執筆活動を10年以上続けた末に、小説家をあきらめる思いで書いた『食堂かたつむり』がベストセラーになった小川糸(おがわいと)さん。
年の差婚をした夫との離婚の噂が流れていますが、はたして本当なのでしょうか。
インタビューで時おり触れる母との関係や母の死による心境の変化、また姉など家族についてみていきます。
小川糸が音楽プロデューサーの夫と離婚?
2008年の小説家デビュー作『食堂かたつむり』が若い女性の支持を受け、一躍脚光をあびた小川糸さん。
同作はのちに柴咲コウさんの主演により映画化されただけでなく、イタリアの文学賞であるバンカレッラ賞の料理部門賞やフランスのウジェニー・ブラジエ小説賞を受賞しました。
以降、『つるかめ助産院』『ツバキ文具店』はドラマ化され、『ライオンのおやつ』は 2020年の本屋大賞第2位に。
ご本人の穏やかな雰囲気からはイメージしにくいですが、念願の小説家デビューを果たすまでは波瀾万丈だったようです。
清泉女子大学卒業後に就職した会社は「本の世界にいたい」という理由で数か月で退職。
編集プロダクションでライターの仕事をはじめるものの、すぐに休刊となりリストラの憂き目に。
この時、住む部屋を失った小川さんが段ボール箱ひとつで移り住んだのが彼氏のところでした。
この男性がのちに夫となる水谷公生さんです。
水谷さんは多くのアーティストの作曲・編曲を手がけてきた音楽プロデューサーで、26歳年上。
出会ったのは小川さんが大学生の時で、水谷さんはバツイチの47歳でした。
二人は2000年に結婚し、夫の長年の盟友である浜田省吾さんとともにFairlifeを結成。
2016年のインタビューでは、いつまでも音楽が好きで子供のような心を失わない夫に惹かれていることや、仕事に対する姿勢を尊敬していることなどを語っていた小川糸さん。
ところが最近になって、ネット上に「小川さんは離婚したの?」という声がみられますね。
ご本人が雑誌の記事やその他の媒体で離婚したことに触れていたという情報があるのですが、残念ながら、これらの記事を確認することができません。
今のところニュースにはなっていないようなので、ファンとしてはよけいに気になりますね。
もしこの話が事実だとすれば、離婚は本当のことになりそうです。
【1階】先程、作家の小川糸さんがご来店くださいました!最新刊エッセイ『針と糸』と文庫『ツバキ文具店』『ツバキ文具店の鎌倉案内』のサイン本を作成してくださいました!数に限りがございます、お早めにどうぞ! #小川糸 #クリスマスに本を贈ろう pic.twitter.com/6QXQSwOC0p
— 八重洲ブックセンター本店 (@yaesu_honten) December 2, 2018
📚読了📚
小川糸「食堂かたつむり」大切ないのちを、いただきます。
死を、むだにしてはだめでしょう。#読了#小川糸さん#食堂かたつむり#読書好きな人と繋がりたい pic.twitter.com/8xCkgunqP1— 濱南くにひろ (@ck0WuX9v4CCv0RW) July 13, 2020
小川糸と母の確執、家族に姉が二人
小川糸さんは1973年に山形県山形市に生まれ、高校卒業まで同地で過ごしました。
実家では両親と姉二人、祖母の六人家族。
やがて大学進学のために上京するわけですが、「二人の姉もそんな感じで、自然な流れだった」と話しているので、姉たちも東京の大学に進学した可能性があります。
泊まりのある仕事をしていた母親とは、幼い頃からうまくいっていなかったようです。
それは大人になっても変わらず、ずっと距離をおいて接してきたとのこと。
母親はとても厳格で、子供に対して支配的なところがあったようですね。
たとえば、まだ幼稚園児の小川さんに小学生用のドリルを解かせ、解けないと責めたり、子供へのクリスマスプレゼントにのし袋入りの1万円札を用意したり。
小川さんは子供心に違和感を感じていたようで、母親との関係がつらく、物語の世界に逃避するようになりました。
早く大人になって自立することばかりを考えていたという小川糸さん。
#小川糸 さん
新作図書館で予約したら
35番目でした😀やはり大人気#Fairlife の詩の世界も好きです
また、読ませてもらって
ものがたりが気に行ったら購入したいと思います😀 pic.twitter.com/CIn99EDu3j— くー (@kuu__koo) November 16, 2020
3年間のベルリン生活を終えたばかりの小川さんですが、ベルリンに渡った理由のひとつは、日本よりも自由に、自然体で生きられると思ったからだそう。
自由に対する意識が高いのは、幼少時から母親との関係に苦しみ、自由を欲していたからなのかもしれません。
母の死で変わったこと
大人になってからも母を理解して受け入れることはできず、「お互いのため」と思って連絡も断っていました。
その母が数年ぶりに電話をかけてきて、余命1年の宣告を受けたことを告げました。
あれほど高圧的で、子供にとって強い存在であり続けようとした母が、「死ぬのがこわい」と弱々しく怯えていたそうです。
母との闘いに苦しんでいた頃は、ひどい母親としか思えなかったという小川糸さん。
母の死で、目に見えないへその緒のようなものが切れ、それと同時に、負の側面ばかりを見ていたことに気づいたと述べています。
今では母の愛情を感じており、過去のつらい時期が小説を書く原動力になっていると思えるようになったのだそう。
人の死は喪失感や悲しみを伴いますが、物ごとのとらえ方を反転させるきっかけにもなることに改めて気づかされます。
世の中には確かに支配的な母親もいますが、彼女たちにしてみれば、自分なりの母親の役割を懸命に務めているだけなのかもしれません。
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