
まだ学生だった1930年11月、小動岬下の畳岩(または海岸)で、睡眠薬による心中を行います。
心中相手は銀座のバーで女給をしていた田部シメ子という18歳の女性で、彼女だけが死亡し、太宰は自殺ほう助の罪で逮捕されました。
太宰はこのときの模様を、小説『道化の華』に描いています。
鎌倉はまだ三鷹を知らなかった太宰にとって、死に場所に選びたいほど理想的な場所だったのかもしれません。
太宰の愛用した着物と万年筆
次に太宰が愛用した着物と万年筆の詳細を見てみましょう。
太宰と言えば、着物の似合う色男というイメージを抱く人もいるかもしれませんね。
太宰治の着物姿 pic.twitter.com/2epBm3l26D
— 鏑矢中の折木 (@tubura123_skt) April 20, 2020
小説『葉』では、死のうと考えていた太宰が、知人から夏用の麻の着物をもらったときの心情が記されています。
夏用の着物をもらったことで、「夏まで生きていようと思った」と記した一文は、今でも名文として愛されていますね。
「死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」
夕飯の後開いた『太宰治全集1』の11頁。
生存の理由なんか、そんなんでいい。 pic.twitter.com/yg84lgKr4r
— きなこ (@3h4m1) September 27, 2020
ただ筆者としては、175cmと当時の男性にしては高身長だった太宰は、着物よりも洋装が似合う印象があります。
そのことは本人も自覚していたのか、単に着物を着るのではなく、上から二重廻しというコートを羽織るスタイルを愛していました。
作家・太宰治も織田作之助も、二重廻しを愛用していて、その姿が銅像になっているのだけど、パッと見だと金田一耕助にしか見えない。 pic.twitter.com/GQRpS8PR1C
— 資料室 (@_829564225314) June 24, 2020
これによってダンディで洒落た紳士風の姿に見えますね。
ファンの多くは同じ二重廻しを身にまとい、太宰になった気分を味わうなど、コスプレを楽しんでいるようです。
次に万年筆についてですが、太宰はエヴァーシャープの万年筆を愛用していました。
元々は美智子夫人がアメリカのお土産にもらったものでしたが、いつの間にか太宰が使うようになったそうです。
筆圧が弱かったため、9年間同じエヴァーシャープの万年筆だけを使うことができました。
文具にこだわりのなかった太宰が唯一愛用したのが、この万年筆だったのです。
書きやすく、作業がはかどる逸品だったに違いありません。
太宰治の愛したウイスキー
最後に、酒豪だった太宰が愛した酒について見ていきます。
彼の作品にはウイスキーが度々登場しますので、それだけ洋酒が好きだったことがうかがえますね。
手元のウイスキーがもう残り少ないので消化することにした。身体の芯から暖まっている感。太宰治の小説にはウイスキーを飲むシーンはたくさんあるのに日本酒はほとんどない、これかっこつけてるだけだと思う。(「きりぎりす(太宰治)」#nowreading)
— ぱろすけ (@parosky0) October 2, 2010
当時は現代のように美味しいウイスキーが少なく、炭酸水で割って飲んでいた可能性が高いようです。
太宰と言えば有名なのが、銀座のバー・ルパンで知識人たちと語らっている写真ですね。
写真家・林忠彦が撮影した、#太宰治 の写真で最も有名な、銀座のバー「ルパン」でのコレ🎞
意外と知られていないのが、トリミングされているということ。
右端に背中だけ写っているのは、#坂口安吾 。
11月25日、改造社主催の座談会「歓楽極まりて哀情多し」の後に撮影されました🍒#日めくり太宰治 pic.twitter.com/nceWY7rOj1— shige@日めくり太宰治🍒 (@VeryVeryStrong0) November 23, 2020
実はルパンには、太宰が通っていた当時からあるウイスキーのグラスが、今でも使われています。
ウイスキー好きの太宰が使った可能性は高く、同じグラスに口を付けられると思うと、ファンにはたまらない贅沢かもしれませんね。
今回は太宰治ゆかりの地と愛用したものについてご紹介しました。
太宰ファンでなくても、まずは聖地巡礼をしてみるだけで、作品を読んでみるきっかけになるかもしれません。
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