文豪・太宰治の妻として知られる津島美知子(つしま みちこ)。
夫が玉川上水で心中自殺してからの生活が気になりますよね。
今回は美知子の晩年、その遺産について、また太宰との子供のことを見ていきましょう。
さらに知られざる美知子自身の性格のことも、ご紹介します。
津島美知子のプロフィール
本名:津島美知子(旧姓:石原)
生年月日:1912年1月31日
死没:1997年2月1日
身長:不明
出身地:山梨県甲府市
最終学歴:東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)
津島美知子の晩年と遺産
まずは美知子の晩年と遺産について見ていきましょう。
太宰が愛人の山崎富栄と玉川上水に入水し死亡したのが、1948年6月でした。
美知子は1939年、山梨県で教師をしていたときに、作家の井伏鱒二の世話で太宰と結婚しました。
以降9年間、三鷹市で暮らしています。
しかし太宰の死後、三鷹の家を立ち退くか、買い取るか決めるよう大家に要求されました。
美知子は立ち退きを決め、娘2人と息子1人を連れ、文京区の本駒込へ引っ越しています。
1978年に夫の回想録である、『回想の太宰治』を出版しました。
この本からうかがえるのは、生活能力が欠如した夫を、美知子が黙々と支えていたことです。
太宰の死後もその関連資料をしっかりと保存し、全集の作成にも加わっていることから、真面目で献身的な性格がうかがえます。
1997年に心不全により、85歳で亡くなっていますが、太宰に尽くした生涯と言えるでしょう。
遺産額は、多額の印税の影響もあり、およそ9億4千万円だったそうです。
今 Wikipedia で太宰治の妻「津島美知子」の項目を見ていたら 彼女が亡くなった時「税務署公示で課税遺産額が約9億4千万円」だったとの記述があって驚いた
これは太宰の印税の蓄積だと思われる
2人の娘たちが大学まで進学できたのもこのお金のお陰だったのだろう#太宰治 #遺産 pic.twitter.com/dREgvYD350— 大貫虎吉 (@tora__1947) June 22, 2019
しっかり者の美知子ですから、莫大なお金も太宰のように使い切ろうとせず、晩年まで堅実に生活したのでしょう。
津島美知子と太宰治の子供は?
次に、美知子と太宰治の間に生まれた子供について見ていきましょう。
2人の間には長女・園子、長男・正樹、次女・里子という3人の子供がいました。
このうち正樹は、1960年に肺炎で、わずか15歳で亡くなっています。
一方で2人の娘たちは無事に成人しました。
園子さんは元衆議院議員の津島雄二さんの妻となります。
雄二さんは上野という旧姓でしたが、妻の姓に変更していることから、政治家や実業家がいることで著名な津島家の姓を名乗ろうと決めたことがうかがえます。
2人の息子である津島淳さんも衆議院議員です。
しかし園子さんは2020年に79歳で亡くなっており、この年に90歳になった雄二さんは妻に先立たれたことになりますね。
お悔み申し上げます。
太宰のお嬢さま…長女津島園子さんがお亡くなりになられました。
三鷹の自宅縁側でのこのお写真が昔から好きです。#津島園子 pic.twitter.com/qABd0k9gqk— Kumi@Yokohama12/16佐野Coyote (@7j3u5n5) April 20, 2020
【訃報】太宰治の長女、津島園子さん死去 津島雄二元厚相の妻|BIGLOBEニュース https://t.co/PgotgJEk8v pic.twitter.com/tsIUeY4icr
— BIGLOBEニュース (@shunkannews) April 20, 2020
次に美知子と太宰の次女である里子ですが、津島佑子のペンネームで作家デビューを果たしています。
『光の領分』などの小説で知られ、母子家庭の孤独や、混とんとした世界を描く手腕に定評がある作家です。
敗戦後の世界を舞台にしたジャングル・ブック的小説とされる、『笑いオオカミ』という作品は今なお根強い人気作。
津島佑子『笑いオオカミ』
敗戦後の混乱期に母親を知らない少年と父親を知らない少女が列車で旅をするのだが、想像を絶する困難が待ち受けている。
冒頭の日本オオカミが絶滅した経緯は何を暗示しているのだろうか。
人間の生を鋭く見つめ博愛主義を貫いた津島さんらしい力作に、感動が残りました。 pic.twitter.com/NZklqigWtk— 風音 (@kazaneyume) August 26, 2018
混乱の時代に旅をする少年と少女を描いたこの作品は、生命の力強さも感じさせ、津島文学の中でも名作と言えるでしょう。
太宰の文才を受け継いでいるとはいえ、その壮大な世界観で知られる作品群は、退廃的な父のそれとはかなり異なっています。
どちらかと言えば彼女の作品には、頼りない夫を支え、その死後は女手一つで子供を育てた美知子の生き方が影響しているのかもしれませんね。
津島美知子の性格は?
では美知子は、具体的にどんな性格だったのでしょうか。
『回想の太宰治』の冒頭で彼女は、太宰という人間と結婚したのではなく、「芸術家と結婚した」と述べています。
生活能力がなく、駄々っ子のような一面もある太宰の身勝手さを、結婚前から悟っていたことがわかりますね。
女学校の教師時代の美知子を知る元同僚は、「感情を表に出さない、完璧な教師」と評しており、厳格な性格だったことがわかります。
女学校では舎監を務めてもいたので、もしかすると怖い先生として恐れている生徒もいたかもしれません。
美知子のように物事を完璧に管理ができる女性でないと、太宰を支えることは不可能だったのでしょう。
事実、結婚して三鷹に移り住んでからの太宰は、それまで起こしてきた心中未遂などのスキャンダルから遠ざかり平穏に暮らしていました。
結果的には愛人と心中してしまうものの、約10年間の結婚生活は、最も精神的に安定していた時期だったのです。
美知子が辛抱強く、太宰の創作を支えていたことがわかりますね。
太宰は遺書で美知子をいちばん愛していたとつづっており、身勝手な振る舞いをしつつも、内心は感謝していたのでしょう。
今回は太宰治の妻・津島美知子についてご紹介しました。
太宰文学は美知子という存在がなくては成立せず、太宰の力だけでできあがったものでないと言っても過言ではないのでしょう。
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