欽ちゃんファミリーの中で突出したアイドル性を持ち、数多くの人気バラエティ番組に出演してきた風見しんご(かざみしんご)さん。
幼い長女と長男を相次いで亡くしてから10年以上たちますが、今は亡き子への思いを胸に前向きに歩んでいるようです。
ともに試練を乗り越えた妻と、もう一人の子供(次女)に目を向けて、2023年現在の風見さんの家族についてみていきます。
風見しんごの現在(2023)、家族と離れて生活
レギュラー番組はもちろん、ゲスト出演でも高視聴率を稼げるタレントとして知られる風見しんごさん。
1982年に『欽ちゃんの週刊欽曜日』でデビューして以来、レギュラー番組が途切れたことはなく、2020年1月期までの時点で98本を数えるそうです。
2023年現在も地上波で複数のレギュラーをもち、BSの番組でも活躍中。
2020年12月には、ブレイクダンス(ブレイキン)のパリ五輪種目入りの会見にゲストとして出席し、日本のブレイクダンスの先駆けとしてパフォーマンスを披露しました。
芸能活動と並行して、交通安全運動にも意欲的に取り組んできた風見しんごさん。
きっかけは長女のえみるさんを交通事故で失ったことでした。
愛娘がこの世を去って14年が過ぎた今、風見しんごさんと家族はどんな生活を送っているのでしょう。
本日(1/1・金)昼12時~ #BSテレ東(全国放送)【 #日本歌手協会 新春12時間歌謡祭 】 ON-Air!#風見しんご さんは第4部のおおよそ22時頃登場らしい#よろしくです #アメブロ #ameba #mitazo pic.twitter.com/FJDdfYpiEJ
— EFMI (@gr000043) January 1, 2021
えみるさんが亡くなった時、まだ3歳だった次女のふみねさん。
ふみねさんは14歳の時にアメリカのハイスクールに進学していました。
妻・尚子さんも娘と一緒に渡米して、ロサンゼルスにほど近いオレンジカウンティで母娘で暮らしているそうです。
2023年は家族と離れ、東京で一人で暮らす風見さんは逆単身赴任の状態ですね。
渡米後は、内向的だったふみねさんの性格も明るく積極的に変わったとのこと。
ですが、風間さん夫妻にとって毎年訪れるふみねさんの誕生日は特別な1日でした。
えみるさんを10歳で失ったため、ふみねさんの10回目の誕生日が近づくにつれて、その日を無事に迎えることができるかどうか不安だったといいます。
風見しんごの妻は元ミス日本
風見しんごさんの妻の尚子さんは1967年7月20日生まれで、2023年に56歳を迎えます。
短大で福祉を学んだのちにミス日本に輝き、1990年に芸能界入りしました。
「荒井晶子」または「荒井尚子」名義で、女優、歌手、モデルとして活動していたそうです。
「荒井」は旧姓であり、結婚後の本名は「大下尚子」。
風見しんごさんとはテレビ番組を通じて知り合い、交際へ発展。
当時、風見さんはヒット曲を連発し、マルチタレントとして活躍する人気者でした。
1994年11月にハワイで挙式しています。
#NowPlaying 🎵荒井尚子「ジュヴゼーム」
雨の夜でも今日はそれほど寒くない。このアルバム、結構良いな。 pic.twitter.com/KyjCnBOKDe
— カズマ (@kaz_01000) May 1, 2019
風見しんごの子供は何人?長女は突然の交通事故死
結婚の2年後に誕生した長女のえみるさんは、2007年1月17日、10歳という短い生涯を閉じました。
その日はふだんと変わらない朝だったといいます。
朝食に大好きな母のツナサンドを食べたあと、元気に登校したえみるさん。
その数分後、彼女が事故にあったという知らせが入り、夫妻はあわてて事故現場へ駆けつけます。
現場は自宅からほど近い交差点でした。
そこで夫妻が見たものは、トラックの下敷きになっている愛娘の姿。
えみるさんは頭を強く打っており、病院に搬送されますが、まもなく息をひきとります。
霊安室で遺体と向き合った時、こんな思いをするのは自分だけでたくさんだと思ったという風見しんごさん。
花嫁になるのが夢だった娘のために、死化粧の担当者には「花嫁化粧でお願いします」と申し出たそうです。
通夜の会見では、争いごとが大嫌いだったえみるさんを思い、加害者へのコメントは一切述べていません。
一周忌にあたる2008年1月には、交通事故に対する思いをつづった『えみるの赤いランドセル』を刊行。
さらに2016年には、この年に成人式を迎えるはずだったえみるさんへの思いを記した『さくらのとんねる』を出版しています。
長男はダウン症児で死産
えみるさんの死の翌年、尚子さんのお腹に新たな命が宿ります。
子供は男の子で、夫妻は「こころ」と名づけて誕生を心待ちにしますが、こころくんの心臓は母の胎内で止まってしまいました。
尚子さんは、亡くなったわが子を帝王切開で取り出すのではなく、通常分娩で出産することを決意し、産声をあげることのないこころくんを出産。
きちんと産んであげたいという母親の強い思いによる選択だったのでしょう。
じつは妊娠5カ月の時、こころくんは染色体に異常があり、ダウン症と診断されていたそうですが、産まないという選択肢はなかったとのこと。
娘を失っているだけに、命の重さを実感として受け止めていたのでしょう。
風見しんごさんの子供は、本来なら長女のえみるさん、次女のふみねさん、長男のこころくんの3人がいたはずですが、今はふみねさん1人になってしまいました。
2年続けてわが子を天国に見送るという深い悲しみを経験した風見しんごさん。
亡き子供たちへの思いが前を向く決意を固めさせたのかもしれません。
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