篠山紀信、前妻との対立。妻・南沙織との結婚&息子・輝信とのエピソード

山口百恵さんら、数多くの芸能人を撮影してきたことで知られる写真家・篠山紀信(しのやま きしん)さん。

ジョンレノンの最後のアルバム『ダブルファンタジー』の、レノンとオノヨーコが写るジャケット写真を撮影したことでも有名です。

今回は日本を代表する写真家である紀信さんの結婚歴を見てみましょう。

前妻、妻・南沙織さんについてご紹介し、結婚歴をまとめます。

また息子の篠山輝信さんについても見ていきます。

篠山紀信のプロフィール

本名:篠山紀信(しのやま みちのぶ)

生年月日:1940年12月3日

没年月日:2024年1月4日(83歳没)

出身地:東京都新宿区北新宿

最終学歴:東京綜合写真専門学校

篠山紀信、前妻との対立関係

まずは紀信さんの前妻をご紹介します。

紀信さんが最初に結婚したのは1971年。

雑誌「明星」の表紙担当として、山口百恵さんや桜田淳子さんなど、トップアイドルの撮影カメラマンを務めていた時期です。


一方でリオのカーニバルを被写体とした『オレレ・オララ』を発表するなど、幅広い写真ジャンルを開拓し、時代の寵児となっていました。

ノリに乗った紀信さんと結婚したのは、当時トップモデルだったジューン・アダムスさんです。

ハーフの美人モデルとして活躍していましたが、結婚後は引退し、専業主婦になったようでした。

紀信さんは76年、『決闘写真論』の連載9回目に、「妻」をテーマとしてジューンさんを撮影した写真を掲載。

しかし妻を撮影した翌月の2月に離婚しました。

「決闘」をテーマにした写真集に妻を配した時点で、2人が冷え切った対立関係にあったことがうかがえます。

それでも味気ない書面上の離婚で済ませようとせず、悪化した夫婦関係をも作品に昇華させようとしたのかもしれません。

ジューンさんは離婚後、実業家の塚本啓一さんと再婚。

その後は塚本ジューンとして、渋谷や六本木など一等地で複数のカフェバーやディスコを経営しています。

事業の才能があったため、バブル景気で映画に出資する経営者が多かった80年代には、映画製作に進出。

勝新太郎さん監督・主演の1989年公開『座頭市』で、制作者として名を連ねました。

偉大な芸術家である紀信さんという存在の陰に隠れ、彼を支えるだけの人生では収まりきらない女性だったのでしょう。

常に自分のこだわりを優先し、何らかの活動をし続けたい夫婦同士では、私生活が破綻してしまってもおかしくないですね。


だからこそジューンさんは、紀信さんと別れたことで、ようやく自分らしく飛翔できる環境を手に入れたのかもしれません。

現役時代の元妻はすごい人気だった

ジューンさんといえば、深夜番組『11PM』での活躍を思い出す人も多いかもしれません。

同番組のカバーガールとして出演し、多くの男性を魅了していたジューンさん。

高い人気が伝わってくる噂も存在します。

カバーガールのオーディションを受けた際、審査員全員の満場一致で合格した話があるようです。

全員が推したというのは、すごいことですね。

それだけ、ジューンさんが魅力的だったということでしょう。

こうした大人気エピソードは、カバーガールの起用が終わったときにも生まれたのだとか。

もうジューンさんが見られないと知った多くのファンが、番組に電話をかけ、「もっと出せ」と抗議したというのです。

その話が事実なら、ジューンさんを求める視聴者はとても多かったんですね。

熱心なファンの中には、起用終了による大きな喪失感で、ショックを受けた人もいるのかもしれません。

こうしたエピソードを持つ女性と、かつては結婚していた篠山さん。


大人気モデルが奥さんになったわけですから、「羨ましい」と感じる男性は多かったでしょうね。

そしてやはり、結婚のニュースで落ち込む人もいたのではないでしょうか。

自分が結婚したいほど夢中になったとしても、誰もが芸能人と結婚できるわけではありません。

最終的には離婚したものの、ジューンさんの夫だった時期がある篠山さんを、「すごい幸せ者」と思う人も多いのかもしれません。

馴れ初めには仕事が関係している?

ものすごい人気だったジューンさんのハートを、一度は見事に射止めた篠山さん。

馴れ初めが気になるところですが、2人とも詳しい話を披露したことはないようです。

そのため確かな情報はありませんが、仕事を通して出会った可能性はあるでしょう。

篠山さんは写真家で、ジューンさんはモデル。

それぞれの職業を考慮すれば、出会う機会はありそうです。

まず仕事で対面した2人は、何らかのきっかけがあり、交際を始めたのかもしれませんね。

妻・南沙織との結婚

離婚から3年後の79年、38歳だった紀信さんは、24歳の元歌手・南沙織さんと再婚。

沖縄出身で歌手を志し上京、デビュー曲『17才』で日本レコード大賞新人賞を受賞した人気歌手でした。

75年には『人恋しくて』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞するなど、順調にキャリアを積んでいます。

1978年1月には、資生堂のコマーシャルソングに起用され、発表した『春の予感 -I’ve been mellow-』は大ヒットしました。

しかし人気絶頂の最中、24歳の誕生日である1978年7月2日、在学していた上智大学での学業を優先するため引退を表明。


同年10月7日、「さよならコンサート」を行い、芸能界から退きました。

紀信さんと交際を始めたのは引退後だそうですが、引退からわずか1年後に結婚しています。

したがって仕事を通しての交流を通して、以前からお互い惹かれ合っていた可能性は高いでしょう。

南さんには結婚願望があり、落ち着いて愛を育める環境を整えたいという思いから、引退を決意したのかもしれません。

91年にはNHK紅白歌合戦に登場し、一時期、歌手活動を再開。

しかしあくまで家庭を優先し、無理のない範囲での活動にとどめています。

3人の息子にも恵まれた南さん。

紀信さんにとっても、美しいだけでなく、きちんと家庭を支えてくれる理想の伴侶だったのでしょう。

息子・輝信との関係

最後に紀信さんの息子、輝信さんについて見ていきます。

1983年生まれの輝信さんは次男で、高校時代に出演した英語劇で芝居に目覚めました。

2006年に俳優デビューし、『ダンドリ。~Dance☆Drill~』などのドラマに出演。

NHK番組「あさイチ」ではリポーターを務め人気を獲得しました。

同番組内で交流のあった雨宮萌果アナウンサーと、2019年に結婚もしています。

輝きに満ちた大きな瞳がチャーミングで、母親譲りの美しい顔立ちが特徴的な輝信さん。

俳優というよりは、タレントとしての活動が多く、お茶の間でも認知度が高いでしょう。

しかし篠山紀信の息子として知っている人は少ないかもしれませんね。

父からは「3人の息子は誰も写真家になろうとしない。だが、なるとしたらお前だ」と言われたそうです。

兄弟の中で最も表現力があると、偉大な父に認めてもらえたのだから、嬉しかったことでしょう。


道は違っていても、日本を代表する写真家に認められた誇りを胸に、活動を続けていたものと思われます。

カリスマ写真家は自分を支えてくれる家族にも恵まれ、幸福な生活を送っていたのでしょう。

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