隈研吾、息子も建築家。妻と離婚の噂?自宅、神楽坂にシェアハウス

木材を活用し、根津美術館など多くの名建築を手掛けた建築家・隈研吾(くま けんご)さん。

一流建築家として知られていますが、そのDNAを継ぐ息子はいるのでしょうか。

また妻と離婚の詳細、自宅があるという神楽坂の情報も見ていきます。

隈研吾のプロフィール


本名:隈研吾

生年月日:1954年8月8日

身長:189㎝

出身地:神奈川県横浜市大倉山

最終学歴:東京大学大学院建築意匠専攻修士課程

所属事務所:隈研吾建築都市設計事務所

隈研吾の息子も建築家

まずは隈さんの息子を見ていきます。

息子は1985年生まれの隈太一さんです。

東京理科大学を卒業後、東京大学大学院修士課程で建築を学んだ後、ドイツ留学を果たしています。

帰国すると東京大学大学院に戻り、博士課程に進学しました。

2016年9月には神楽坂に自身が企画設計したシェアハウスをオープン。

ワインバー「TRAILER」や、川崎駅内のテレビスタジオ「PRISM TV STUDIO」なども手掛け活躍しており、若手建築家のホープともいえる存在です。

近年は約3年間、ニューヨークに住んで設計事務所に勤務していたようですが、2020年のコロナ流行で帰国しています。

建築業界もリモートワークが浸透しつつある中、工事が減るなど悪い影響も受けています。

そんな中で太一さんは、新しい建築業界のあり方を模索し、より良い世界を作ろうと意欲的に活動しているようです。

偉大な父の精神を受け継いだ、しっかり者の息子ですから、家族や周囲からも期待されているのでしょう。

隈研吾の妻、離婚の噂?

次に隈さんの妻と、離婚の情報を見ていきます。

妻は同じく建築家の篠原聡子さんです。

長年教鞭をとっていた母校の日本女子大学で、2020年から学長に就任しています。

同大学院修士課程を出たのち、香山アトリエでの勤務を経て、空間研究所を設立。

Y-HOUSE、キヨサト閣で日本建築学会賞を受賞するなど、数々の賞に輝いた一流建築家です。

隈さんとは建築家同士ですが、別々の事務所で働くことで、プロ同士の衝突を防いでいるのでしょう。

離婚したという情報はなく、夫婦円満に長年生活を送っているようです。

ただネット上で隈さんに離婚歴があるという噂が流れていました。

しかし根拠がない状況なので、あくまで噂に過ぎないでしょう。

隈研吾の自宅。神楽坂にシェアハウス

最後に隈さんの自宅が神楽坂という情報を見ていきます。

隈さんの自宅は新宿区の中でも歴史ある街並みが残る、神楽坂にあることが明らかになっています。


事務所が南青山というファッショナブルな土地にあるので、あえて古き良き街に住居を構えたのかもしれません。

また神楽坂の矢来町に、隈一家でシェアハウス「SHAREyaraicho」を作り上げました。

妻と息子も含む家族プロジェクトだったそうで、中心にいたのは篠原さんです。

息子の太一さんは内装と運営を担当しました。

完成後は若手層をメインに、建築家やクリエイターが共同生活を送っているそうです。

「旅行客が、その地のローカルな情報を知られる場所」というコンセプトで作られたシェアハウスには、外国人も居住しています。

神楽坂を、国際色豊かで人との結びつきが強い土地にしたい、という願いを込めたのでしょう。

隈さんは自宅のテラスで、風にあたっている時間が好きだといいます。

近代化した都心にありながら、古き良き時代の空気も感じられる神楽坂で、至福の時間を楽しんでいるのでしょう。

愛する土地である神楽坂に貢献したい思いが強いためか、神楽坂を訪れた人が好んで参拝する赤城神社の建て替えも担当。

境内はガラス張りのモダンな造りにして、社殿は銅板を互い違いに並べる大和葺を採用しました。

モダンなデザインが話題を呼びましたが、昔の風情ある神社の方が好きだという声もあります。

木材を使った自然な建築が隈さんの魅力とはいえ、元が風情ある神社には、アクセントとしてモダンな要素を取り入れたのでしょう。

賛否両論あるようですが、神楽坂の古い街並みを楽しんだ後で赤城神社を訪れると、新鮮で清々しい気分になるかもしれませんね。


親子そろって建築界に貢献している隈一家。

今後も精力的に、古き良き時代を思わせる建築や、人とのつながりを得られる場所を手掛けてくれるでしょう。

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