太田治子の娘・万里子。津島佑子との関係。夫は? 生い立ちを解説

太宰治が愛人との間にもうけた娘である、作家の太田治子(おおた はるこ)さん。

名前の一字は太宰の本名である、修治から取ったとされています。

瀬戸内寂聴さんに勧められ、『手記』を執筆し、高く評価されてました。

母について書いた『心映えの記』では、直木賞候補にもなっており、父の文才は確かに継いでいるようです。

今回はそんな太田さんを軸に、娘の万里子さんの情報、作家・津島佑子さんとの関係について追ってみたいと思います。

さらに夫の情報と、生い立ちについても確認していきましょう。

太田治子のプロフィール

本名:太田治子

生年月日:1947年11月12日

身長:不明

出身地:神奈川県小田原市

最終学歴:明治学院大学文学部英文学科

太田治子の娘・万里子について

まずは太田さんの娘である万里子さんについて見ていきましょう。

太田さんは母である静子さんの看病のため、結婚したとき既に30代の半ばを過ぎていました。


太宰治と愛人だった母との間に生まれ、不実な関係によってできた子供とされたものの、母が寮母として懸命に働いたおかげで恵まれた幼少期だったようです。

出生に関する暗い背景のため、また肝臓がんの母を看取るため、30代までは未婚を貫いた太田さん。

ただ良いご縁があれば結婚しようという気持ちはあったようで、それは母子2人の希望でもありました。

しかし母が推薦してくれた好青年は、本を一冊も持っていなかったため、治子さんとしては不満だったそうです。

結局、母が娘の結婚相手を知ることはありませんでした。

母の死後、知人編集者の紹介で出会った男性と結婚し、娘・万里子さんをもうけましたが間もなく離婚。

その後は母と同じように、女手一つで万里子さんを育てたそうです。

「マリコ」という名前は母である静子さんが、かつて暴力的だった夫との間にもうけ、すぐに亡くなった娘・満里子さんにちなんでいると言われています。

万里子さんは非常にボーイッシュで、小学校時代から自分で髪を切り、バンカラ学生風のスタイルだったそうです。

そんな風では就職できないと心配する治子さんのことを気にも留めず、そのスタイルを貫いていました。

現在の詳細はわかりませんが、我が道を行くタイプの女性であることは確かでしょう。

津島佑子との関係

次に太田さんと作家の津島佑子さんとの関係を見ていきましょう。

津島さんは太宰の正妻の娘で、『ヤマネコ・ドーム』などの独特な世界観で知られる小説家です。

太宰の愛人の娘である太田さんとは、腹違いの姉妹ということになります。

1947年生まれの同い年である2人。

複雑な関係にもかかわらず、大学生のころには何度か交流を重ねていたそうです。

津島さんは気さくな性格だったようで、また父の記憶もなかったからこそ、愛人の娘である太田さんとも友情を築けたのかもしれませんね。

太田治子の夫は?

次に太田さんの夫について見ていきましょう。

詳しい情報はありませんでしたが、編集者の知り合いから紹介されたということなので、出版業界の男性だった可能性もありそうです。

気立ての良い人だったそうですが、すぐに離婚しているので、太田さんはあまり男性と付き合うこと自体が得意ではなかったのかもしれません。

太田治子の生い立ち

ではここから、太田さん自身の生い立ちをまとめてみましょう。

太田さんが1歳のとき、父である太宰が玉川上水で心中自殺をしますので、彼の記憶はありません。

その後は母とその兄弟から支援されながら育ち、私立青葉女子学園高等学校を卒業後は、明治学院大学で英文学を学びました。

かねてから作家に憧れていたようで、小説を書くという条件のもと就職はせず、大学卒業後は母の仕事の手伝いや鉄道雑誌の記事執筆をしていたそうです。

今で言うフリーター的生活を送りながら、一時期は声優を目指し、東京放送劇団の声優だった巖金四郎(いわお きんしろう)さんから朗読レッスンを受けました。

しかしプロ声優の道は険しく断念しています。

1967年、紀行文「津軽」で婦人公論読者賞を受賞。

それから刊行された『手記』は、吉永小百合さん主演で映画化もされ、太田さんは作家として活動を本格化させました。

NHKの「日曜美術館」に3年間レギュラー出演するなど、美術への造詣も深く、美術関連の書籍でも知られています。

若いころは自分探しをしていた時期もありましたが、結果的に戻ってきたのは文章の世界。

しかし「太宰の娘」ではなく、あくまでも「作家・太田治子」という独自路線を貫いている人生と言えるかもしれません。


近年は太宰の戦争責任に触れ、身内でありながら客観的に太宰という作家を分析していることからも、「太宰の娘」を脱却したいという思いがうかがえるのではないでしょうか。

父の文才を受け継ぎながら、独自の方向を見据えて活動する現代作家なのでしょう。

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