細田守、結婚した妻と子供2人。経歴まとめ。出身高校は富山南&吃音症の過去

『時をかける少女』や『サマーウォーズ』などのアニメ映画を監督し、幅広い層に評価されている細田守(ほそだ まもる)さん。

「ポスト宮崎駿」と呼ばれるなど、日本アニメ映画界を代表する監督です。

家族や子供の姿をあたかかく描いた作品が多いですが、監督自身にはどんな家族がいるのでしょう。

今回は細田さんの結婚と子供情報を見ていきます。

また経歴、出身高校、吃音という噂にも迫りましょう。

細田守のプロフィール

本名:細田守

生年月日:1967年9月19日

身長:不明

出身地:富山県中新川郡上市町

最終学歴:金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科油絵専攻

細田守は一般女性と結婚している

細田さんは2007年に一般女性と結婚しています。

奥さんは長野県上田市出身。

それが理由で『サマーウォーズ』の舞台を上田市に設定したそうなので、愛妻家であることがうかがえますね。


一般人である奥さんについての情報は少なく、詳しいことはほとんどわかっていません。

芸能人と結婚したわけではないので、今後も詳細情報の公表はないものと思われます。

判明している数少ない情報だと、細田さんがインタビューで語った「派手好みじゃない」がありますね。

そんな奥さんの性格を考慮し、結婚式は身内だけの食事会で済ませたのだとか。

お祝い事であっても、「盛大にパーッとやる」といったノリは苦手なのでしょう。

普段の生活でも、目立つようなことはなるべく避けたい人なのかもしれません。

奥さんとの馴れ初めなどは詳しく語らない細田さんですが、そんな控えめなところに魅力を感じた可能性もありますね。

ちなみに、奥さんとの結婚は作品にも影響を与えています。

前述の『サマーウォーズ』は家族の絆がテーマ。

そのため、自分の結婚や親戚付き合いなど、実体験を参考にして作っているそうです。

主人公がヒロインの家族と会い、もじもじしているシーンなどは、まさに細田さんも経験したことなのだとか。

また、作品と細田さんの結婚は季節も同じ。

奥さんには8月にプロポーズしたそうなので、映画と同じく真夏だったわけです。

細田さんがもし独身のままだったら、『サマーウォーズ』はまったく違う作品になっていたのかもしれませんね。

細田守は2人の子供の父親

子供は12年に長男、15年に長女が生れています。

兄妹を育てる中で、細田さんは子供時代を改めて過ごしている気分になるそうです。

『未来のミライ』で兄妹を主役にしたのも、自身の子育て経験を踏まえたためでした。

子供たちはいずれ成長し、父が自分たちを基に描いた名作映画を、誇らしく鑑賞することでしょう。

ちなみに、子供たちの情報も多くは公表していません。


名前や顔写真も出ておらず、奥さんと同じく、詳しいことはわからない状態です。

ただ、長女が生まれた際は名前のヒントとなる情報を出しています。

すでに削除されたようですが、当時の細田さんのツイートによれば、「新しい希望」という意味の願いを込めたそうです。

この情報だけではなんともいえませんが、希望にあふれたポジティブな印象を受ける名前なのかもしれません。

また、「希」「望」のどちらかが入った名前とも考えられるでしょう。

女性であれば、読みが「のぞみ」という想像もできます。

長男の名前について情報はありませんが、出産時の体重が3466グラムだったことは報道されていましたね。

細田守の経歴

次に細田さんの経歴に迫ります。

アニメ映画に感銘を受けたのは中学時代。

劇場版『銀河鉄道999』や『ルパン三世 カリオストロの城』を観て、パンフレットの絵コンテに魅了されます。

初めて手掛けた作品は、中学3年の時に描いた、飛行機での戦闘を描いた約1分のアニメーションでした。

大学時代は、実写にも関心を持ち、映画サークルで実写映画の製作に励みます。

大学卒業後の1991年、東映動画(後の東映アニメーション)へ入社し、原画や作画補佐を担当しました。

ちなみにスタジオジブリの採用試験には、最終選考で落選しています。


2枚以上の絵を描く課題で、150枚以上を提出したところ、後日宮崎駿さんから手紙が届いたそうです。

「君のような人を入社させては、才能を削いでしまう」という落選理由が書かれていました。

才能を見抜いたからこそ、あえて落とすというのも大胆ですね。

結果的に細田さんは、ジブリに拮抗できる数少ない監督となりました。

ジブリで宮崎さんや、高畑勲さんら巨匠の下で埋もれてしまったら、細田作品は誕生しなかったかもしれません。

宮崎さんは見事に若手の才能を見抜き、的確な判断を下したといえるでしょう。

ジブリに落ちたものの、その後は順調にキャリアを積み、97年『ゲゲゲの鬼太郎』で演出家デビューを果たします。

2年後には『劇場版デジモンアドベンチャー』の監督となりました。

2000年には、『ハウルの動く城』の監督に抜擢され、かつて入社試験に落ちたジブリへ出向。

念願のジブリ作品を手掛けることになったものの、翌年に母親が脳梗塞で倒れたそうです。

母の看病で多忙になったためか、製作をすすめられず、残念ながら中止となりました。

『ハウルの動く城』は結果的に宮崎さんが監督を務めます。

ジブリ側との衝突があり、監督から解任されたという情報もありますが、真相は不明。

ただ細田さんとしては、憧れのジブリで認めてもらうチャンスを逃し、悔しかったことでしょう。

その後は東映に戻り、05年に独立。


翌年、劇場アニメ『時をかける少女』を監督し、大ヒットを飛ばしました。

興行収入は2.6億円を達成し、海外でも人気を博します。

09年に母を亡くしますが、手掛けた作品『サマーウォーズ』は大ヒット。

興行収入は16.5億円で、名実共にアニメ映画界のヒットメーカーとなりました。

11年にはスタジオ地図を設立し、翌年『おおかみこどもの雨と雪』が公開。

原作小説も執筆し作家デビューする傍ら、興行収入42億円を達成しました。

18年の『未来のミライ』では、アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネート。

初めて、ジブリ作品以外の日本アニメで同賞にノミネートするという快挙でした。

国内外で高く評価されてきた、日本映画界を代表する監督といえるでしょう。

細田守の出身高校

次に細田さんの出身高校を見ていきます。

高校は富山県立富山南高等学校です。


理系文系の他、国際コースも設置しており、英語教育に力を入れています。

偏差値は59なので、中堅レベルの高校です。

今のところ著名な卒業生は細田さんだけのようですが、今後さらに活躍する人が登場するかもしれませんね。

細田守は吃音症の過去

最後に細田さんが吃音という情報を見ていきます。

細田さんは子供の頃に、吃音症だったそうです。

小学校2年までは特別支援学級に通っていましたが、今ではすっかり克服しているようです。

しかし『おおかみこどもの雨と雪』での、特別な出自に葛藤するヒロインの姿は、吃音で悩んだ監督自身を投影したもの。

また『英国王のスピーチ』という、吃音に悩む英国王を描いた映画を観て、当事者目線で感動したようです。

幼い頃の悩みから、すっかり解放されるのは難しいのでしょう。


多くの映画で感動をもたらしてきた細田さん。

自身が感じてきた生きづらさを作品に投影させる手腕が、人々の胸を直接打つのかもしれませんね。

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