穂村弘、妻と結婚のきっかけは緑内障。会社ではエンジニア、東直子との関係

ニューウェーブ短歌運動の第一人者として、現代短歌を精力的に発表してきた穂村弘(ほむら ひろし)さん。

歌人のみならず、エッセイストや翻訳家としての顔も持ちます。

今回は穂村さんの結婚、妻の詳細を見ていきましょう。

さらに緑内障という噂、会社員時代、東直子さんとの関係にも迫ります。

穂村弘のプロフィール


本名:辻一朗

生年月日:1962年5月21日

身長:不明

出身地:北海道札幌市、神奈川県横浜市、愛知県名古屋市

最終学歴:上智大学文学部英文学科

穂村弘の妻と子供について

まず穂村さんの結婚、妻を見ていきます。

2005年、42歳の時に山の上ホテルで挙式したそうです。

妻は一般人で情報がないものの、晩婚だったためか子供はいないことがわかっています。

繊細な感受性の持ち主である穂村さんを、妻は献身的に支えてきたようです。

子供がいない分、お互いを尊重し合い、思いやる余裕があるのかもしれませんね。

穂村弘は緑内障がきっかけで結婚

次に穂村さんが緑内障という噂を見ていきます。

穂村さんが緑内障になったのは、会社員と歌人の二足の草鞋を続けていた時期でした。

緑内障は今の所、失明までの進行を遅らせる以外に治療方法のない病気です。

視野がどんどん狭くなり、最後は失明する、現代人は多くが患っている不治の病といえます。

穂村さんは、このままでは失明するという恐怖心もあって、その前に大好きな文章を書く活動に専念しようと会社を退職。

さらに結婚のきっかけも緑内障だったそうです。

付き合っていた女性に、将来失明するだろうと明かした穂村さん。

すると彼女は「だったら結婚しようよ」と言ってくれたので入籍したそうです。

頼もしく、心優しい奥さんであることがうかがえるエピソードですね。

穂村さんは点眼で眼圧を下げる治療を受け続け、進行を遅らせているそうです。

命の寿命と目の寿命の時期が合えば、生涯失明せずに済むのが緑内障。

しかしタイミングがずれただけで、白杖をついて晩年を過ごさなければなりません。

規則正しい食生活や運動を心掛けることと、まばたきを積極的に行い、目をいたわることが重要だそうです。

しかし穂村さんは緑内障をきっかけに結婚し、文筆業に専念する覚悟もできたのですから、災いが福に転じたといえそうですね。

穂村弘の会社員時代

次に穂村さんの会社員時代を見ていきましょう。

上智大学卒業後、具体的な会社名はわかりませんが、一度就職しています。

当初はシステムエンジニアになっているため、IT企業であることは確かでしょう。

その後は総務課に異動になりましたが、同じ会社に約17年勤めたようです。

40代で退職した理由は、先述の通り緑内障をきっかけに、好きなことをやっていきたいと考えたため。


1990年に歌集『シンジケート』でデビューし、会社員時代から歌人として知られていた穂村さん。

実績とつながりがあるため、文筆で食べて行く自信はあったのでしょう。

また子供もいないので、好きなことをやりながら暮らしていくことは可能だったのかもしれませんね。

穂村弘と東直子の関係

最後に穂村さんと東直子さんの関係を見ていきます。

2人は同じ歌人結社「かばん」の同人でした。

『草かんむりの訪問者』で歌壇賞を受賞するなど、現代短歌を代表する歌人です。

短歌以外にも『長崎くんの指』などの小説で評価される他、ミュージカルの脚本、イラストの製作など幅広く活躍しています。

穂村さんと東さんは、『回転ドアは、順番に』や『しびれる短歌』という共著を発表するなど仲が良いです。

恋愛や食事など、日常に根差した短歌を詠う印象のある東さんの作品を、穂村さんも高く評価しています。

日常の風景を切り取りながら、時にハッとさせられる作品が多いのは、2人の共通点といえそうです。


同じ「かばん」の同人として、影響を受け合いながら創作に励んできたのかもしれませんね。

病気を契機に生き方を見直して以来、存分に短歌や文筆に励み、充実した人生を送っているのでしょう。

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