歌舞伎役者として人間国宝となっただけでなく、映画作品にも多く出演した名優・二代目中村鴈治郎(なかむら がんじろう)。
黒澤明監督の『どん底』、小津安二郎監督の『浮草』など名作映画に出演し、歌舞伎に関心のない人々にも高く評価されました。
今回は鴈治郎について、中村玉緒さんとの関係、家系図、娘と息子の情報を見ていきます。
二代目中村鴈治郎のプロフィール
本名:林好雄
生年月日:1902年2月17日
死没:1983年4月13日
身長:不明
出身地:大阪府
二代目中村鴈治郎と中村玉緒の関係
まずは二代目中村鴈治郎と中村玉緒さんの関係を見ていきます。
今では知る人は多くありませんが、玉緒さんは鴈治郎の実の娘です。
#家族写真の日
近代映画 昭和32年4月号「先代は呉服屋でした!~扇雀一家の家族会議」より/中村玉緒さん、中村扇雀さん(二代目)、中村鴈治郎さん(二代目)、夫人 pic.twitter.com/h0Iqsjc3dt— 島倉千代菊 (@wataridori333) October 23, 2021
1939年に京都府で生まれ、大映映画に多く出演していた父の影響もあったためか、映画界を志します。
1953年に松竹映画『景子と雪江』にて映画初出演を果たしたものの、継続的な仕事はありませんでした。
しかし大映の重役だったスター俳優・長谷川一夫のツテで、1954年に大映に入社できました。
玉緒さんは長谷川にとって、義理の姪にあたります。
名家の血筋らしくハイヤーで撮影所へ通った玉緒さんですが、担当したのは脇役のみでした。
しかし確かな演技力で活躍し、70年代にテレビの時代になっても、ドラマで脇役を演じ続け長いキャリアを築きます。
バラエティ番組にも進出し、お茶の間の人気者となりました。
芸域の広いことで知られた脇役俳優の父の才能を、確実に受け継いでいたといえます。
美貌には寿命があるため、主役スターは引退する場合が多いものです。
しかし玉緒さんが脇役として長く活躍できたのも、父親似の庶民派だったからこそでしょう。
父の楽屋に幼い頃から出入りして、市川雷蔵とも交流があった玉緒さん。
上質な芸を自然と身に着けながら育ったのでしょう。
溺愛しつつも舞台では厳格
鴈治郎は、愛娘の玉緒さんを非常に可愛がっていたのだとか。
玉緒さんも、父親について「大好き」と発言したことがあります。
いつも優しく接してくれたことが、ずっと思い出に残っているのかもしれません。
それだけ溺愛していたとなると、結婚したときは寂しさを感じていたのでしょうね。
女性自身 昭和37年3月19日号『ある花嫁の父』/「3月7日、あるカップルが華やかな結婚式を挙げた。…勝新太郎、中村玉緒。その喜びの陰で、秘かに感情を押しかくしている人-。花嫁の父。嫁ぎゆく娘をいとおしげに見まもる中村鴈治郎の顔には、嬉しさと寂しさが複雑にまじり合っていた」(記事本文より) pic.twitter.com/KEkkoMpbQh
— 島倉千代菊 (@wataridori333) October 26, 2019
しかし、鴈治郎はただ優しいだけの父親でもなかったようです。
舞台に立った幼い玉緒さんが、うまく演技できなかったとき、鴈治郎は普段と違った厳しい態度を見せたそうです。
『奥州安達原・袖萩祭文』での親子共演は、三味線の撥で叩かれながら稽古をしたのだとか。
現代では体罰と批判されるやり方ですが、当時は疑問を感じる人も少なかったと思われます。
よほど厳しかったのか、まだ幼い玉緒さんは、芝居をやめたいと思ったそうです。
子供だった玉緒さんは、少し加減してもらえたと思いたいですね。
とはいえ、ショックは大きかったでしょう。
いつもは可愛がってくれるだけに、撥で叩かれる稽古は、とてもつらく苦しい時間だったことが想像できます。
玉緒さんがやめたくなるのも無理はありません。
ですが、このエピソードからは、芝居に対する鴈治郎の真剣さが伝わってきます。
愛娘が相手でも、芝居に手を抜くことだけはできなかったのではないでしょうか。
それに、鴈治郎はただ感情的に殴るのではなく、愛情をもって叱っていたとも考えられます。
父親の殴打がただの暴行ではなかったからこそ、後年の玉緒さんは「大好き」と言えたのかもしれませんね。
子供を歌舞伎役者にしたかった?
基本的には娘を可愛がっていた鴈治郎ですが、ときどき「玉緒が男ならよかった」と言うこともあったそうです。
その理由は、女性である玉緒さんが歌舞伎役者になれないから。
もし男だったら、歌舞伎の世界で活躍してほしかったのでしょう。
そんな風に考えたのは、玉緒さんの芝居がどんどん上達していったからかもしれません。
玉緒さんが過去のインタビューで語ったところによると、鴈治郎は娘に役者の才能を見出していたのだとか。
できないところを厳しく指導しながらも、光るものを感じていたのでしょうね。
演技を認めてくれたからこその「男なら」という発言であれば、玉緒さんは嬉しかったのかもしれませんね。
二代目中村鴈治郎の家系図まとめ
次に二代目中村鴈治郎の家系図をまとめます。
父は華のある芸で知られた名優・初代中村鴈治郎。
兄は二代目林又一郎で、「中村鴈治郎」の名跡は弟に譲り、長男にもかかわらず地味な存在に徹しました。
確かな表現力がありながら、謙虚な性格だったことがうかがえます。
女優の北見禮子(きたみ れいこ)と結婚し、もうけた息子は歌舞伎役者の林敏夫。
敏夫は太平洋戦争で戦死してしまいますが、その息子である林与一さんは俳優として活躍し、2024年現在も健在です。
昨日は、テレビの取材で、着物でした・・・ pic.twitter.com/9esiBOu8Tl
— 林与一 (@Yoichi_2_14_) February 16, 2024
また鴈治郎の妹たみの夫が長谷川一夫です。
さらに長女の玉緒さんは勝新太郎さんと結婚したので、勝さんは鴈治郎の娘婿ということになります。
多くの芸能人が混在する、華やかな家系図でしたね。
二代目中村鴈治郎の娘と息子
最後に二代目中村鴈治郎の娘と息子の情報を見ていきます。
娘は中村玉緒さんの情報のみなので、一人娘だったのでしょう。
しかし歌舞伎の世界では息子の存在が重要です。
鴈治郎にも息子がおり、立派な跡取りになっています。
息子は1931年に生まれ、2020年に亡くなった四代目坂田藤十郎さん。
玉緒さんの兄にあたります。
また、日本舞踊雁音(かりがね)流の家元・雁音歌扇(かりがね かせん)としても活躍しました。
二代目中村扇雀を名乗っていた時期に、宝塚の娘役スターだった扇千景さんと結婚しています。
90年に三代目中村鴈治郎を襲名し、94年には人間国宝となりました。
『曽根崎心中』のお初役は特に高く評価され、2005年に四代目坂田藤十郎を襲名する際にも演じています。
父と同じく映画でも活躍しますが、あくまで歌舞伎関連の映像化作品をメインに出演していた印象がある藤十郎さん。
父のように歌舞伎界から遠ざかりはせず、あくまで歌舞伎役者として、上方歌舞伎の復興に力を注いだ生涯だったといえます。
中村鴈治郎という名の重荷を脈々と受け渡しながら、中村家は今後も発展を遂げていくことでしょう。
歌舞伎のみならず、芸能界全体に鴈治郎の名を知らしめたのは、積極的に映像作品に出演した二代目の大きな業績といえます。
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