風見しんごの現在(2024)。妻はミス日本。子供や家族と別居の経緯&長女と長男との別れ

欽ちゃんファミリーの中で突出したアイドル性を持ち、数多くの人気バラエティ番組に出演してきた風見しんご(かざみしんご)さん。

幼い長女と長男を相次いで亡くしてから10年以上たちますが、今は亡き子への思いを胸に前向きに歩んでいるようです。

ともに試練を乗り越えた妻と、もう一人の子供(次女)に目を向けて、2023年現在の風見さんの家族についてみていきます。

風見しんごのプロフィール

生年月日: 1962年10月10日

身長: 169cm

血液型: A型

出身地: 広島県広島市西区己斐

最終学歴: 成蹊大学工学部

所属事務所: マスタープラン(元: バーニングプロダクション)

風見しんごは現在(2024)アメリカへ留学中

近年はあまり芸能活動をしておらず、テレビで見かけることも少なくなった風見さん。

実は日本ではなく、海外で生活しています。

60歳からの語学留学が話題

留学を公表したのは、2022年10月10日のことでした。


風見さんは恩師である萩本欽一さんのYouTubeちゃんねるに登場。

2023年1月からアメリカへ渡り、ロサンゼルスで英語の勉強をすると報告しました。

ちょうど60歳というタイミングで語学留学とは、かなり思い切った決断ですね。

勉強に年齢は関係ないはずですが、アメリカまで行って英語を習得となると、誰もが気軽にやることではないでしょう。

風見さんがやる気になった理由は、家族と英語でコミュニケーションをとるため。

留学公表時の風見さんは、奥さんと娘さんが6年前からアメリカで生活していることも明かしています。

そのため、2人は日常会話でも英語を使うそうですが、風見さんに対しては日本語。

ただ、風見さんに対して何か思うところがあると、英語に切り替えてしまうそうです。

何か聞かれたくないようなことを話す場合は、英語で母と娘だけの会話をするのでしょう。

そんな状態が続いたことで、「家族の会話に追いつきたい」と考えるようになったのだとか。

また、実は若い頃から留学について考えていたこともあり、還暦のタイミングで決意を固めたそうです。

ちなみに当時は、背中を押してくれたのが萩本さんであることも明かしていました。

萩本さんといえば、2015年に70代で駒澤大学へ入学したことが話題になりましたよね。

その行動に感銘を受けたという風見さん。


以前から人がやらないことに挑戦する大切さについても聞かされていたそうです。

恩師の背中を見て、「自分もやるぞ」と思えたのでしょうね。

2022年で芸能活動は一区切り

留学発表当時の風見さんは、2022年いっぱいで芸能活動を一区切りとすることも報告しています。

日本を離れて生活するとなれば、それまでと同じ働き方はできなくなるはず。

いったん活動を休止し、英語の学習に専念することを選んだのではないでしょうか。

渡米後は、萩本さんのチャンネルにときどき登場し、海外の様子などを語ることもある風見さん。

それほど頻度は高くないようですが、今後も出てくれる可能性はあります。

テレビ出演がなくなったので、最新の風見さんを知るためには、萩本さんのチャンネルをチェックしておくといいかもしれません。

風見しんごの妻は元ミス日本

風見しんごさんの妻の尚子さんは1967年7月20日生まれで、2024年に57歳を迎えます。

短大で福祉を学んだのちにミス日本に輝き、1990年に芸能界入りしました。

「荒井晶子」または「荒井尚子」名義で、女優、歌手、モデルとして活動していたそうです。

「荒井」は旧姓であり、結婚後の本名は「大下尚子」。

風見しんごさんとはテレビ番組を通じて知り合い、交際へ発展。

当時、風見さんはヒット曲を連発し、マルチタレントとして活躍する人気者でした。

1994年11月にハワイで挙式しています。

子供や家族と別居した経緯

次女のふみねさんは14歳の時にアメリカのハイスクールに進学しています。

また、妻・尚子さんも娘と一緒に渡米。

前述のとおり、ロサンゼルスにほど近いオレンジカウンティで母娘で暮らしているそうです。

2024年現在は風見さんもロサンゼルス在住ですが、家族と別れ、東京で一人で暮らす逆単身赴任の時期があったんですね。

渡米後は、内向的だったふみねさんの性格も明るく積極的に変わったとのこと。


ですが、風間さん夫妻にとって毎年訪れるふみねさんの誕生日は特別な1日でした。

えみるさんを10歳で失ったため、ふみねさんの10回目の誕生日が近づくにつれて、その日を無事に迎えることができるかどうか不安だったといいます。

長女が突然の交通事故死

芸能活動と並行して、交通安全運動にも意欲的に取り組んできた風見しんごさん。

きっかけは長女のえみるさんを交通事故で失ったことでした。

結婚の2年後に誕生したえみるさんは、2007年1月17日、10歳という短い生涯を閉じました。

その日はふだんと変わらない朝だったといいます。

朝食に大好きな母のツナサンドを食べたあと、元気に登校したえみるさん。

その数分後、彼女が事故にあったという知らせが入り、夫妻はあわてて事故現場へ駆けつけます。

現場は自宅からほど近い交差点でした。

そこで夫妻が見たものは、トラックの下敷きになっている愛娘の姿。

えみるさんは頭を強く打っており、病院に搬送されますが、まもなく息をひきとります。

霊安室で遺体と向き合った時、こんな思いをするのは自分だけでたくさんだと思ったという風見しんごさん。

花嫁になるのが夢だった娘のために、死化粧の担当者には「花嫁化粧でお願いします」と申し出たそうです。

通夜の会見では、争いごとが大嫌いだったえみるさんを思い、加害者へのコメントは一切述べていません。


一周忌にあたる2008年1月には、交通事故に対する思いをつづった『えみるの赤いランドセル』を刊行。

さらに2016年には、この年に成人式を迎えるはずだったえみるさんへの思いを記した『さくらのとんねる』を出版しています。

長男はダウン症児で死産

えみるさんの死の翌年、尚子さんのお腹に新たな命が宿ります。

子供は男の子で、夫妻は「こころ」と名づけて誕生を心待ちにしますが、こころくんの心臓は母の胎内で止まってしまいました。

尚子さんは、亡くなったわが子を帝王切開で取り出すのではなく、通常分娩で出産することを決意し、産声をあげることのないこころくんを出産。

きちんと産んであげたいという母親の強い思いによる選択だったのでしょう。

じつは妊娠5カ月の時、こころくんは染色体に異常があり、ダウン症と診断されていたそうですが、産まないという選択肢はなかったとのこと。

娘を失っているだけに、命の重さを実感として受け止めていたのでしょう。

風見しんごさんの子供は、本来なら長女のえみるさん、次女のふみねさん、長男のこころくんの3人がいたはずですが、今はふみねさん1人になってしまいました。


2年続けてわが子を天国に見送るという深い悲しみを経験した風見しんごさん。

亡き子供たちへの思いが前を向く決意を固めさせたのかもしれません。

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