演技派女優として数々の作品で活躍する大谷直子(おおたになおこ)さん。
その血は確実に子供にも引き継がれているようです。
大谷直子のプロフィール
生年月日: 1950年4月3日
身長: 154cm
血液型: A型
出身地: 東京都足立区
最終学歴: 東京都立赤羽商業高等学校
所属事務所: フロム・ファーストプロダクション
大谷直子の娘は女優として活動した華子
大谷直子さんの娘、華子さんは、かつて女優として活動していました。
清水絋治さんと大谷直子さんの娘・華子さん
パパ遺伝子をママ遺伝子がまろやかにしてる感じですね pic.twitter.com/ecI6nfndI2— あわぬこ(サブ垢) (@awanuko2023) September 28, 2016
ただ、親の力で芸能界デビューしたありがちな二世タレントではありません。
原宿でスカウトされた華子さんですが両親が芸能人という事は明かさず。
そして大谷直子さんが芸能界入りに賛成ではなかった事から父親の「清水」姓を取り「清水華子」としてデビューしているんです。
その後も両親が芸能人である事は明かす事なく、女優として活動。
そして2013年に大谷直子さんが日本映画プロフェッショナル大賞を受賞した際に代理として出席。
この時に初めて娘である事を明かし話題となりました。
それ以降も幅広い活躍をみせた華子さんですが2017年に一般人の男性と結婚し、2019年に男の子を出産。
女優業と育児の両立は難しいとして女優としての活動を無期限休止しています。
引退ではなく休止という事から子育てが一段落したら再び女優業を再開するのでしょうね。
復帰後には大谷直子さんとの親子共演を是非とも見てみたいものです。
親子関係を公表後は活動を応援
前述のとおり、華子さんの芸能活動には難色を示していたという大谷さん。
子供が芸能界に入りたがっていることを知り、反対する芸能人の話はときどき聞くものです。
大谷さんがどんな理由で反対していたかは不明ですが、役者として長く活動してきたからこそ、ネガティブな部分もたくさん知っていることは想像できます。
自分と同じ苦労をさせたくない思いから、「もっと普通の仕事を」と考えたのかもしれません。
親が芸能人だからといって成功するとは限りませんし、その気持ちもわかります。
嫌な事件がたびたび話題になるのも事実ですしね。
「親は元芸能人で
ずっと芸能界入りを反対していて…」
という内容の記事をチラ見したマトモな親だな😐
という感想芸能の闇を知ったから
自分の子供は入れたくなかったんだろう…— ゆかこなだ (@yu5ca7da) October 24, 2022
ですが、本音を押さえつけたまま何十年も望まぬ仕事を続けると考えれば、どうでしょうか。
一度きりの人生、ひどく後悔したまま終わるようなことには、なってほしくないものです。
なかなか難しい問題ですよね。
親子の関係を公表してからは、娘を激励することもあったという大谷さん。
気持ちの変化があったのは、華子さんが芸能の仕事をどれだけ真剣に考えているのか、わかったからなのかもしれません。
ただ、華子さんはプレッシャーも感じていたようです。
公表したことにより、いろいろなものに対しての責任やプレッシャーなどもあります。
変わらなくてはいけないこと、守らなきゃいけないもの。変わっていくもの。変わりたくないこと。
今までもそうでしたが、これからはもっと責任をもっていかなくてはいけません。
活動再開がいつになるかはわかりませんが、母親に認められた華子さんの今後に、要注目ですね。
休止中の様子は公表していない
華子さんのSNSは、活動休止に入ってから更新されなくなりました。
そのため、表に出てくる情報はほぼゼロ。
華子さんの最新の姿を見ることもできません。
Twitterやブログを楽しみにチェックしていた人は、少し寂しい思いをしているかもしれませんね。
とはいえ、育児や家事に全力を注いでいるからこそ、情報発信がないとも考えられます。
家族を大事にする気持ちが強いというのは、素晴らしいことですよね。
それに前述のとおり、「引退」と発表したのは、復帰の意思があるからと思われます。
どんどん更新するのは復帰後ということにして、とにかく今やるべきことに集中しているのかもしれません。
息子を妊娠中にヌード撮影の過去
2人の夫との間に3人の子供がいる大谷直子さん。
ですが、華子さん以外の子供については詳細な情報がありません。
そのため芸能界とは異なる世界に進んでいるようです。
両親が芸能人という事で安易に芸能界に進む二世タレントが増えてきます。
そんな中で芸能界に進まない決断をした子供達。
きっと大谷直子さんが堅実な生き方をするような教育をしていたのでしょうね。
ただ、過去に大谷直子さんは息子と一緒にヌード撮影をしているんです。
といってもその写真集は息子を妊娠中に撮影したもの。
妊娠2か月から8か月の間にかけて撮影された1981年の「直子 – 受胎告知」。
最近でこそ妊婦姿を写真に残す人が増えてきています。
ですが、当時は決して一般的な事ではありませんでした。
それだけに大谷直子さんのこの写真集は一大センセーションを巻き起こす事となりました。
そして写真集を発売した年の5月に帝王切開で息子を出産。
大谷直子さんと息子にとっても非常に思い出深い写真集となった事は間違いないでしょう。
ただ、成長した息子にしてみたら気恥ずかしい感じもしてしまいそうですね。
夫だった清水紘治は憧れの人物だった
松山政路さんと離婚した後、1979年に清水紘治さんと再婚した大谷直子さん。
再婚した当時、大谷直子さんは既に売れっ子女優。
一方の清水紘治さんは世間的な知名度は決して高いとは言えない俳優でした。
ただ、俳優座養成所を経て文学座の研究生に。
その後は「自由劇場」や「黒色テント」を旗揚げするなど演劇界では知る人ぞ知る存在でした。
ですがテレビで活躍する俳優に比べると収入が少ないのも事実。
そのため、大谷直子さんに送った婚約指輪は時計の部品を再利用したもの。
知り合いが作ってくれたこともあり、その費用は3000円。
このエピソードだけでも清水紘治さんが如何に余裕のない生活を送っていたかが分かりますよね。
大谷直子さんにはもっと裕福な男性からもアプローチがあったはず。
それにも関わらずなぜ、清水紘治さんと再婚したのか。
その理由は非常に単純。
清水紘治さんは大谷直子さんの憧れの男性だったんです。
1968年のドラマ「三人の母」で共演していた二人。
当時、大谷直子さんはまだ高校生だった事から撮影の空き時間に宿題をする事もあったそうです。
その際に色々と気遣いをしてくれたのが清水紘治さん。
そして自然と「頼りになるお兄さん」として憧れの気持ちが芽生えたようです。
その後、共演する機会が無かった二人ですが10年後に偶然にも街で再会。
これをきっかけとなり交際が始まったんだとか。
憧れの男性と偶然再会して交際するなんて、まるでドラマか映画みたいですよね。
これで離婚する事が無ければハッピーエンドだったのですが。
大谷直子の経歴まとめ
「信子とおばあちゃん」、「天城越え」等の名作で知られる大谷直子さん。
高校在学中に友人が勝手に写真を送った事で映画のヒロイン役でのデビューが決定。
ただ、芸能界には興味が無かった事から「この映画だけ」と出演を決意。
ですが当時から大谷直子さんには多くの人を惹きつける何かがあったのでしょう。
その映画の演技がNHKのドラマ制作者の目を引いた事で朝ドラのヒロインに大抜擢。
こうして出演したのが「信子とおばあちゃん」。
朝ドラ好きと言われた昭和天皇もお気に入りだったという同ドラマ。
平均視聴率は37.8%で最高視聴率は驚異の46.8%。
このドラマがきっかけとなり一躍、国民的ヒロインとして注目を集める存在に。
その後も数々の話題作に出演し、多くの映画賞を受賞。
こうして名実ともにトップ女優の仲間入りを果たした大谷直子さん。
その一方で私生活は波乱の連続。
1971年に俳優の松山政路さんと結婚し女の子を出産。
ところが近藤洋介さんとの不倫が原因となり1974年に離婚。
それから5年後の1979年に俳優の清水紘治さんと再婚。
そして2人の子供が生まれ、計3人の子供の母に。
今度こそ私生活でも幸せをつかんだと思いきや、今度は清水紘治さんの借金が原因となり1994年に離婚。
更には2007年に悪性リンパ腫を発症し、女優業を休止せざるを得ない状況に陥ってしまいます。
一時は余命3か月の宣告をされるも奇跡的な回復を見せ女優業を再開しました。
2024年現在は女優としての活動を休んでおり、新たな出演作が話題になることはありません。
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